渦巻き

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定光寺~龍泉寺

2013-08-15 19:29:14 | 寺社~そのほか
定光寺  8月15日

愛知県瀬戸市定光寺町373         

山号 応夢山(おうむさん)    寺号 定光寺(じょうこうじ)  
創建 建武三年(1336年)  
宗旨 臨済宗 妙心寺派  
開山 覺源禅師
本尊 延命地蔵願王菩薩  


由緒沿革 
  建武3年(1336)に創建された臨済宗妙心寺派の古刹(こさつ)。                                      
尾張徳川家の菩提所。初代徳川義直候はじめ歴代が納骨される。
 本堂は創建当時の姿をとどめており、春は桜、秋は紅葉の名所としても
よく知られている。              
 国の重文として本堂、源敬公廟、太刀銘助重、太刀銘守家など。



昔は研修、結婚式などで使われた千歳楼。全然知らなかったけど廃墟化してたのね。
 裏に東海自然歩道入口があったけど。この建物でちょっと違う雰囲気。


 この暑い中、道で幟をたててお客さんを呼んでいるお店に行ってみた。
 とてもよい雰囲気のお店。作家さんの展示もしているみたい。
 店内は幟効果?もあって満席。少しお時間いただきます、、、ということで
 待っていました。ちょっと蒸し暑い店内の席で。
 でも、、、お水、お茶(おいしかった)が出たけど、小一時間もたつよ、、、とうとう
 旦那がブチ切れて店を出ました。待たせすぎだろ!!!ということで。
ごめんなさい。
 それで近くのお店に入り直し、昼食。

                     
                  
 この店はまたちょっと変わった雰囲気。オーナーと思しきおば様が旅した場所の
 写真などが飾ってある。旅先で買ったらしいお土産もたくさん。


 さて、定光寺って近いんだけど、寺自体は行ったことなかった。

                   

         さすが古刹、古刹ですわ。 雰囲気あるよ~。

            



              この建物はなぜ囲われているのかな?    
         

                     

                  
                    
                



               

                   甚五郎作といわれる彫り物は全国各地に100ヶ所近くある。 
                しかし、その製作年間は安土桃山時代~江戸時代後期まで300年にも及び、
                出身地もさまざまであるので、
                左甚五郎とは一人ではなく各地で腕をふるった工匠たちの代名詞
         としても 使われたようである。

                 ということでどこかの左甚五郎作なのか、、、?

               
                      徳川義直公廟所  標高204m    
      

                   
                          おっさんぽ~
                     


           次に龍泉寺へ。
                    愛知県名古屋市守山区竜泉寺1丁目902龍泉寺の標高は 約72.2m


           龍泉寺は名古屋城の鎮護となっている尾張四観音の一寺院。
           400年程度前に家康が名古屋城築城の際に名古屋城から見て
鬼門の方角にあたる寺院を
           名古屋城の鎮護として尾張四観音と定めたようです。
 
 

          

延暦年間、伝教大師最澄が創建したといわれています。
 宝暦5年に記された古文書「龍泉寺記」には、「その昔、伝教大師が熱田神宮に参篭中、
 龍神の御告げを受け、龍の住む多々羅池のほとりでお経を唱えると、
  龍が天に昇ると同時に馬頭観音 
  (他の観音が女性的で穏やかな表情で表されるのに対し、
    馬頭観音のみは目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、
     牙を剥き出した忿怒(ふんぬ)相である。

    このため、「馬頭明王」とも称し、菩薩部ではなく明王(みょうおう)部に分類
されることもある。)

  が出現したので、これを本尊として祀った」という内容が記述されています。
  そのため、龍泉の名前もこの話に由来するといわれています。一方では、
弘法大師空海も同じように、
  熱田神宮参篭中のおり、熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納しており、
  龍泉寺は熱田の奥の院といわれてきました。
  このため、この寺は伝教・弘法大師の開基ともされています。

 しかし、天正12年(1584年)小牧長久手の役のおり、豊臣秀吉が当山に陣し
 退却するとき、池田勝入の部下により放火焼失、慶長3年(1598年)、
 秀純大和尚が堂塔を再興しましたが、
  明治39年に再び放火に遇い、多宝塔、仁王門、鐘楼を除く
  全てが灰と化しました。ところが、
  焼跡から、慶長小判百枚が発掘されたので、それを基金とし、
  多くの御信者の御寄付とをあわせ、
  本堂が再建され、今日に至っています。
   また、龍泉寺は、荒子観音、笠寺、甚目寺と並んで尾張四観音の一つです。 
   
 

      そうか観音様だったのだ。知らなんだ。   
    さらに龍泉寺城内に円空仏などあったのね、
          知らずに帰ってきたよ。
  

            
     
                  
                
          


              
                   良いお言葉。
      



            奥に行くと霊園があり、
             庄内川に向かってたくさんのお墓が。
              お墓詣りに来ている人もチラホラ。

 


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