【鉄道写真・撮り歩る記】

1981年から全国を周って撮り歩いた記録。
(国鉄・JR・私鉄・保存…等)     

一畑電車 №4

2006年12月28日 12時28分29秒 | 私鉄 西日本地域
それでは最後にイベント用を除いて現有の車両です。
当面はこのメンバーが活躍するんでしょうネ。

2100型(京王5000型) 言わずと知れた京王5000型。各地に走っています

3000型(南海21000型) 山から降りて?頑張ってます

5000型(京王5000型) 一畑の看板車両ですが、2100型と出所は同じです。

京王の5000型が来た時は「ココもカァ~」と思って見てましたが、
富士急と同じく3扉のままと2扉に改造されたのが有りますネ。もっとも此方はロングシート
のみですが…。でも5000型が登場しましたから、その辺の役割は此方なんでしょう。
んで…5000型はお顔が改造されましたが、貫通扉を埋めて・真ん中にライトを付けると、
結構丸いデザインになりますネ! 普段は2100型と共通運用なんでしょうか?
南海からの3000型はロングシートのみ来てますが、南海時代と変わらずで何より
固い乗心地・台車の軋み音、そして室内灯が3列なのがネェ
これにて【一畑電車】は終了です

一畑電車 №3

2006年12月27日 16時56分12秒 | 私鉄 西日本地域
今日はつい最近まで走ってました旧西武の車両です。この辺だと御存知でしょ?
こうやって各地の地方私鉄を取り上げますと、西武車両は彼方此方有りますネェ
塗装以外は差ほど改造はされてないから、そりゃ模型の題材になりますわネェ。

80型(西武451型) 下回り流用でボディ新造の国鉄通勤型のタイプ。

90型(西武551型) 西武流湘南型これも機器流用。

60型(西武551型) 上記の両運型。一畑に来た時改造。今年久しぶりに走りましたが…

この西武の車両は新しいにもかかわらず、当時の大量増備か?程度が良いとは感じませんでした。
昭和30年代に釣り掛けだしネ。一気に車両数が必要だったんでしょう。
これらは一畑近代化で殆ど無くなりましたが、つい最近永い眠りから覚めたように
90型が最後の走行を見せました。コレで基本はカルダン駆動のみとなりました。

一畑電車 №2

2006年12月26日 12時12分18秒 | 私鉄 西日本地域
次にアップしますのは良く似た顔の電車です。
何と申しましょうかァ~、この手のコメントは難しいですネ

30型 何処からかの譲渡車だと思いましたがオリジナルですネ。次と顔が変わらんから…

70型(西武301型) 長らく花形で特急として走ってました

クハ100型(西武クハ1231型) 両運の20型と連結されてました。

30型は撮影時に運用されていたかどうか?諸々の詳しい事は分かりません。
70型は松江温泉~出雲市間の特急で活躍しました。クロスシートが付いてました。
この手の路線距離は如何な装備でも特急が有るのは助かります。
窓割りとシート感覚が合ってなかった記憶が有りますが
クハ100型は両運の20型を本線仕様の為に連結運用されてました。
コレも大人しいデザインですから、何とも言い様が無いですナ

一畑電車 №1

2006年12月25日 13時23分28秒 | 私鉄 西日本地域
山陰に唯一残る私鉄で以前は『一畑電鉄』と呼ばれた【一畑電車】です。
何か名称変更がピンとこないなァ~…電車ってなのもネ。
以前は日数稼ぎで夜行の急行・だいせんで行きましたが、今だと新幹線+やくもですか
出雲大社が有ると言うだけで、雰囲気が何とも神々しいかナ?

デハニ50型 今もお座敷電車で現役 手動扉が凄いですネェ

1型 デハニを3扉・自動ドア化しました。大社線専用みたいな使われ方でした。

20型 コレもデハニを2扉・2両編成化したものです。顔は同じですナ

現在の一畑は車両の置き換えも済み、両拠点の駅等施設面も整備されました。
今行くと随分印象が変わったんでしょうネ。初めて訪れた時は松江駅よりタクシーに乗って
松江温泉駅から行きましたが、チョッとこの手の接続は面倒ですネェ
さて電車の方ですが、エバーグリーン賞を獲得したデハニは書いた様に「手動扉」
動いてる状態では見ていないけれど、当時は予備運用らしく塗装が少々くたびれてますが、
現在は「お座敷電車」で綺麗に整備されてます。定期運用されてるのかな?
1型は乗ったのも・冊子の写真で見るのも、主に大社線でワンマン運転されてました。
20型は変わりに?2両編成に組成されて本線で活躍してました。コレ…クロスシートでしたか?
ロングか定かじゃ御座いません 少々古い事なんでネェ~

筑波鉄道 №3

2006年12月21日 08時41分15秒 | 私鉄 東日本地域
では最後に国鉄からの譲渡車です。炭鉱系の目ぼしい車両が無くなれば、見込めるのは国鉄からの
車両となりますネェこの辺は機器面で大きな差が無いから、保守が有利なんでしょうか?

キハ820型(国鉄キハ10系) キハ04系の次の廃車はコレですから車体が低い。

キハ30型(国鉄キハ30系) キハ20系で無くロングシートのコレが来るとは…廃車時期で?

キクハ10型 2エンジン車に牽かれる為に存在してましたが…

昭和50年代後半頃からキハ10系→キハ20系の流れで各地へ譲渡されましたが、
筑波鉄道は関東鉄道絡みで導入してたんでしょうか?関鉄ではキハ10系も20系も機器は使われてたけど、
ここではキハ20系は無くてロングシートのキハ30系でしたからネェ。
その後に関鉄へは大量にキハ30系が導入されましたから…
廃線後にはキハ821型は流石に廃車でしたがキハ30系は関鉄へ行きました。
キクハはこの時はもう使って無かったかな?

廃線後も土浦駅を通る度に筑波鉄道ホーム跡を見たりしましたが、土浦駅が賑やかなのが
何とも皮肉に思えてしまいますネェ。地方では車の方が便利だものネ

筑波鉄道 №2

2006年12月20日 16時04分11秒 | 私鉄 東日本地域
続いて第二弾ですが、もう全てが譲渡車となります。

キハ541型(北陸キハ5301型) バケット付でありながら割と製造年が新しい

キハ760型(雄別キハ49200Y型) 国鉄より先に出た?液体式気動車。コレも台車が古い

キハ810型(雄別キハ100型) 内容が国鉄キハ20系と揃いました。コレ事故車

関東近郊のローカル私鉄は北海道の炭鉱系からの譲渡車が多いですネェ。
景気の良い頃に発注したものの廃線となりましたから、程度の良い車両確保に最適だったのでしょう。
しかし車両によっては窓が小さくて室内が暗かった気が…
北陸鉄道から来たのはバケット付で古臭いデザインだけど、これは昭和30年代の車両のはずです。
北鉄・羽咋線はバケット付が他にも有ったみたいです。

筑波鉄道 №1

2006年12月19日 08時48分23秒 | 私鉄 東日本地域
賑やかな土浦駅の片隅から出ていた、今は無くなった関東鉄道系の【筑波鉄道】です。
この頃は地方私鉄の幾つかが廃線の憂き目にあってましたっけ…
沿線開発が進んだ親会社の関鉄の車両はロングシート化が進んでいましたが、
同じ車両でも此方は筑波山観光?の意味も有ってクロスシートが中心でしたネ。

キハ460型(国鉄キハ04系) 唯一原型で残ってましたので、間も無く鉄道博物館へ!

キハ500型 関東鉄道・筑波線時代からのオリジナル。勿論クロスシートのまま

キハ510型(江若キハ5120型) 滋賀より興し入れ。私は現地で見てない世代です

【筑波鉄道】は結局一回きりの訪問でした。写真を見ればお分かりの様に今の時期に行ってました。
全部日差しが「冬」っポイオレンジ色ですが…今ではこの時期に行かないけどネ。
土浦のホテルを朝に出て一駅先の車庫を巡ったダケでした。
キハ460型は全国で唯一原型で残った国鉄キハ04系です。廃線後は有志の方々で保存されてましたが、
この度は「原型」がポイントとなったか?大宮の鉄道博物館行きとなりましたネ
キハ500型は関鉄にも走ってましたが、アチラはロングシート化されました。
キハ510型は江若鉄道廃線後に来たみたいですが、車体は割りと新しい感じが見受けられるけど、
TR-29型?の板バネ台車が付いてて少々バランスが…。江若の車両はチョッとデザインが不思議です。

上毛電鉄 №2

2006年12月05日 12時34分22秒 | 私鉄 東日本地域
それでは【上毛電鉄】の後半ですが、勿論他社からの譲渡車ばかりです。

230型(元西武351型) 昔も今も西武は各地へ第二の職場へ行かせてます

310・350型(東武3000系) ボディは同じでも床下機器違いの2形式が有りました。違いが分からぬ

700型(京王3000型) 現在の車両。ステンレスボディ・冷房付ですから当分頑張るでしょうネ。

230型は西武新造オリジナルボディの17m?M車と、旧国20mトレーラーの2連で活躍。
それぞれの長さ違いの対比がアンバランスで面白かったです
旧国の方も撮ってたけど、逆光でボツにしてしまいました
東武からの車両の310・350型は同時期の導入では無かったみたいです。
ボディは同構造ながら機器違いで、東武時代も形式が違ってました。
350型が後から入ったのを知りました。よって撮る気も無く既に廃車となりました。
700型はコレも彼方此方で活躍している京王3000型で、それぞれの私鉄で独自カラーで活躍してますが、
都会で走っていた雰囲気も案外馴染んで消えるもんですネェ

上毛電鉄 №1

2006年12月04日 14時44分00秒 | 私鉄 東日本地域
今日は群馬県の一私鉄【上毛電鉄】です。大阪から行くには結構行き辛い場所です
大体大阪と群馬って余り関連が有る地域で無い気がするけども、でも?大阪~高崎間に
高速バスが走ってますから、需要は有るんでしょうかネェ

100型・非貫通 旧塗色時代の撮影です。コレはこれで私鉄カラーで結構!

100型・貫通 これは現行塗装ですが、原色なんでしょうか?

170型 一枚目と同じ時期に留置されてました。この時はもう廃車だったんでしょう

高崎までは幹線の最寄り駅ですから行き易いのですが、そこからチョイと前橋まで足を伸ばす…
て言うのが、旅行予定のネックになったりしてました。それにJRに近接してなかったしネ。
100型は一番古いオリジナル車と言いつつ、譲渡車よりも長生きしています
170型は既に廃車然で留置されてました。今は100型のもう一両が同じ状態で置かれてます。
この頃は撮影駅は大胡で決めてたんだけど、他に良さゲな対向式ホームの駅が有る様な…。
考えたら最近は一斉に車両取替えをするから、実際の撮影に費やす時間は知れているのにネ。

しなの鉄道

2006年12月01日 12時34分56秒 | 第三セクター
長大な・しかも幹線の信越本線の一部を、新幹線の開通で第三セクター運行している【しなの鉄道】です。
途中に上田・小諸と割と大きな街が有りますけどネェ何か赤字が云々と言われてたけど、
最近はどうなんでしょう? 最初の頃はステンレスカー導入を見込んで車両の塗装を決めたそうですが…。

115系 JR時代の色以外はそのまんまです もう全車塗り替えたのかな?

169系 通勤時以外は軽井沢付近でしか見られませんネ。最後の直流・急行型か

新幹線開通後の三セク路線は【しなの鉄道】以後各地に出現しましたが、如何に幹線とは言え
経営状態はどんなもんでしょう?しかし国鉄・JRの頃の繁栄ぶりと比較して、
新幹線の駅が出来なかった元特急停車駅のヒッソリ感が何ともネェ
さて車両の方ですが、撮影当時はまだ旧JR色が大半で撮るのに若干待たされたりもしましたが、
現在は全部しなの色にされているんでしょう。115系は乗ってしまえば何ら変化無し。
169系はワザワザ新幹線に乗って撮りましたが、帰りは高いタクシー代を払って碓氷峠を周りながら、
横川の保存施設と兼ねて行って来ました途中旧熊ノ平駅も見られて
中々の道中でしたが、¥7,000位使ったかな?一駅間の距離を調べて無かったのが失敗でした