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スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

前世の関係者(忍者編③

2010年09月11日 | スピリチュアル
自分がクノイチであった頃。
(18禁)
女性は女性としての武器を使う仕事に就かされることがあった。
そして私もその一人だった。

忍者の村は集団で助け合いの世界なので 技術を持つものが仕事で稼ぎ、
それをサポートするものたちもそこから生活を成り立っている小さい世界。
だからこそ、信頼や裏切りに対する厳格なルールが存在した。
しかも 忠義、忠誠心を子供の頃から刷り込まれるので一種洗脳のような状態。
アメとムチで出来ているコミュニティーであった。

私は飯屋を営んでいつつ、世間との接触を続けていたところ
カブキ者と出会い、
お互いに@理解されにくい変わり者という共通点から親密になっていた。

しかし、私は正体を明かすことができない。彼には はぐらかすこと、
仕事となれば 沢山の男性の元に行かなければ行けないこと。
それを理解してもらえるわけも無く、カブキ者は不信感だけが募っていった。
オトコの間をフラフラしている女。そういうイメージ。

どうして 自分だけを見てくれないのだ?との彼の心の叫びも
抜けるわけにはいかない掟の前にはどうすることもできなかった。

嘘を重ね、カブキ者を傷つける事もあった。
幼馴染は同じ村なのでそのあたりの事情も
やり方も全て把握しているので 納得はできずとも それが仕事だということは
理解してくれていた。

今世、カブキ者には「絶対に誠実にしなくてはいけない」との命により
デリケートに扱ったつもりであったのだけれど、
やはり、「前世から引きずる傷」を ぶり返して私への不信感が再びよみがえってきて

「愛してるけれど、辛すぎる」との言葉。「でも一生忘れられない」と
激しく反応され、私はそれには応じられないということで 終了。

これは今世だけで起きた問題から発している彼の言葉ではなく、
私との過去からの関係性での上の 恨みつらみ、納得できなかった気持ちが全て
凝縮されて 彼自身なんでこんなに嫌なのか理解できないほど反応が強くでてしまっている
と わかった。

私も当時カブキ者と一緒にいたかった。でも仕事で関わらなければ生きていけない事が
多すぎて、それも彼には正直に伝える事すらできなかった。
彼は私を ビッチだと思ったまま 終焉を迎える。

幼馴染とは仕事上のパートナーとして沢山の仕事をこなした。
しかし村では 忍同士の結婚は許されていなかった。

家族を持つと 弱みができるから。

男性の忍は 飯炊き女を相手にすることは許されている。
もしそこで子供ができたときには村全体で育てる事になっていた。
しかし、忍同士では夫婦になれない。
飯炊き女と クノイチも 役割が違うのでそれぞれの生き方が違う。
もし自分が飯炊き女だったら。。。と何度も悩んだことがあったが
幼馴染との阿吽の呼吸でのパートナーに替えられる充実感とは違っていた。

いくらお互いに認め合っていたとしても 一緒になることは出来ない。
お互いに大切なヒトと思いあっても、
男女としての関係を築くことはできなかった。


仕方が無い。カブキ者にそれを理解してともいえない。。。実際は事情があったとしても。

今世では当時の女性を使い仕事をすることに対しての嫌悪感から 自立できる仕事を
選んできた。辱めを受けずに 生きていけるように。そして 叶えてもらえている。
前世ではその技術を使って 花魁のような事もしていた事もあった。
しかし、やはり そこでも開き直れなかった自分がいるのに
生きていくために無理やり納得し続けていた。魂の記憶に刻まれている。

子供の頃は 女性として振舞うことへの嫌悪感から トイボーイと呼ばれるくらい
男の子っぽい格好やら性的なことを感じさせないような髪型など
自分自身でも 女性性と男性性のバランスが取れていなかった。
30を越して、元夫と出会い、女性として生きていいんだと強く感じたときから
その呪縛はすこしづつ回復している。


起承転結。

前世で 起承が起きている状態で解決していなかったものが、
今世で 転結している。

以前は私も「どうしてこうジャッジメントのような審判ばかり、物語の最後ばかり
経験させられるのだろう」と 悩んでいた。

しかし、そうではなく、以前に自分が作ったストーリーの最終章をみているだけなんだと
言うことがわかり、
前世を見ることが出来るというのも、忘れ去ってしまっている 起承の部分を
ダイジェストで見て理解させてもらっているのだという
あちら側の配慮が あったのだと 納得した。

私は現世で関わった人たちにどんな仕打ちをされても
100%の怒りや恨みなどを持つことができない。
皆 事情がある。いくら激しく非難されたとして、見えない部分では
その原因は自分にあるかもしれないからだ。

ただ、接触を断つ。それだけ。それ以上のことをもしされたとなれば
一転 とことん 受けて立つが、そこまでの根性を見せるヒトも殆ど居ない。

幼馴染との前世の出来事も 詳細がわかり、
人間の 心の闇のようなもの、そういうものが 思わぬ行動や不信感に繋がるのだと
思い知らされた エピソード。

いつか 気が向いたら。。。

赤いはなおのゲタに 現世のカブキ者が 衝撃を受けて「この子だ」と思ったと言った時
昔の自分の姿が  重なった。

人生の手綱

2010年09月11日 | スピリチュアル
ここ2~3ヶ月、特に誕生日を過ぎてから
人生の中で やり遂げるべきこと、今までの過去世から引っ張っていた
結果が刈り取れていない事項の 清算の波が押し寄せてきていた。

本当に沢山の人々との出会い。今年の1月と比べてみて天地ひっくり返るような
あわただしさ。 いっぺんに来ないでよ~といいたくなるようなラッシュだった。

以前より 3●才で人生が変わるといわれていたので、それを過ぎた時から
猛烈な出来事が起こっていた。


人間の人生、因果応報とよく言われる。
昔は そういう言い伝えなのだと思っていた。
ここに来て、以前から漠然と 「自分の人生 生き急いでいるような気がする。何かを
清算させたいのかな?>」と思っていた意味がわかった。

人生や、その人間の魂は 今現在の肉体に宿るだけでなく
前世も含め、壮大な流れの中で 成熟し、理解を深めていく。
それは他人が与えたお題ではなく、自分が知りたい、経験したいと願った事だとしても
肉体に宿る瞬間に記憶が一時読めなくなる。だから皆新しい人生と勘違いする。

辛いからと言って 今世で自殺などしても それが宿題を途中放棄するだけで
先延ばしにしたお題は次に引き継がれる。業というものの簡単な姿なのだろうと思う。
何度も先延ばしの転生の中では オリジナルな起承が忘れ去られてしまう。
しかも 一見複雑なように取り込まれてしまっていて、本人もわからないほど
悩みとして、コンプレックスとして、解決できない(であろう)と思い込んでしまう
癖のようなものに変化してしまう。

スピの相談を受けた時、何も情報が無い状態でまっさらに聞こうと努める。
自分勝手な意見は自分の意見であって、相手のするべき、こなすべき事と
すりかわるときがあるからだ。 自分の経験での別の視点はお話しすることはあるけれど。

そこでも大抵、前世からの悩みや引き継いで解決していない問題が浮上していることが
多々ある。

最近のスピ流行で 前世への旅とか まるで世界旅行でも行くかのような
明るく楽しいイメージの本やらなにやらが多く出回っている。

悪いことではないが、何故それを知ることが必要と感じたのか、心を惹かれるのか
興味をそそられるのかを 書いているものは 立ち読み(失礼)している時には
一向に出てこない。
こういう事があります。こうでした。の体験談の寄せ集めも多い。

大切なことはそれを知ることにより、さらに深い理解、そして自分の人生の捉え方
魂は常に向上心とともに スパイラルのように繰り返し練習しながら
より 良い 考えになりたがっていると 強く感じる。

スピの能力は決して(なのか。)物凄く特別なものではないし、
それの利用の仕方さえ知っていればある程度は自分でも出来るものだと思っている。
ただ、ヒトはそれを 思い過ごし、カン、ヒラメキ、妄想と思い込むこともおおいので
私みたいな人間を利用して、答え合わせをするようなものなのだろうと思っている。

自分が本当は一番知っている。それを後天的な常識や植えつけられた常識
世間体などで 封印されてしまっていることも沢山ある。

生まれて最初に築く両親との関係からもそれは刷り込まれるので
この世とのファーストコンタクトに乱れが生じるとその後も歪む可能性が高い。

かといって、こちらに来ることを自分も望んで両親を選んでいるわけだから
もらい事故のような 不可抗力でもない。

結局は 全て自分で選択していることなのだと 早く悟ったものが
人生の手綱を握りやすいのだと思う。