断念

2007-11-08 00:28:57 | Weblog
 建築家の方も私達の仕事ばかりしている訳ではなく、いろいろな仕事を掛け持ちでやられています。アイデアというのは時間をかければ良いものが出てくるというものでもなく、かといって考えていなければ良いアイデアなんて浮かんでくるはずもありません。要するに、ずっと考えている内に、何かまったく関係のないイメージが重なり合って、良いアイデアが生まれてくるのだと私は思います。
 ただ、何よりやはり良いアイデアが出るか出ないかは、その時の気持ちの乗りですね。自分がやりたいものと相手が望むものがピッタリあった場合とか、相性がよかったり、ちょうど忙しい仕事から解放された時で、時期的によかった場合とか・・・そういう面で、今回は建築家の方と息がうまく合わず?一応、ここまでで仕事の計画をストップしてもらいました。あァ、これからどうしよう。 

イメージイラスト

2007-11-07 01:06:27 | Weblog
 建築家の凄いところは、頭に描いた空間イメージをすぐにデッサンできることです。部屋の仕上がりはこういう風になりますと、イラストで見せられると、ちょっと感激してしまいます。でも、要注意はこのイラストはやぱり描く方の思い入れがある分、出来上がりよりはかなり実物とは違うようです。だって、余分なものは何もなく、描きたいポイントがあって、それが一番よく見えるアングルからそれは描かれているからです。
 最近、分かったのですが、このイラストも建築家によって描ける人と、描けない人がいるようです。描けない人はどうするかというと、パソコンを利用して家を立体化してしまうのです。そうすると、視線を移動することにより、部屋の中まで360度見渡せてしまいます。

建築料

2007-11-06 01:06:51 | Weblog
 「アイデアはタダではない。」とよく言われますが、建築家の場合はいくらアイデアを出しても相手に気に入ってもらえなければお金になりません。ほとんどの場合、契約が本決まりになるまでは料金が発生しないようです。1時間幾らという弁護士さん達とはかなり境遇が違うみたいです。ただ、お願いする方としても相手の力量や好みもまったく分からないままの出会いとなりますので、これはいたしかたないのかもしれません。でも、結構割の合わない仕事ですよね。

コートハウス

2007-11-03 00:54:20 | Weblog
 雑誌雑誌を見ていると、とても感じの良い家が載っていました。いいなァ、いいなァ
 でも、どこが良いのだろう・・・いろいろ本を読んでいると、私が気に入った建物は「コートハウス」と呼ばれるものであるということが分かりました。

コートハウスの長所
 ①敷地外に対して閉鎖的なので、防犯上有利な住まいと言えます。
 ②住まいの内部と外部(中庭)が一体となり、住まいが実際以上に広く感じられます。
 ③プライベートを確保しつつ中庭を通して明るく開放的な住まいができます。
 ④中庭も住まいの中心となり、第2のリビングとも言える屋外空間が生まれます。

第一案

2007-11-02 22:50:52 | Weblog
 素人は第一案がダメならすぐ次の案を考えますが、建築家の方はやはり最初の案に結構、思い入れがあるようです。というか、意見を言い出すときりがないので、どこかで案をまとめようとしているのかもしれません。だって商売ですから、たたき台があって、それを少しずつ訂正しながら意見をまとめるのが一番効率がよいやり方です。
 なんとなく案がしっくりこないのですが、どこがどうなれば良くなるのかは素人には皆目検討がつきません。でも、しっくりこないのは確かなのです。といって、まったく違う案を提出してもらうには、どこすればよいのやら・・・

システムキッチン

2007-11-01 00:07:32 | Weblog
システムキッチンのシステムとは、それぞれ家の調理に合わせて、流しからレンジ、戸棚、調理台から内部の棚板に至るまで、それぞれ別々のメーカーのものを組み合わせることができるシステムである。多種類少量生産のヨーロッパが考え出した各社共存と、そしてユーザー側発想のうまくバランスした方法であった。 いろいろなメーカーから自由にそれぞれを選びたい・・・・という消費者の要求に対して、ようがすと答えたのがヨーロッパのシステムキッチン。そこで、ヨーロッパではそれぞれのメーカーがその全製品を他社の製品と組み合わせができるように、寸法からディテイルに至るまでを揃えたのである。

宮脇檀の「いい家」の本 (PHP文庫)より

 これに対して日本のシステムキッチンは、見栄えだけ良くして、後は我が社の商品をできるだけ多く買い揃えて下さいという風に置き換えてしまったのです。日本人の商魂というのは、どこまでたくましいのでしょう。それにしても「敗戦」を「終戦」として受け入れてしまったように、どうして庶民はこうまで上手に騙されてしまうのでしょうか?