とろける。

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「ほっこり」への違和感と、そこから思い出したもの

2016-09-04 19:59:10 | 感じたこと
以前から「ほっこり」ということばが何だか好きになれず、どうしてなんだろうと思っていたんだけど、昨日ふとその感覚が強く思い起こされて、ツイートしたりしていた。

綴ったり、リプライをもらったりしているうちに分かったのは、私がそのことばを見かけ始めた頃の使われかたがいやだったんだなーと思った。

そのうちのひとつは「(動画とかで)みなさまにほっこりをお届けします」みたいなのを言っていて、意図的につくられたあなたたちのそれにはほっこりしないし、価値観押しつけないでって思ったんだなーと。
そんなのがあったり、SNSとかの楽しいこと報告みたいな雰囲気のときに「これはほっこりする」と薦めているのを見かけて、ちょっと鼻につくなーって思った。
どうやら、それで私は「ほっこり」と聞くと「はいはい、よかったねー(うっとうしい)」って思ったりしていたようだ。

さっきの、「ほっこりをお届けします」みたいのは別として、基本的には、その人をほっこりさせた対象はその人をほっこりさせようと思って何かをしたわけではないだろうし、何だかその対象を見下しているように感じた。
これは「ほっこり」ということば自体の問題というよりは、使い方というか、言う人が持っているニュアンス次第な気がする。
「微笑ましい」に近くて、言われる対象が自分だったら、場合によってはイラっとするよなーと思うんだ。
「癒し系」っていうのも、癒されている本人はいいんだろうけど、その人を癒している対象を無自覚に馬鹿にしているように感じられるときもある。無邪気さを好むときとか。

そして、ほっこりとか癒しとかってあんまり大声で言うもんじゃないのかもって思った。
私がわりと好きだなと思っている人たちからもらった「ほっこり」の例や解釈には、いやな印象を持たなかったことがヒントになった。
「ああ、きっとこの人なら、こういうことでほっこりするのかも」と思ったし、その人たちは、「ねえ、あなたもほっこりするでしょ?」と価値観を押し付けなさそうだった。
シンプルに自分がそのほっこりを味わって、ときによってはそれを共感してくれそうな人に話す。
何にほっこりするかは人それぞれだから、みんなに言うもんじゃないって感じかな。いや、もちろん、SNSでも、どこでも言っていいんだけど。「わたしはほっこりしたよ」と言うにとどめてくれたら印象がいいだろうなーと思った。


そんなことを思っていたら、全員参加の学校行事とかきらいだったなーっていうのを思い出した。
特に、「みんな(全員)でやることに意義がある」「心をあわせて」みたいな価値観がいやだった。運よくそういう圧力の強い場には当たらなくてラッキーだったけど、そういう価値観の人に出くわすと大人になっても「うわぁー、やめて」って感じる。

何が好きかは、本当にその人によって違う。
大人になったらつきあう人や環境をある程度選べるけど、子供たちはなかなか大変なんだろうなー。学童のアルバイトをしているとそんなふうに感じる。
固定された人間関係で、同調圧力のある雰囲気だと多数の人と違うのが好きとか嫌いとか言いづらいよなー。
せめて、まわりの子と違うように感じてても、それをだめだと思わなくていいっていうのをうまく伝えていけたらなー。

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