陰翳礼讃(いんえいらいさん)

2013-03-02 19:58:44 | Weblog
 私は建築のことについては全く門外漢であるが、西洋の寺院のゴシック建築と云うものは屋根が高く高く尖って、その先が天に冲せんとしているところに美観が存するのだと云う。これに反して、われわれの国の伽藍では建物の上にまず大きな甍を伏せて、その庇(ひさし)が作り出す深い廣い蔭の中へ全体の構造を取り込んでしまう。寺院のみならず、宮殿でも、庶民の住宅でも、外から見て最も眼立つものは、或る場合には瓦葺き、或る場合には茅葺きの大きな屋根と、その庇の下にたゞよう濃い闇である。時とすると、白昼といえども軒から下には洞穴のような闇が繞っていて戸口も扉も壁も柱も殆ど見えないことすらある。これは知恩院や本願寺のような宏壮な建築でも、草深い田舎の百姓家でも同様であって、昔の大概な建物が軒から下と軒から上の屋根の部分とを比べると、少くとも眼で見たところでは、屋根の方が重く、堆く、面積が大きく感ぜられる。左様にわれわれが住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。

  陰翳礼讃(いんえいらいさん)は、谷崎潤一郎

 陰翳のある家、現在の住まいからはかなりかけ離れてしまっています。今の家は、南向き、太陽、明るさ、気密度、プライバシー、多収納、低価格です。家が密集して、土地にゆとりがないのが最大の原因です。

 核家族化が進み、大きな家よりも、小さくてコンパクトな家が望まれています。陰翳のある家は、いまでは憧れです。家が狭いから壁の色は膨張色、壁が圧迫するから大きな開放、密閉されているので明るさが求められます。流石に、冷暖房の効きは良いですが、風に触れる機会がありません。風の流れほど気持ちの良いものはありません。昔の家には、それがありました。