goo blog サービス終了のお知らせ 

オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

元祖小京都、1970年代アンノン族で賑わった津和野の旅

2018年03月14日 | 中国
津和野伝統工芸展示館大手登山口常盤橋西周旧居森鴎外旧宅和紙会館森鴎外記念館森鴎外像森鴎外記念館内部無料休憩所猫の絵美術館山の中腹の太鼓稲成神社津和野町図書館菓子店。直会餅はどんな餅でしょうか。津和野名物・源氏巻、餡を生地で巻いた菓子です。中尾彰・吉浦摩耶美術館津和野町郷土館
大橋津和野川
山口線の鉄橋殿町通り(右)と高岡通り(左)の分岐津和野の伝統芸能・鷺舞多胡家表門多胡家殿町通り大岡家老門津和野町役場津和野庁舎教育委員会津和野公民館津和野カトリック教会沙羅の木家具店沙羅の木
和紙伝承館観光センター酒店醤油店酒店菓子店日本遺産センター内部津和野駅山口線を走ったD51写真美術館・観光案内所安野光雅美術館山口線の列車で新山口へ戻ります。列車内から見える津和野城新山口駅
広島駅北口からバスで広島空港へ
広島空港に到着。成田行の春秋航空機。私は初めてLCCに乗りました。座席シートの前後幅が気になったのでちょっと広めの席を予約したので快適でした。使用機はボーイング737-800です。中国製や旧ソ連製飛行機ではありません。成田到着が第3ターミナルなのはやっぱり不便ですが、値段が安い分しようがない。老年バックパッカーにとってはLCCはありがたい。


石見国・古城の旅 高石垣が残る中世山城、津和野城

2018年03月14日 | 中国
津和野で1泊しました。一晩お世話になった宿の中庭に降り立ったアオサギを撮影した写真です。ナイスショットです。アオサギがくる足湯津和野城の絵図山口線の鉄橋。山の上に津和野城の石垣が見えます。徳川夢声の句碑
樹齢600年の大けやき弥栄(やさか)神社
総雲社
津和野川
太鼓谷稲成社の千本鳥居太鼓谷稲成社。伏見稲荷(京都)、笠間稲荷(茨城・笠間市)、祐徳稲荷(佐賀・鹿島市)、竹駒稲荷(宮城・岩沼市)と並び日本五大稲荷の一つです。駐車場津和野城へはリフトで行けます。
津和野のシンボル、青野山(標高908m、トロイデ火山)リフト降り場出丸・本丸への道堀切石垣修復工事のための仮設道路津和野城は三本松城といわれてました。三段櫓の石垣東門跡三段櫓の石垣馬立、台所、海老櫓跡西櫓門跡天守台跡太鼓丸と青野山三十間台の虎口太鼓丸最上部の三十間台三十間台の井戸跡天守台跡(手前)と海老櫓跡(奥)三十間台南の石垣。津和野城のシンボル的な石垣です。三の丸跡南櫓門跡再び三段櫓跡東門跡大手登城口。道が荒れているようなので大手へ下るのはやめました。リフトで城下町へ戻ります。




山陽道・古城の旅 山口県庁舎棟・県会議事堂棟と山口藩庁門

2018年03月13日 | 中国
議会棟県政資料館・旧県議会棟旧県議会棟の1階廊下旧県議会棟。塔があるのが旧県議会棟です。旧県庁舎棟。旧県庁舎棟には塔はありません。県庁舎棟1階内部県庁本館棟長州藩山口藩庁門藩庁門前の堀県立山口博物館亀山公園の毛利敬親像県立美術館中心街のアーケード山口の名産品・外郎(ういろう)。小田原、名古屋などと並び外郎が名物です。山口駅。山口は「西の京」といわれ大内文化が花開いたところです。東日本の人間にとってなかなか行きにくいところで、県庁所在地として印象が薄いが多くの歴史遺産が残る町です。今回訪ねてよかった。山口駅前通り改札口駅名標示は右書きです。この列車で津和野へ向かいます。
津和野に到着

山陽道・古城の旅 「西の京」大内文化の結晶・瑠璃光寺五重塔

2018年03月13日 | 中国
萩と山口を結ぶ萩往還
瑠璃光寺の五重塔です。司馬遼太郎「街道をゆく」より室町時代中期1442年25代大内義弘を弔うために建立されました。京都は応仁の乱で荒廃し、山口は西の京として繁栄をしました。大内氏の黄金時代の五重塔で、奈良・法隆寺、京都・醍醐寺と並び三名塔とされています。瑠璃光寺本堂慈母観音石造五重塔の経塚杓底一残水24代大内弘世騎馬像雪舟像。雪舟は長く山口に滞在、雲谷庵にて創作をしました。毛利家墓所萩から山口へ藩庁を移した毛利敬親以後の毛利家当主の墓です。
勅撰銅碑毛利元就菩提寺・洞春寺の山門のむら美術館鐘楼門洞春寺本堂観音堂菩提樹

山陽道・古城の旅 「西の京」として栄えた山口の大内氏館

2018年03月13日 | 中国
新山口駅在来線改札口在来線と新幹線を結ぶコンコース。新山口は多くの路線が交差する鉄道の拠点駅です。そのため多くの線路をまたいで新幹線へ乗り換えます。新幹線改札口新山口駅。かつての小郡駅です。私は1970年ころ宇部の友人宅へいくため小郡駅で乗り換えて宇部新川へいきました。昔の小郡駅は田舎の小さな駅でした。小郡駅は山陽新幹線の開業で新山口駅へと大きく姿を変えました。新幹線の効果は絶大ですね。駅前の山頭火像駅舎内のサイクルステーション。輪行者のため自転車組み立てスペースを用意しています。新山口から津和野へSLやまぐち号が運行されています。宮脇俊三さんの分析では、観光SLを運行する路線の選択としてはこの山口線がベストだそうです。選択の条件としては東京・名古屋・大阪の大都市圏から離れていること、SLに乗るためにやってくる乗客が飛行機を使わず新幹線を利用すること、その範囲内でもっとも遠方であることです。つまり北海道や九州だと飛行機を利用するので除外。いろいろ考えると東北か中国となりますが、やまぐち号の運行開始は1979年、この時点で東北新幹線はまだ開通していないので、山陽新幹線の利用促進を狙って山口線ということに決まったというのが宮脇説です。大いに納得です。
飛行機の世界では、2011年に全日空が新鋭機ボーイング787を初就航させたのが羽田・広島間と羽田・岡山間。多くの人が迷わず飛行機を選択する羽田・札幌間や羽田・福岡間には導入せず、広島、岡山を優先させました。理由は新幹線との競争に打ち勝つためです。広島、岡山は新幹線との戦いでは旗色が悪いのです。現在どれくらい挽回効果があったかは私は調査できていません。山口駅サッカーJ2レノファ山口。元浦和の坪井が前列にいます。一の坂川大内氏26代大内盛見歌碑龍福寺西田幾多郎は山口出身です。1360年に大内氏24代大内弘世が居館を築き、1551年31代義隆が陶晴賢によって追われるまで大内氏の本拠として栄華を極めました。陶氏を滅ぼした毛利氏が大内氏の居館跡に大内義隆の菩提寺として龍福寺を建立しました。宝現霊社豊後岩
しあわせの鐘
大内義隆主従供養塔
31代大内義隆辞世本堂子育て・水子地蔵30代大内義興馬上展望像。作者は月形那比古。龍福寺資料館石組溝
西門枯山水庭園築山館跡
28代大内教弘以後の当主の居館です。築山神社箏曲組歌発祥の地盃状穴巨石
八坂神社本殿。大内弘世が京都の八坂神社を勧請し、大内義興が本殿を新築しました。祇園稲荷明治20年(1872年)頃の擬洋風建築、河村写真館。ゲンジボタルが生息する一の坂川