昨日は、井上尚弥選手が目指す5階級制覇と言っても、ここからのスーパーバンタム級とフェザー級が、如何に難関なクラスであるかを、1970年代のWBC軽量級チャンピオン達の事例を示して説明させて頂きました。
あの無敗のキング・サラテが、また同じく無敗のフィルフレド・ゴメスが、たった2㎏プラスだけの1階級上のタイトルを目指しただけで、ボロボロに倒される事態が起きたのです。
ところで、この難関に立ち向かって、フライ級 ⇒ バンタム級 ⇒ フェザー級と、今に例えれば、実質5階級制覇を成し遂げた日本人が歴史上すでに存在致します。それは、日本ボクシング界のレジェンド、ファイティング原田選手であります。
ファイティング原田は、1962年に19歳の時、世界フライ級タイトルに挑戦して勝利。日本人史上2人目の世界チャンピオンになります。その後、減量苦のため、翌年にはバンタム級へ転向して3年後の1965年、今度はエデル・ジョフレの世界バンタム級タイトルに挑戦、15回判定で勝利して二階級制覇を成し遂げます。ちなみに、対戦相手のエデル・ジョフレは、現在でもフライ級およびバンタム級の歴代最高のチャンピオンと評価される名チャンピオンであり、それを破ったファイティング原田も、同じく歴代有数の王者と称えられているほど。
その後また、減量苦に悩み続けるファイティング原田は、フェザー級に階級を上げて、1969年にオーストラリアで、ジョニー・ファメションが持つ世界フェザー級タイトルに挑戦します。当時のオーストラリアはバリバリの白豪主義。東洋人のファイティング原田は、ジョニー・ファメションから三度ダウンを奪って圧倒しますが、15回判定に持ち込まれて、『引き分けドロー』のタイトル奪取ならず。無念の結果に終わりました。
ただし、内容から見て、実態はファイティング原田選手の圧勝だったと思います。実質的に、この時のファイティング原田選手は、日本人初の三階級制覇を成し遂げていたと思いますし、現在の階級に直せば、五階級制覇を成し遂げていたと思います。
井上尚弥選手は、この時のファイティング原田選手の偉業を、今度は明確に文句のない形で成し遂げようとしているのだと思います。すなわち、ファイティング原田選手が成し遂げようとした『ボクシング軽量級の完全制覇』であります。そして、その先には、恐らく次回に述べる、Roy Jones Jr.選手=『史上最高のパウンド・フォー・パウンド』についても、強く意識しているのだと思います。(続く)