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國立映画アーカイブの展覧会「公開70周年記念 映画『羅生門』展」を観る。
中学生のときにTVで初めて観、京マチ子さんに陶然となった映画「羅生門」を、スタッフさんたちの目線から、遺されたノート(資料)などを通して完成までを辿った好企画。
それはまさに、それぞれの分野の裏方さんたちの、誇り高き職人魂の結晶。
映画は決して表方(役者)だけで成立するものではないことを、よく教へてくれてゐる。
──現今の、タダの目立ちたがり屋にすぎぬ能ナシでも画面上ではそれなりに映るのは、まさに裏方さんたちの“腕(ワザ)”のおかげなのだ!
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私がこの映画に今なお強く惹かれる理由であるところの京マチ子さんの役──“真砂”──は、初めは原節子で予定してゐたことを、今回初めて知る。
結局スケジュールが合はず、大映の看板女優だった京マチ子さんを起用することになったさうだが、もしあの役が原節子だったら、果たして私はいまここに立ってゐただらうか──?
「羅生門」が公開當時、日本よりも海外で高く評価されたことはあまりに有名だが──それでも國内での興行収益は決して惡いものではなかったさうだ──、それにつひて黒澤明はこんな溜飲の下がる言葉を遺してゐる。
「我々は、自分にしろ自分のものにしろ、すべて卑下して考えすぎるところがあるんじゃないかな」
「どうして日本人は自分たちのことや、自分たちの作ったものに自信を持つことをやめてしまったんだろう。なぜ自分たちの映画を擁護しようとしないのかな。何を心配しているのかなって、思うんだよ」──
明治維新後の日本と日本人への、私の憤懣と疑問を名匠はみごとに代弁してくれてゐる。
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映画「羅生門」は、日本人が日本人であることの“誇り”が生んだ、いよいよ不朽の名作なのだ。