迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

上方言葉のちから。

2017-07-08 23:17:01 | 浮世見聞記
上方落語が聴きたくて、横浜にぎわい座の「第6回 南光南天ふたり会」に出かける。

開口一番の師弟トークから大いに盛り上がり、久しぶりに爆笑する。


前半は南天師が「替り目」で夫婦愛をじわじわと聴かせ、次に南光師が“夢”の怖さをすら感じさせる「天狗裁き」を口演。


中入りをはさんだ後半は、南天師が「代書」で大いに沸かせる。

これは三代目桂春團治の音源で聴いて好きになった噺だが、春團治のものが基本型だとすると、今日の南光師のものは爆笑発展型といふところか。

落語を聴いてあそこまで爆笑したのは、今日が初めてかもしれない。

トリは南光師が「蔵丁稚」で、忠臣蔵四段目の“判官切腹”の件りを豆知識を交へながら、丁寧に聴かせる。

陰気でダラダラとした四段目の切腹場を、噺だけでテンポよく“見せる”ところに、桂南光といふ上方落語家の底力を見る。




道頓堀、松竹座、京阪電車……。

大阪に住んでゐた時代の耳慣れた名称が、二人の上方落語家の口から出てくるたびに、毎日が大変だったあの頃が、懐かしく思ひ出されてしまふ。

決して楽しい生活といふわけではなかったからこそ、

またその日その日を我武者羅に乗り越えてゐた時代だったからこそ、

後にわたしが大切にしてゐた師匠の形見を騙して盗り上げた挙げ句、芸についての質問に対し、

『わからない』

と答へた親離れも子離れも出来ない一家に、

はっきりNO!を突きつける度胸も付いたのだらう。
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