夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

§286 b 〔理性的な国家体制としての立憲君主制と公共の自由〕

2018年10月22日 | 法の哲学

 

§286 b 〔理性的な国家体制としての立憲君主制と公共の自由〕

Die monarchische Verfassung zur erblichen, nach Primogenitur festbestimmten Thronfolge herausgearbeitet zu haben, so daß sie hiermit zum patriarchalischen Prinzip, von dem sie geschichtlich ausgegangen ist, aber in der höheren Bestimmung als die absolute Spitze eines organisch entwickelten Staats zurückgeführt worden, ist eines der späteren Resultate der Geschichte, das für die öffentliche Freiheit und vernünftige Verfassung am wichtigsten ist, obgleich es, wie vorhin bemerkt, wenn schon respektiert, doch häufig am wenigsten begriffen wird.

長子相続にしたがって堅実に確立された継承へと、君主制の国家体制をつくりあげること、それをもって家父長的な原則へと、しかし、それも歴史的な起源としての家父長的な原則から、有機的に発展した国家の絶対的な頂点としての家父長的な原則へと、さらにより高められた規定に回帰させることは、歴史における最近の成果の一つであり、公共の自由と理性的な国家体制にとってもっとも重要な成果の一つである。ただそうであるとしても、前にも述べたように(§279、§281)、(君主制の国家体制は)かねてより尊重はされてはいても、それは往々にしてもっとも理解されることの少ないものである。



近代において有機的に発展した国家における頂点としての家父長的な原則について、すなわち、立憲君主国家体制としての君主制については、「公共の自由」と「理性的な国家体制」にとってもっとも重要な歴史的な意義をもつ成果としてヘーゲルは評価している。それと同時に「君主制の意義」がもっとも理解されることの困難なものであるとしている。

「公共の自由」に対する君主制の意義についてのこの指摘は、自由の価値を知る者にとってはとりわけ重要だと思います。

「天皇制」と民主主義は両立しない、と断言して亡くなられた東大名誉教授で憲法学者の奥平康弘氏がもし生きておられれば、「皇室」の存在と「公共の自由」との関係についてたずねてみたい。立憲君主国家体制における皇室の存在は「公共の自由」を毀損するかどうか?

 

 

 

 
 
 

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