山陰・古城の旅 大天守と四重櫓、「山陰随一の名城」だった米子城 2018年05月08日 | 中国 米子城です。鳥取大学病院の駐車場に車を停めました。 本丸と内膳丸の分岐 本丸から北へ突き出た内膳丸内膳丸天守台番所跡四重櫓の石垣鉄門跡四重櫓跡本丸跡米子城は「続日本100名城」に指定されました。1591年に吉川広家が月山富田城に入城、米子の地理条件に着目し米子城の築城を開始。1600年関ヶ原の戦いで吉川氏は岩国に転封、1602年に完成した米子城に中村一忠が入城しました。米子城は大天守と四重櫓を有し山陰道随一の名城となります。江戸時代中期に城主となった荒尾氏が幕末まで続きます。 中海皆生温泉、米子空港、境港の方角天守台跡鳥取大学病院米子市街 加茂川と米子ビッグシップ 水手門跡太仙寺 中海 中海展望所鳥取大学病院 中海 湊山公園
山陰・古城の旅 「我に七難八苦‥」山中鹿介の月山富田城 2018年05月07日 | 中国 月山富田城です。山麓の歴史資料館 ジオラマ。中央は富田川。標高189mの月山山頂に富田城本丸があります。御子守口から山登りです。富田川太鼓壇公園桜内幸雄記念碑。地元出身の実業家・政治家、広瀬町名誉町民です。尼子神社 山中鹿介銅像。戦国時代尼子氏は月山富田城を本拠とし、経久の時に中国11カ国を制しましたが、経久の孫・晴久は毛利の謀略にあい尼子氏は滅亡します。尼子十勇士の一人山中鹿介は尼子氏再興を目指して挙兵したが悲願は果たせず殺害されました。鹿介は「願わくは我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈ったという逸話は有名です。花の壇大井戸山中御殿跡菅谷口・櫓跡雑用井戸 山中御殿跡 堀尾河内守・掃部親子の墓七曲り山吹井戸三ノ丸本丸 本丸 本丸から富田川を見下ろす宿願成就祈願のスタンプ本丸の奥の二ノ丸本丸下の石垣二ノ丸から見た本丸二ノ丸山中鹿介幸盛記念碑二ノ丸の勝日高守神社神社裏側三ノ丸上の石垣 山麓の城安寺。江戸時代の広瀬藩松平家の菩提寺。 月山富田城の簡単な歴史です。 1441年 京極氏、出雲・隠岐・飛騨三国の守護となる 1486年 尼子経久、守護代・塩冶氏を滅ぼし富田城の城主となる 1521年 尼子経久、山陰・山陽11カ国の領主となる 1518年 尼子経久の嫡男・政久が戦死 1537年 経久、孫の晴久に家督を譲る 1543年 大内義隆が来攻するも敗走 1560年 尼子晴久死去、嫡男・義久が後継となる 1565年 毛利元就が来攻 1566年 毛利の謀略で富田城開城 1569年 山中鹿介ら尼子氏再興をはかって挙兵 1578年 尼子軍は敗北、鹿介は謀殺される 1591年 毛利家の吉川広家入城 1600年 堀尾吉晴が出雲隠岐24万石の大名となって入城 1611年 堀尾吉晴の子・忠晴は松江城を築城、松江へ移る。富田城は廃城となる
山陰・鉄道旅 一畑電車・出雲大社前駅とJR旧大社駅、出雲大社 2018年05月07日 | 中国 松江しんじ温泉駅駅ホーム 駅舎内 台湾の自転車メーカー、ジャイアントのショップ。レンタサイクルで宍道湖を周遊できます。路線図。一畑電車は松江~出雲市間の北松江線と川跡~出雲大社前間の大社線があり、北松江線の川跡で枝分かれをします。もともとは一畑薬師の参拝客のために敷設された鉄道です。一畑口駅が一畑薬師の最寄り駅ですが、一畑口駅からはバスで10分かかります。一畑電車の本社は雲州平田駅の構内にあります。 出雲大社のマスコット宍道湖 出雲大社へは川跡駅で乗り換えです。出雲大社前駅、終点です。改札口 出雲大社前駅のジオラマ 駅舎内 駅舎 参道 旅籠屋宇迦橋 大鳥居 出雲阿国像道の駅吉兆館 旧大社線大社駅。大社線は1990年(平成2年)に廃止となり大社駅も営業を終了しました。1972年(昭和47年)ピーク時の乗降客数は1日4000人を記録しました。駅から出雲大社までは徒歩で20分くらいかかるのが難点で、モータリゼーションの普及などで役割を終えました 団体改札口 ポイント切替器D51ホーム D51 国引き神話の壁画松並木勢留の大鳥居ムスビの御神像 銅鳥居 拝殿 御守所 神楽殿 祓社 金刀比羅宮さざれ石スターバックス老舗旅館 再び出雲大社前駅 デハニ50形52号車
山陰・古城の旅 擬洋風建築の興雲閣、小泉八雲記念館 2018年05月06日 | 中国 1903年(明治36年)完成の興雲閣。擬洋風建築です。1階カフェ南櫓1階展示室。松江出身の偉人を展示しています。1階廊下 貴顕室 バルコニー松江城二ノ丸下ノ段大手前堀川遊覧船発着場島根県庁松平直政像島根県出身の総理大臣、若槻礼次郎天守と南櫓三ノ丸櫓跡南櫓 千鳥橋(御廊下橋)井戸跡 後曲輪、椿谷のなんじゃもんじゃの木 外曲輪の稲荷橋新橋 小泉八雲記念館小泉八雲旧居 小泉八雲銅像 田部美術館 遊覧船
山陰・古城の旅 現存天守が国宝認定された松江城 2018年05月06日 | 中国 米子空港では目玉小僧がお出迎え。私は2度めの米子空港です。前回は城にはあまり興味がなく松江城を素通り。その後2015年に松江城天守は国宝に認定されました。松江城を見逃していたことが悔しくて今回再度島根にやってきました。主な目的は島根ですが、空港は米子、宿も米子で、米子は鳥取県です。 ホテルの送迎バスでまずはホテルに向かいます。米子空港ターミナル 今回宿泊の皆生温泉・三井別館。ツアーに組み込まれているホテルです。皆生温泉の中心部、観光案内所 観光案内所前の足湯皆生温泉から路線バスで米子駅へ 米子駅JR山陰線で松江へ石見キャラクタートレイン松江駅のホームのぼたん松江城の看板松江城のシンボルマーク松江駅観光巡回バス、松江レイクライン岸清一銅像。岸は原宿の岸記念体育館の岸さんです。松江出身の弁護士で、スポーツの発展に貢献し「近代スポーツの父」と言われ、国際オリンピック委員会(IOC)の委員を務めました。松江城の堀と櫓。松江城は天守が有名ですが、堀と櫓が美しいです。櫓は2001年に復元されたものです。南櫓中櫓堀尾吉晴銅像。堀尾吉晴は織田信長の家臣で秀吉の同僚でした。関ヶ原の戦い後、吉晴の子・忠氏は月山富田城の城主となりましたが、富田城は山城で交通が不便であったため、便利な松江の地に松江城を築きました。堀尾氏のあとは京極忠高、次に松平直政が藩主となり、松平氏が幕末まで続きました。大手木戸門跡 井戸松江城碑なんじゃもんじゃの木ヒトツバタゴ石垣と天守小泉八雲文学遺跡三ノ門跡定番所跡二ノ丸番所跡太鼓櫓内部 中櫓 南櫓二ノ丸から見た天守二ノ門跡局長屋松江神社 一ノ門天守本丸多門跡天守と天守から突き出た附櫓。超ワイドレンズで撮影しました。天守入り口天守内の井戸シャチホコ「冨」の刻印松江城は戦前に国宝でしたが、戦後は築城年代の確かな証拠がない国宝とは認められなくなりました。この木札が発見されたことで2015年に晴れて国宝認定となりました。 石打棚 松平直政像天守図面 北惣門橋の模型花頭窓天守最上部 国宝指定書 本丸石落し 松江神社御書院跡