ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

『特別支給の老齢厚生年金』を請求する

2024年09月15日 | 日記B

板橋年金事務所に行きました。
自分の用事で行くのは初めての様な気がします。

数か月前に年金事務所から届いた緑色の封筒で、自分が「特別支給の老齢厚生年金」を受け取る年齢になったことを知らされました。
特別支給というのはこういうことです。
昔は60歳になると年金をもらえていました。でも昭和60年の法律改正でそれが65歳からに引き上げられました。
60歳で年金をもらえるつもりでいた人が、いきなり5年間支給開始が遅くなるというのはさすがにまずい。
それで特別支給という形で減額になる分の金額を補填される訳ですが、生まれた年によって補填の時期や金額が変わります。

今考えれば60歳からくれよふざけんなよバカヤローという話なんですが、昭和60年といえば1985年で私は25歳。
会社に入ったばかりで長時間労働に追われながらも、バブル最盛期に向かう日本のトレンディなサラリーマンでした。
年金の支給年齢が変わることなんてまったく知りませんでした。自分が年金を払っているという自覚すらなかったかも。

それから40年近くが過ぎ、結局この年になっても年金のことはよく知らないまま老人になってしまいました。
ちなみに私の生まれ年が含まれる昭和34年4月から昭和36年4月生まれというのが、この補填分の金額を受け取れる最後のグループです。
64歳から1年間の支給ではありますが、もう1年生まれるのが遅かったらそれもなかったことになるので、ちょっとうれしい。

午前9時過ぎの年金事務所は私以外に誰もいなくて、書類を提出して10分ほど待っていたら書類に不備もなく無事に受理されました。
支給は来月から。若い頃から夢に見ていた年金生活がいよいよ始まるということか。
でも、その後に始まる本番の年金支給はちょっとだけ遅らせるつもりでいます。
支給開始時期を遅らせると、毎月もらえる金額が増えます。そのかわり死亡するのが早ければもらう総額は減ります。

「年金はいつからもらうのが得?」https://moneiro.jp/media/article/pension-timing#h85eed471e5という記事にシミュレーションをまとめた表がありました。

男性が85歳で亡くなるとした場合の計算です。なぜ日本人男性の平均寿命の81歳にしなかったのかは謎ですが、参考にはなります。
65歳で受給始めて85歳で亡くなった場合の総支給額は3800万円。
70歳で受給始めて85歳で亡くなった場合の総支給額は4000万円。
75歳で受給始めて85歳で亡くなった場合の総支給額は3500万円。
ということで、平均寿命通りの人生の場合は70歳で受給開始するのが一番「得」だということでした。
65歳を中心にしてマイナス300万~プラス200万の違い。パーセンテージで言えばマイナス7.8%~プラス5.2パーセント。
何を選んでもそれほどの差額ではないように感じてきました。そんなにがんばって考えるようなことじゃないですね。

沖縄旅行をいいお天気にしてくれた谷津観音様にお礼参り。
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台風11号Yagiに翻弄される

2024年09月14日 | 日記B
これを書いているのは9月3日の昼です。
2日後の9月5日から5年ぶりの沖縄旅行の予定です。これがアップされるのは旅行後になるので「予定でした」ということか。
春の滋賀旅行と同じようにRさんが女子ゴルフの試合を見に行きたいという事で企画が始まりました。
海辺のコテージ、一部屋が我が家より広いリゾートホテル、知らない島のプチホテル、とリサーチを重ねて宿選びにも凝りました。すごく楽しみです。

あとは、お天気さえ何とかなってくれれば。
YAHOOの天気予報は出発一週間前には快晴ではないものの、まずまずの旅行向きの予報でした。
夏の沖縄なので多少は雲があってくれた方が良い。

8月29日21時


その翌日に、フィリピン沖発生していた熱帯低気圧が台風11号になるかもという予報がでました。
日曜日に雨マークが。でもこれは帰る日だからまあいいや。

8月30日10時


8月31日になると雨マークの方が多くなってしまいました。やめてー。

8月31日5時


そして熱帯低気圧は台風11号となりました。日本が名前をつける順番で「Yagi(山羊)」と命名されました。ヤギとメェメェされましたってダジャレか。

9月1日15時


出発4日前。怒涛の大雨マーク。これはキャンセルも検討しなければならないか。
最近のキャンセル料は発生するのも早くて、この時点でキャンセルしても総額の50%程度は支払い義務が生じています。うみゅー。
休日だったので王子神社まで本気の晴乞いをしに行きました。

9月2日5時


翌朝の予報ではさらにひどいことになっていました。
この予報では旅行を断念せざるを得ないか。
でも私はまだ望みを捨ててはいませんでした。

9月2日5時


なぜなら気象庁がやっているTenki.jpの予報↑がまったく違っていたので。
台風11号も10号同様にかなり進路予想が難しかったようで、日本の方に向かってくるのか、西に大陸を目指すのかわかっていませんでした。
天気予報は普段はYAHOOを見ますが、大事な場面ではTenki.jpとWether Newsも併用して検討します。
いつもはYAHOOが楽観的予想でTenki.jpは雨が多めの悲観的な予報が多いのですが、今回はなぜか逆転している。
それに望みをかけて見ようと思ったのでした。

9月2日7時


翌朝見るとYAHOOの予報から大雨マークがなくなっていました。
ヤギの野郎は日本には向かわずにさっさと西向きになったようです。とりあえずよかった。
しかし勢力がかなり強いので沖縄に影響が出る可能性もうあると言われています。

というところで、この1週間あちこちの天気予報を見ながらヤキモキが続いていて本当にメンタルによくありません。
たかが夫婦旅行でこれだけドキドキするなら、天気と生活が密着している農家の方たちはどれだけ大変な毎日か。
願わくばRさんが喜瀬でゴルフ観戦する予定の6日だけでも雨が降らずにいてくれれば、他ははどうなってもかまいません。そんな気持ち。

でもきっと晴れるんじゃないかと思っています。
旅行時の晴れ率92%。どんなに雨の予報でも私たちが行く先々だけがなぜか晴れるという体験を数えきれないほどしてきた晴れ男の私です。
きっとうまくいく。そう信じてこれを旅行後に予約投稿しておきます。さて結果やいかに。

【後日談】
ということで、昨日までで4日間の旅行記を書き終わりましたが、結果としては好天に恵まれてすばらしい旅行になりました。
ありがたいことです。
「晴れ男」みたいな言葉を使うと「単なる確立と偶然によるもの」と言われることもあるのですが、その通りかもしれません。
実際に過去の統計による「旅行地ごとの昼間の雨が降らない確率」と私の旅行における雨に降られなかった率を比較してみたい気もします。
まあでもそんなのどうでもいいか。これからもマジメに生きてこの幸運が続くことを祈ろう。

帰りの飛行機から見た那覇空港。
この後、日~水と雨。木曜が晴れで、週末は次の台風の影響で大雨だそうです。
なんかすいません。
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はいさい沖縄2024④伊計島~瀬長島

2024年09月13日 | たびたび旅

伊計島で迎える4日目、沖縄最終日の朝。朝食が8時と遅めだったのでお散歩に。イツクマの浜は波も静か。

放し飼いのワンコに吠えられているところ。この後出て来たもう一匹と共に右の家から出てきた飼い主のお母さんに抱っこで回収されて行きました。かわいかった。
伊計島は100世帯、人口230人。家屋の数だけ見るともっと多いような気がしますが空き家も多いのかも知れません。

伊計島漁港前の堤防。自転車で釣りに来た少年のお目当てはイカだそうです。

呼ぶとすぐにやってきた美猫。

とりあえず積める物を積んで石垣に。

はなりびらの理想的な朝食。美味しかった。

宿の前で記念写真。お世話してくれたのは二日間一度も笑顔を見せなかったお兄さんでしたが、仕事は丁寧で部屋の清掃なども念入りにやっていることが分かりました。

再び海中道路で本土に戻ります。これは道の駅ならぬ「海の駅あやはし館」の歩道橋から撮影。

行きに寄れなかった安慶名城跡へ。高い石垣の下に安慶名闘牛場。闘牛が盛んな沖縄の中でも特に熱心なのがうるま市。
2005年に近代的なドーム型の闘牛場が作られた後でも、安慶名闘牛場は闘牛の聖地としてファンの心に残っています。現在でも年1~2回闘牛が開催されます。

高速道路で那覇へ。10年前に宿泊した瀬長島に来ました。当時は開発の真っ最中で島中工事中でしたが1年後にウミカジテラスが開業して一躍人気観光地になりました。
島の上の展望台には着陸直前の飛行機を撮影する人たちが集まっています。私の写真にはJALを迎撃に向かう赤とんぼが写り込んでいました。

展望台から見る瀬長島の砂浜。あの小舟はなんだろう。

レンタカーを返す豊崎へ。「那覇空港から一番近い楽園ビーチ」として2022年に開業した「豊崎美らSUNビーチ」がある豊崎海浜公園で最後の撮影。

豊崎から那覇空港まではレンタカー屋さんのバスで20分。早めに返したので那覇空港で2時間近く時間が余ってしまいました。
行きたかったところもうひとつ行けたなと後悔もありましたが、時間に焦るよりはずっといいか。なんくるないさと最後にジューシーにぎりとポテトとオリオン生。
これにて4日間の旅日記終了。

2024年沖縄夏旅のまとめです。
羽田 7:30
那覇 10:00

1日目
ニッポンレンタカー那覇空港豊埼営業所
(昼食)いしぐふー小禄具志店
沖縄平和祈念資料館
首里城公園
第一牧志公設市場
(一泊目)たびの邸宅沖縄今帰仁
(夕食)北山食堂18:00

2日目
Rさんかねひで喜瀬カントリークラブへ送り(45分)
古宇利大橋
今帰仁村中央公民館
波羅蜜
今帰仁城
備瀬のフクギ並木
(昼食)きしもと食堂
瀬底大橋
名護市市庁舎
(二泊目)AQUASENSE Hotel & Resort
(夕食)沖縄炭火料理店うむさんの庭18:00

3日目
残波岬公園残波岬灯台
やちむんの里
(昼食)金月そば
海中道路
大泊ビーチ
(三泊目・夕食)はなりびら

4日目
安慶名闘牛場
瀬永島ウミカジテラス
豊崎海浜公園
12時ニッポンレンタカー那覇空港豊埼営業所
(昼食)空港で

JAL 912
那覇 13:55
羽田 16:30
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はいさい沖縄2024③読谷村~伊計島

2024年09月12日 | たびたび旅

朝起きてからベランダのデイベッドに移動して海風を楽しんでいたら雲の高い所に短い虹が見えました。彩雲じゃなくて雲の手前に虹。きれい。

朝食は部屋でコンビニサンドイッチとヨーグルトとコーヒー。アクアセンスのレストランは中華料理。朝食も中華バイキングです。昨夜あれだけ食べて朝から中華は無理~。

2度目のジャグジーに入っていたらまた虹が見えました。今度のは部分じゃなくてフルサイズです。
手前の砂浜の電信柱の根元から虹は始まっていました。虹をこんなに近くに感じたのは初めてです。

そして虹の反対側の根元は海の中でした。虹の始まりから終わりまで全部を見たのは初めてかも。幸先良い感じのスタートになりました。

初めに向かったのが読谷村残波岬。
30年くらい前に、沖縄に初めて泊まったのは岬の先にある残波岬ロイヤルホテルでした。三日間台風で身動きできなかったその時の辛い思い出を今日の晴天で吹き飛ばす。

灯台の周辺の岩場には釣り人がたくさん。20m以上ある絶壁の縁に立って竿を振っているんですが怖くないのか。よろけて1m前に出たら確実に海に落ちます。

タイマーセットで記念写真。すでにかなり暑かった。日除け止めをたくさん塗っています。

続いて向かったのがやちむんの里。昭和49年に那覇市が薪を使った窯焼きを禁止したことで、読谷村に多くの陶芸家が集まるようになりました。
読谷村には70を超える工房がありますが、そのうちやちむんの里と呼ばれるエリアには19の工房が集まっています。
こちらは村の中央にある登り窯。年に4回火が入れられるそうです。

工房の建物も興味深い。このつっかい棒は建てた最初からあったのかな。

観光用のテーマパーク的な「村」を想像していましたが、そうではなく最初に読谷村に移住した名工・金城次郎さんの近くに自然と他の職人が集まってできた村でした。

こちらは泡ガラスの工房。陶磁器だけではありません。

お店もたくさんあってどのお店で何を買うかすごく悩ましい。

今回は7寸の鉢と小皿を2枚買いました。本当は7寸の平皿を買いたかったのですが、やちむんは普段使いするにはどれもこれも重量がありすぎます。
高齢になると重い食器って自然に手に取らなくなるんですよね。落として割りやすいし。デザインは好きなのがたくさんあったのに残念。

続いて車で10分ほど移動して金月そば(きんちちそば)。初日にいしぐふーを紹介してくれた『私の好きな沖縄そばの世界』で3番目の高得点だったお店です。

普通のそばと担々そばをいただきました。言うまでもなくどちらも美味しかったです。参考にしたサイトの主はあっさり目が評価高いようです。

東シナ海に面した読谷村の観光を終えて今度は太平洋側のうるま市方面に。沖縄本島から延長5kmの海中道路で3つの離島を次々に渡って行きます。
海中道路は堤防の上の道路なので両側はずっと海。その風景を撮ろうと助手席でRさんが頑張りましたが難しそうでした。こちらは平安座海中大橋(280m)。

途中で見えた美しい浜比嘉大橋(900m)で浜比嘉島へ渡ってすぐ戻る。

平安座島(へんざじま)、宮城島を過ぎて伊計大橋(198m)を渡って伊計島へ。島に渡って10分で大泊ビーチへ。
沖縄は今回で9度目になるんですが、来るのはたいてい秋から春でした。初めて暑い季節に来るのだから一度くらいはビーチで遊びたかった。

手作り感満載の海の家で一人500円を払ってビーチに入ります。

砂は太陽で焼かれて裸足で歩けません。とても日除けなしで過ごせそうになかったのでレンタルテントを借りました。

長さ600mの美しい砂浜。(Rさん撮影)

砂はやわらかくてすぐに足が沈んでしまいます。腰くらいまでの深さの場所でゴーグルをつけて潜ると足の周りに白い熱帯魚がたくさんいました。

資料写真。沖縄トラベルさんサイトの大泊ビーチ写真を引用。https://okinawatravel.jp/oodomaribeach 水深1mでだいたいこんな感じでした。

ウサギになって戯れる私。(Rさん撮影)日焼け怖いので長袖モンTを着ています。短い時間でしたが海水浴ちゃんと楽しみました。

大泊ビーチから10分ほどで本日の宿、「はなりびら」に到着。部屋数4つのプチホテルもしくはペンションです。

なかなか凝った建物でした。お部屋も天井が高くて海が見えて素敵。でも事前にエアコンを入れておいてくれなかったので部屋に入って2時間ほど暑くて困りました。

テラスには露店風呂。

夕食まで時間がたっぷりあったので伊計島の集落を散歩。宿から5分ですぐに小さいけれどきれいなイツクマの浜がありました。
わざわざ大泊ビーチに行かなくても宿で着替えて来ればここで充分海水浴ができたような気もします。

島の共同売店。

古そうな石垣が無数に見られます。ここは建物は無くなって石垣だけが残る場所。

はなりびらの夕食と建物内写真少々。お母さんがひとりで作っている食事が抜群に美味しいことで知られる宿です。

夜のはなりびら。三日目はここまで。
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はいさい沖縄2024②本部半島周回~恩納村

2024年09月11日 | たびたび旅

沖縄二日目。朝食はコンビニで買ったポーク玉子おにぎらず。
最近一泊2食付きの旅館で、朝ご飯の量が多いことが苦になり始めていました。前の晩に普段よりかなり多めに飲食して、その翌朝に絢爛豪華な朝食はちいときつい。
特に近年は、宿の人気が朝食の良しあしで決まることも多いそうでそれぞれの宿が多めの品数を提供することが多いので尚更。
ということで朝はこんな感じで充分です。旅行中の体重増加が抑えられるしお財布の節約にもなるし。副菜にパイナップルのヨーグルトとコーヒーでした。

6時30分にコテージを出て本部半島の中央を突っ切って名護の喜瀬カントリーへ。昨日から4日間開催される日本女子プロゴルフ選手権を観戦するRさんを送りました。
このパターンは4月の滋賀旅行と同じです。今回もRさんの「9月頭に沖縄で女子ゴルフが見たい!」という声から旅行計画の始まりでした。
Rさんは「推し」の選手応援用の旗を手作りして気合が入っています。いいことだ。暑さに気を付けて楽しんでね。

ということで今日は午後まで別行動。私は沖縄本島最大の半島である本部半島を周回して、離島や橋を見て回ります。
まず本部半島の根元から羽地奥武橋で奥武島。そこから屋我地大橋(300m)で屋我地島へ。

袂に水際に下りられる場所があって橋の全景を眺められます。

屋我地島から古宇利大橋(1950m)。2014年の旅行で同じコースを辿っています。

沖縄でナンバーワンの人気を誇る美しい橋ですが平日の8時過ぎなので車もまだまばらです。

ミュージアムやカフェレストランのある展望施設、古宇利オーシャンタワー。展望台から見る橋がきれいなようですが営業時間前でした。
直径2km足らずのまん丸な古宇利島をそのままぐるっと一周。yamap地図へのお絵かきも大事な目的です。

古宇利島から屋我地島に戻り、島の西側から本部半島に渡るワルミ大橋(315m)。。2010年に完成した新しい鋼管上路アーチ橋。アーチ橋としても日本国内で5番目の長さ。

ワルミ大橋のアーチ中央部から見るワルミ海峡。橋の下に2,000トン級の船舶を通すために高さを出せる上路式RC固定アーチ橋が採用されました。
これを渡った先から本部半島を反時計回りに進みます。

立ち並ぶ赤い柱が特徴的な今帰仁村中央公民館。1975年。この後見に行く名護市役所と同じく象 設計集団。

今帰仁村中央公民館のすぐ近くにあるカフェ〈波羅蜜〉。1年以上前にカーサブルータスの記事で見ていつか行ってみたいとメモしておいたところ。
しかし残念ながらこちらもオープン前で美しい店内を見ることはできませんでした。

今帰仁村の北端辺りでちょっとハンドルを切って海岸方向に向かえばこんな場所が無限に見つかります。

今回は城(グスク)を見て回る予定はありませんでしたが、今帰仁に宿泊したので今帰仁城だけは寄ることにしました。
これは10秒タイマーをセットして看板の前で写真を撮ろうとしたのになぜか後ろ姿を激写されてしまった私。

2014年に見た時に崩れていた部分もきれいに修復されていました。

志慶真門郭に下りる階段も以前より立派になっていました。前回ははいらなかった今帰仁歴史文化センター(資料館)も見学して10時過ぎに一旦コテージに戻り。
チェックアウトが11時だったのでシャワーをして涼しい部屋で小一時間休めたのは良かった。チェックアウトも機械を使った非対面です。

次に向かったのがきしもと食堂。過去に食べた沖縄そばの中では一番美味しかったという記憶ですが、それもすでに10年以上前のこと。
今食べたらどんな感想になるか楽しみにしていきました。11時7分の入店。けっこう人はいましたがすんなり座れました。

そば(小)800円とジューシー350円。ああ、やっぱり美味しい。昨日のいしぐふーは上品すぎる薄味でやや物足りなかったけどこちらはがつんと直球勝負。
麺がこんなに太かったことは完全に忘れていたようでした。とにかく美味しいしお店のお姉さんの働きぶりも〇。日本最古の沖縄そば店らしい店構えも完璧。

少し北に戻ってまあまあ有名な観光スポットである「備瀬のフクギ並木」。100年前に備瀬の集落に防風林として整備されたフクギが約1kmに渡って並木道を作っています。
この前にかなり強い雨が降ったようで未舗装の道に水が溜まっていて自由に散策はできませんでしたが、密集した並木は美しかったです。

フクギ並木のすぐ後ろはきれいな砂浜でした。沖に見えておるのが伊江島。本部港から30分で行ける離島です。
島の中央の城山は伊江島タッチュー(タッチューは方言で尖ったものの意味)と呼ばれていて階段の登山コースが整備されているようです。いつか登りたい。

南側に見えていたきれいな砂浜に向かっていたら直前に柵で侵入できなくなっていました。沖縄記念公園の一部で、有料のエメラルドビーチという人工浜でした。

瀬底大橋に向かっていたらものすごい雨に。あっという間に道路に水がたまるので近くのセブンに避難しました。
これは運転席からフロントガラス越しにセブンの看板を見上げている所なんですが雨量が多過ぎてわけのわからない眺めになっています。こういうのも面白い。

瀬底大橋(762m)。1985年完成。両側は連続箱桁橋ですが中央はニールセンローゼ桁(アーチ部材と補剛桁の間に斜めに張ったケーブルを配置)です。
橋の中央部で工事中片側対面通行になっていて写真を撮れたのは良かったのですが、暴風で車が吹き飛ばされないかドキドキしました。

名護に入って名護市役所。今帰仁村中央公民館と同じく象設計集団。1981年。沖縄を代表する有名建築ですが老朽化で解体、建て替えという方針になりつつあります。
名護市役所と今帰仁村中央公民館は後日別項で描きます。

暑さの中で推しの選手について回って、選手本人やそのお母さんとまで話ができたと嬉々とするRさんを喜瀬でピックアップ。
2日目のホテルは2022年4月に開業したばかりのAQUASENSE Hotel & Resort。海に突き出したシェラトン沖縄と国道を挟んで反対の丘の上に建っています。

一番の特徴は広いプールとデッキ。専用階段で砂浜にも降りられるのですが、ここに来たらプールで楽しみたい。

二番目の特徴は部屋の広さ。一番リーズナブルの低層階のオーシャンテラスルームで広さは74.03平米。恥ずかしながら住んでいるマンションより大きいです。

全室オーシャンビュー。高台にあるので低層階でも眺めは良いです。広いベランダには全室ジャグジーとデイベッドがあります。夕食前に汗を流す私。

今回も素泊まりだったので夕食は外で。ホテルから5分くらいの場所に炭火焼料理うむさんの庭。
行きたかったローカル居酒屋ととんかつ店の2軒が予約できずにやむを得ずで抑えた食事処でしたが、美味しいし唄もありで抜群によかったです。しかも近い。

写真上左から
テラス席からは日没が見られます・とろとろ厚切り三枚肉炭火炙り(最高!)・海ぶどうと長芋梅醤油
牛ハラミBBQにんにくソース・18時50分日没。ちょっと雲に邪魔された・炭火牛タン(これは普通)
パパイヤとミミガー アーサたれ・海老・セーイカの海鮮ちゃんぷるー・厚切り三枚肉の炭火炙りそば

入口の所に大きな炭火グリルがあって、専任の方が絶妙に焼いた肉が席に運ばれます。
最初に食べた三枚肉炭火炙りがあまりに香ばしくてやわらかくて美味しくて、一気にテンション上がりました。最初はホテル客目当てのファミレス程度かと舐めていたのに。
余りに美味しかったので〆に同じ三枚肉がどーんと乗せられた沖縄そばを食べました。本日2杯目の沖縄そば。大満腹。
アクアセンス、カフーに泊るなら夕食としてお勧めできます。

ホテルに戻る途中でゴルフ場の横を通ります。ナイターやってました。

夜のプールはライトアップされてまた違う雰囲気に。2日目はここまで。
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はいさい沖縄2024①那覇~今帰仁

2024年09月10日 | たびたび旅

2019年5月の一人旅以来5年ぶり8度目となる沖縄旅行に行きました。7時30分羽田発のJALで。機体はJALの最新鋭A350-900 で快適な空の度でした。

那覇空港から迎えのバスで豊崎のニッポンレンタカーへ。4日間お世話になるHONDA FITを借り受けて最初に向かったのが、いしぐふー小禄具志店。

first沖縄そば。『私の好きな沖縄そばの世界』という膨大な数の店を紹介するサイトで、95点という最高得点で評価されているお店でした。
ソーキの下に玉子焼きが敷かれている独特のビジュアル。別添えの炙りソーキに味変用の追い鰹節やわさびなどがセットされたサービス満点のそばでした。出汁は上品な薄味。

今回、4日間走っていて高速道路やその他交通インフラ関係の工事がものすごく目につきました。こちらは那覇空港自動車道の建設現場。2026年度に開通予定です。

最初に見学に来たのは沖縄県平和祈念公園。太平洋に面した「平和の火」の周りに置かれた平和の礎には沖縄戦における全戦没者24万人余の氏名が刻まれています。

すぐ外側には摩文仁海岸の絶壁と大海原。沖縄戦で多くの人々が自決した喜屋武岬から6kmほど離れた場所です。どうしてもあの映像が脳裏に浮かびます。

同心円に並べられた平和の礎の更に外側に2000年に建て替えられた平和祈念資料館があります。

1995年に行われたコンペで6人の若手建築士が結成したチームドリーム共同企業体が作成したプランが最優秀として採用されました。
たくさんの赤瓦屋根は沖縄戦で失われた集落を表現していて、それぞれ瓦の色や形、葺き方に変化がつけられています。

展望塔から見る平和の礎広場。

静謐に並ぶ赤瓦の屋根。これが建てられた2000年からたった20数年で世界は遥かに平和から遠くなってしまいました。

続いて首里城へ。

1992年に本土復帰20周年を記念して首里城正殿が再建されました。その後も復元工事は続き27年後の2019年2月、御内原の公開を持って全園開園とされました。
しかしその8か月後の2019年10月に首里城正殿を含む建物8棟が焼損しました。
私が最後に首里城に行ったのが2019年5月末だったのでその貴重な完成した首里城を見ることができました。それだけに消失の報せは辛く感じました。
あの日から間もなく5年。一時は不可能かと言われた5度目の再建は予想外の速さで進み、現在は素屋根の下の工事現場を見学することができます。

御庭だった場所に建つ巨大な木材倉庫と木材加工場。

見学コースの入り口。

木材加工場では実物大の屋根のモックアップを製作していました。

正殿の赤瓦は左上のわずかな部分を除いて葺き終わっていました。5年前に見た赤黒い瓦よりも色味は朱に近く見えました。

東のアザナの展望台は前に来た時と変わっていませんでした。警備の人が次々に記念写真を撮ってくれていたので私もお願いしました。

5年前の写真と見比べる。そして2年後にまた行って見比べよう。

少し移動して那覇中心部、国際通りへ。

2023年3月に建て替えてリニューアルオープンした那覇市第一牧志公設市場へ。

昔の風情の片鱗もないと非常に評判の悪かったリニューアルですが個人的にはそんなに文句を言うほどひどく変わってはいない印象でした。
床と壁と天井がきれいになって、照明をも以前より明るくなってはいますが、個々のお店の素材やレイアウトはほとんど5年前のままです。
古い建物では不可能だった必要十分な清潔な環境が得られたことは将来のために喜ぶべきことと感じました。
国際通りに入ってからここまで耳に聞こえる言語の9割は中国語です。店員さんも中国語を話す人が多数。5年前から極端に変わったのは市場よりそこかな。

那覇から高速を使って本部半島の先端、今帰仁村までやって来ました。
こちらが一日目の宿の「たびの邸宅 沖縄今帰仁」。海岸近くに10棟の沖縄風コテージが並びます。

チェックインは令和風の非対面型。管理等の前のボックスを開いて、メールで受け取った暗証番号を入れると小さな扉が開いて鍵が受け取れます。

こちらが私たちの部屋、6号棟。基本的に料金に差もなかったので全て同じ大きさで同じ作りのようです。

玄関入るとダイニングとフルサイズのキッチン。

右側に4畳半の居間と6畳の寝室。

大きな洗面台とバスルーム。生活用品、家電、調理道具、食器など必要なものは全て揃っています。住めます。
地図で見た時に砂浜の海岸がすぐ裏にあったので泳げるかと期待したのですが、砂浜までの50mは草むらで、ちょっとハブが怖くて突き進む勇気はなかったです。

夕食は徒歩3分の場所にある北山食堂さん。尾野真千子さんと旦那さんが経営している居酒屋です。
実は7月のあさイチの尾野真千子さんがゲストの回でそのことを知って、元々予約していたリゾートホテルをキャンセルし、近くにあったコテージに乗り換えてたのでした。

昭和居酒屋と名がついている通りレトロな雰囲気。平日の6時くらいで満席になっていました。私はともかく他のお客も尾野真千子目当てなんでしょうか??

初日の夕食。写真上段から
タラチャンジャ・黒糖ラフテー・蛇口を開くと泡盛が出てきます。飲み放題1時間1,100円
もずくの天ぷら・尾野真千子はいなくてポスターだけ・タコスピザ
アグー餃子・お酒は赤星とオリオンジョッキ2杯と泡盛・入り口はこんな感じ
Rさんのお茶やアイスも加えて二人で7,140円でした。一日目終了~。
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渋谷駅周辺と夜のサクラステージ

2024年09月09日 | 渋谷ウォッチング

久しぶりにスクランブル交差点を渡りました。こんなところが世界有数の観光名所になったなんて今でも信じがたいです。
スクランブルスクエア2期工事が本格的に始まると見えている空は半分くらいに減るはずです。

西武百貨店B館の三井住友銀行が「Olive LOUNGE 渋谷」というのに様変わりしていました。
銀行の店舗をオープンスペースとして開放し、ワークスペースやスターバックス、イベントスペースでは金融セミナーなども開かれるそうです。
従来の様な支店としての機能は無くなりましたが、この場所はまだ手放したくはないようです。

MODIの5階のHMVで「不適切にもほどがある」のBlu-ray発売記念で衣装展示をやっているというので見に来ました。

撮影に使われた小物も展示。周りにいる若い人たちでこの展示を見ようとする人は一人もいませんでした。テレビドラマもクドカンも若い人には完全なオワコンです。
一番驚いたのはCDショップなのにCDが売られている棚がほとんどなかったこと。音楽を聴くためにCDを買うという行為も平成で終わった習慣のようです。
棚がなくなった分、フロアがスカスカに開いているので、さっきのドラマの衣装展示みたいなことをやって無理に隙間を埋めているような感じでした。

フクラスデッキから見る建設現場。工事が終わった後にこれと同じアングルで写真を撮りに来るんだろうな。俺には分かる。

どんどん小さく削られていく東急東横店東棟。

サクラステージ。前回この場所から写真を撮った時に2014年の完成予想図と比較したかったのにちょっと撮影角度が違っていたのが気になっていました。
こちらが正しいアングルです。

そしてこちらが2014年の完成予想。

サクラステージの地下1階の韓国酒場コッキオで小宴会。

タッカンマリのコース、飲み放題付で4,500円でした。おいしいし量も還暦のグループには充分すぎるほど多い、
でも一番気になったのは17時の入店から19時に店を出るまで他に一組も客が入ってこなかったことです。

帰りに2~4階のお店も覗いてみましたが本当に人がいない。

一番多くてこのくらい。お店はどこもおしゃれで洗練されているんですが。同じ時間のセンター街方面の異常な混雑ぶりとあまりに違い過ぎて驚いてしまいました。

いい感じの焼肉屋さんもガラガラ。
サクラステージは、人が少なかった桜丘方面に賑わいを呼び込もうとして生まれた企画です。街がなかったところに新しい街を作ったようなもの。
オープンから一か月ちょっとでいきなり人の流れが変わるということもないようです。
渋谷の中央改札、ハチ公口からスクランブル交差点に続く雑踏が苦手に人にとってはこのがらがらに空いた商業施設はけっこう使い勝手がいいかもしれません。
新南改札も空いているのでサクラステージから埼京線で帰るのもあっという間でストレスフリーでした。
これだけの設備投資をして高い家賃を払ってこのガラガラでいい訳はないので、1年くらいで人が集まらなければ店も撤退してゴーストタウンになる可能性もあります。
まだ評価を下すのは早すぎますが、最初っからやらなければよかったのではという疑念が少しだけ沸き起こりました。





にぎわいステージのライトアップ。
前回レポートした時にリンクした画像からもうちょっと華やかなのを期待していましたが、人がいないせいもあって意外と地味な感じでした。
さてこれから10年でどのくらい流動人口が増えるか。楽しみに見守ります。
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支那ソバ おさだ

2024年09月08日 | 食べ物のはなし

3年前にオープンするや否や板橋界隈でまたたくまに人気ナンバーワンとなったラーメン屋さん。
当初から何度か店の前まで行きましたが行列を見て断念。そのうち平日の空いたタイミングが来ようと思っているうちに店主の体調不良で休業に。
SNSなどで不定期で開業しているという噂は聞いていましたが、商店街のメインストリートから離れているせいもあって縁遠くなっていました。
この日は向かったラーメン屋さん「松どり」が休業日で2軒目に行った「こーちゃんも」臨時休業と不運続きで、その後ダメ元で向かったおさだにすんなり入れました。

うわさのワンタンメン。コクの醤油にぷっちぷちに歯切れの良い細麺。昭和風のチャーシューとつるんつるんのワンタン。その全てを優しく包む表面の油膜。
シナそば950円、ワンタンメン1,200円という今どきなお値段ですが、高いという気はまったくしませんでした。
この美味しさでこの味なら文句のつけようがない。働いている人たちもみんな紳士だし。
近年食べた1,000円以上のラーメンで唯一「お値段以上」を感じさせてくれる一杯でした。

店内こんな感じ。思ったより中は広くてテーブルも4つ?くらいあります。

お店の目の前はこの踏切。台風の後で久しぶりに夏らしく気温は11時半で33度。
7月から連続で35度以上39度未満をたっぷり体験しているので33度くらいではさわやかすぎてへそが茶を沸かします。
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2024初秋刀魚

2024年09月07日 | 食べ物のはなし

マルエツの鮮魚売り場で「生サンマ」の文字を見ました。今年初めてかな。
例年、初物の秋刀魚を見て「一尾500円!」と驚くのが恒例ですが、この日のは2尾で398円でした。ひょっとすると気づかなかっただけでもう初物ではなかったのかも。
身の太さもあって全体にずっしりしていたので期待していたのですが、期待以上に美味しくて感動しました。
充分な肴とおかずになって、飛び切り美味しい鮮魚が一尾200円以下だなんてありがたすぎます。

立派な大人なので最初に箸をつけるのはお腹です。焼きたての秋刀魚のお腹はトリュフやキャビアやマツタケの10倍美味い。
ここにフォアグラが入らないのはやはりレバー仲間でフォアグラも美味しいからです。
内蔵系が苦手な人もいるかもしれないので一応モザイクをかけておきますが、秋刀魚のワタの美味しさが分からない人はちょっとだけ見下します(笑)
そして秋刀魚のワタには絶対にきりっとした日本酒。ほとんどの肴は焼酎や白ワインでも代用できるのですが秋刀魚だけは日本酒が絶対条件です。
そんな凝った日本酒でなくても菊水くらいで充分です。

炊き込みご飯も美味しくできました。お米1合に対して醤油は大さじ1の塩分濃度。新しい炊飯器は前のよりおこげがよくできます。
お米あいかわらず売ってませんね。もうそろそろ新米出てくるといいな。
でもこれだけ渇望期間が長いと、少々店頭に出てもあっという間に買われてしまうような気もしますが。我が家の在庫は残り3週間分です。

表記にゆれがあると検索するときに面倒になるので可能な限り表記の統一を心掛けています。
秋刀魚に関しては秋刀魚という表記をしようとしていますが、ちょっと気を抜くとサンマと書いていることもあるようです。
試しにブログ内検索をしてみると「秋刀魚」が22件、「サンマ」が26件ヒットしました。サンマの方が多い⁈
でも細かく見て行くと26件の秋刀魚の中には、サンマーメン、サンマルティーノ教会、それと7回の「サンマルコ広場」が含まれていました。
さらに、先日Rさんが旧ブログから追加した記事の中で8回もサンマが使われていました。
ということで2011年3月にこのブログが始まった後だけで比較すると、秋刀魚22回に対してサンマは9回でした。びみょう。
「表記の統一を心掛けています」という割には揃ってなかったね。
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北区役所

2024年09月06日 | 建築&土木見物

10年後の令和15年頃を目標とした建て替え計画が進行中の北区役所。
公募型プロポーザルのプレゼンテーションの内容と、その結果松田平田設計案が交渉優先順位1位になったことは先日描きました。
それを書きながら、そういえば北区役所の庁舎の写真ってほぼ撮ったことがないということに気がつきました。
板橋区民なので役所そのものに用事がないにしても、定例散歩コースの途中にあって一番多くの回数、横を歩いている区役所なのに。
ということで先日のお散歩の時に初めてスマホのレンズを向けて見ました。こちらが都道から第一庁舎の入り口に入る部分。石畳になっていますがここもたぶん公道の一部。

1960年に建てられた第一庁舎。なんと私と同い年のポンコツでした。
そして驚くことに「設計者不詳」。ある人が区役所総務課に問い合わせたところ「記録が残っていない」という回答だったそうです。1960年ってそんな時代かー。
前回「学校みたいな建物」と評しましたが、部分的にモダニズムの香りも感じられます。

唯一何かを主張している玄関前の大きな庇。

第一庁舎は2年後に西棟が、9年後に東棟が最初の棟と接続して増築されています。その結果、最初の建物が中央棟と呼ばれます。

それでも庁舎としてはまったく不足だったので、周辺に次々と小さな別棟が建てられて行きます。こちらが王子郵便局も同居している第2庁舎。

右側の小さな白い建物が第5庁舎。私のお散歩では石神井川沿いを松橋まで歩いて、最後にこの道を通って王子神社に参拝するのが標準です。

第一庁舎東棟の前に何やらオブジェがありました。たぶん噴水になっているのでは。
Rさんがこれを見て、板橋駅前の噴水と似ていることに気づきました。

こちらがJR板橋駅滝野川口の噴水。確かに雰囲気が似ています。
区役所のは柱が石で上にステンレスの何か、板橋駅のは柱がステンレスの円筒で上に乗るのが石と逆になっています。同じ作者なのかも知れません。忙しいので調べないけど。

google mapで見た区役所周辺。石神井川と飛鳥山と王子神社の杜に囲まれた良い場所です。
10年後にできる新庁舎はこの写真よりずっと左の低地に建てられることになっています。
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