父島、板長の戦跡ツアー。に行ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/13/29c5d7fc250b4f8e46c893dc3c4b796c.jpg)
道かどうかわからない道を進んでいきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/52/355c93b431db063b7203da4622130436.jpg)
ここは島の通信室の本部。
壁が厚いです。
「ずいぶん厚いですね」
「70センチありますからね。」
どんな質問にも即答してくれる板長。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/86/f4587bb4ef2b2cb30a543b8f99ce8690.jpg)
第三国人(当時はそう呼んだ、台湾、朝鮮、インドネシア、
日本が占領下においた国の兵士の防空壕。一緒に戦っていたみたい。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/d3/8a9ca54cadf7b682159f152c507ee0ce.jpg)
ここは50名の香川県の兵士からなる部隊の本部。
香川隊は島の周りの尾根で、見張りをしていた部隊だそうです。
8年前、香川隊の方や、親族の方が戦後初めて、訪れて
くれたそうです。
ここの山の下にダムがあり、そこから、
米兵が登って来て、上から迎え打つという
想定のもと、訓練もしていたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/7e/a07615d421f0614a3a88e87638f3cd84.jpg)
当時のやかん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3d/ac88911662f8ad16a0db75c39bad2860.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/4e/de777f0af89ac4dc574ae6088ea1f1a5.jpg)
12ミリ砲台
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/f9/4e29d0e08ce68dae8793b3059a15c763.jpg)
鉄砲玉がいまだに内部に埋まっていて、
サビが流れ出ているヤシの木
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/28/3ce22cb1a75079ccf8092ab7be2421c8.jpg)
防空壕からの眺め。
父島にも、硫黄島と同じく、
約2万人の兵士が駐在していたそうですが、
戦争で約5000人の方が亡くなり、
死因のほとんどは栄養失調や、
伝染病からくる病死だったそうです。
戦場でもなく、大きな空襲もない島で、
4分の1の兵士が亡くなるということは
とても過酷な生活を強いられていたということです。
兵隊さんは軍の命令で座って寝ていたそうです。
栄養も十分ではないし、寝そべると体温を奪われ、
神経痛になる可能性が増えるから。
水がないので
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/6e/e6b8a160284a39feef8bcc86620421d6.jpg)
錨のマークは海軍
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/d2/31e5e97457db1e47dfc4467bfc4a8c65.jpg)
☆は陸軍
一升瓶で本土から水を運んで、
配給されたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/b7/9943a8e64de6c091d42c8966b1c05942.jpg)
そんな話しの途中ですが、
景色のいい丘にたどりついたので、
手作りのお弁当を頂きました。
美味しい!!奇麗な海!!
そういうのが申し訳ないような
場所に思えてきましたが、やっぱり
美味しかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/a2/83e679a1ac11e3a308d6db1de277f822.jpg)
10年近く料理の仕事もしていたそうです。
今は息子さんも一緒に戦跡ツアーをしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/03/67c4549d12cbae0a4328f83e50fc5979.jpg)
「戦争中はこんなきれいな景色をみて、どう思っていたんでしょうかね?」と一緒にまわっていたお客さん。
「きれいで、びっくりしたそうですよ」と板長。
そうだよね、海はきれいだ。今も、昔も。
板長から貴重な話しをいろいろ聞いて思ったこと。
それは板長のなかで、戦争のいろいろなことが
いまだに全然終っていないということ。
いまでも、島に残された遺骨も、
発見されていない遺品も沢山あります。
誰かが謝ったり、保障してくれたから
全てが解決するということでもない。
板長は奥さんとけんかになると決まってこう言われたそうです。
「あなたは第二次世界大戦と結婚したようなもんよね。」
笑いながら教えてくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/0f/b6b5288603abc9c6a1f1f9a709b45fc1.jpg)
戦争があって、全員がその経験や、
出来事を引きずって生きているわけではないですし、
忘れて生きている人。忘れられないけど、
記憶を封印して生きている人。いろんな人がいて。
いろんな人がいるなかで、
板長は忘れられない事があったり、
忘れちゃいけないと思っている人で。
さらに、自分にできることを仕事に
していて、もうすごくかっこよかったです。
今も山に入っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/13/29c5d7fc250b4f8e46c893dc3c4b796c.jpg)
道かどうかわからない道を進んでいきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/52/355c93b431db063b7203da4622130436.jpg)
ここは島の通信室の本部。
壁が厚いです。
「ずいぶん厚いですね」
「70センチありますからね。」
どんな質問にも即答してくれる板長。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/86/f4587bb4ef2b2cb30a543b8f99ce8690.jpg)
第三国人(当時はそう呼んだ、台湾、朝鮮、インドネシア、
日本が占領下においた国の兵士の防空壕。一緒に戦っていたみたい。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/d3/8a9ca54cadf7b682159f152c507ee0ce.jpg)
ここは50名の香川県の兵士からなる部隊の本部。
香川隊は島の周りの尾根で、見張りをしていた部隊だそうです。
8年前、香川隊の方や、親族の方が戦後初めて、訪れて
くれたそうです。
ここの山の下にダムがあり、そこから、
米兵が登って来て、上から迎え打つという
想定のもと、訓練もしていたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/7e/a07615d421f0614a3a88e87638f3cd84.jpg)
当時のやかん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3d/ac88911662f8ad16a0db75c39bad2860.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/9f/1ebc4134c51f29d0a33c6f497885ae6f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/4e/de777f0af89ac4dc574ae6088ea1f1a5.jpg)
12ミリ砲台
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/f9/4e29d0e08ce68dae8793b3059a15c763.jpg)
鉄砲玉がいまだに内部に埋まっていて、
サビが流れ出ているヤシの木
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/28/3ce22cb1a75079ccf8092ab7be2421c8.jpg)
防空壕からの眺め。
父島にも、硫黄島と同じく、
約2万人の兵士が駐在していたそうですが、
戦争で約5000人の方が亡くなり、
死因のほとんどは栄養失調や、
伝染病からくる病死だったそうです。
戦場でもなく、大きな空襲もない島で、
4分の1の兵士が亡くなるということは
とても過酷な生活を強いられていたということです。
兵隊さんは軍の命令で座って寝ていたそうです。
栄養も十分ではないし、寝そべると体温を奪われ、
神経痛になる可能性が増えるから。
水がないので
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/6e/e6b8a160284a39feef8bcc86620421d6.jpg)
錨のマークは海軍
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/d2/31e5e97457db1e47dfc4467bfc4a8c65.jpg)
☆は陸軍
一升瓶で本土から水を運んで、
配給されたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/b7/9943a8e64de6c091d42c8966b1c05942.jpg)
そんな話しの途中ですが、
景色のいい丘にたどりついたので、
手作りのお弁当を頂きました。
美味しい!!奇麗な海!!
そういうのが申し訳ないような
場所に思えてきましたが、やっぱり
美味しかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/a2/83e679a1ac11e3a308d6db1de277f822.jpg)
10年近く料理の仕事もしていたそうです。
今は息子さんも一緒に戦跡ツアーをしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/03/67c4549d12cbae0a4328f83e50fc5979.jpg)
「戦争中はこんなきれいな景色をみて、どう思っていたんでしょうかね?」と一緒にまわっていたお客さん。
「きれいで、びっくりしたそうですよ」と板長。
そうだよね、海はきれいだ。今も、昔も。
板長から貴重な話しをいろいろ聞いて思ったこと。
それは板長のなかで、戦争のいろいろなことが
いまだに全然終っていないということ。
いまでも、島に残された遺骨も、
発見されていない遺品も沢山あります。
誰かが謝ったり、保障してくれたから
全てが解決するということでもない。
板長は奥さんとけんかになると決まってこう言われたそうです。
「あなたは第二次世界大戦と結婚したようなもんよね。」
笑いながら教えてくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/0f/b6b5288603abc9c6a1f1f9a709b45fc1.jpg)
戦争があって、全員がその経験や、
出来事を引きずって生きているわけではないですし、
忘れて生きている人。忘れられないけど、
記憶を封印して生きている人。いろんな人がいて。
いろんな人がいるなかで、
板長は忘れられない事があったり、
忘れちゃいけないと思っている人で。
さらに、自分にできることを仕事に
していて、もうすごくかっこよかったです。
今も山に入っています。