東京都千代田區九段南、九段坂下の昭和館にて、特別企画展「昭和を駆け抜けた超特急~燕、そして新幹線へ~」を觀る。
昭和五年(1930年)、當時考へ得る限りの合理的な工夫と努力により、東海道本線の東京~神戸間を速度68.2km/h、8時間20分で結んだ蒸氣機關車牽引の「“超特急” 燕」の誕生から、東海道新幹線へと“超特急”が繼承されるまでの軌跡を、明解な資料構成で紹介した好企画。
太平洋戰争中には軍需最優先政策のため一度は廢止されるも、戰後に「つばめ」として復活、電車特急「こだま」の成功をうけて、それまで機關車牽引だった「つばめ」も昭和三十五年(1960年)六月一日より電車化、「こだま」151系を改造した車両が導入され、先頭車の側面は大きな窓に一人掛けリクライニングシートを採用した“パーラーカー”が呼び物云々。
會場には私が過日に縁あって手に入れた151系「つばめ」の絵葉書と同じ物が展示されてゐて、
乗車記念として製作されたもの云々、
はじめて価値の高いものであったことを知る。
前述の太平洋戰争下、軍需最優先のために一般人の鐵道利用に制限がかかるやうになり、さうした締め付けを呼びかける『決戰交通体制強化運動』なるポスターに、
“海水浴は朝七時過ぎに出かけて夕五時に帰宅せよ”
──遅出早帰りせよ!
のほかに、
“うっかり歩くな”
“ぼんやり立つな”
など、要求がなかなか上から目線でやかましい。
さうした余裕の無さからも、大日本帝國の敗北は自明の理だったわけだが、しかしその文句は、令和現代の太平樂どもにもそっくり当て嵌まるのが面白い。
ひとつ下の階では、昭和零細庶民の生業の數々を冩真パネルで追った、「失われゆく昭和の仕事」展をやってゐたので、併せて觀ていく。
現在でも街頭でたまに見かける、いはゆる“サンドイッチマン”、
昭和二十三年(1948年)十一月十七日の撮影と記録されたそれは、新曲レコードの發賣を宣傳して歩くその後ろ姿のもので、男性が履いてゐる下駄の底はハンコ仕立てになっており、仕込まれた給水器より水が注入されると歩いたあとの路面にスタンプよろしく件の廣告が捺されると云ふ工夫は、なかなか面白いと見る。
現在でも斬新な氣はするが、なにかと規則だの文句(クレーム)ばかりが橫行する當世では、かうした洒落も通じないことだらう……。