夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

§ 285〔君主権の普遍性、君主の良心と憲法〕

2018年10月13日 | 法の哲学


§ 285〔君主権の普遍性、君主の良心と憲法〕

Das dritte Moment der fürstlichen Gewalt betrifft das an und für sich Allgemeine, welches in subjektiver Rücksicht in dem Gewissen des Monarchen, in objektiver Rücksicht im Ganzen der Verfassung und in den Gesetzen besteht; die fürstliche Gewalt setzt insofern die anderen Momente voraus, wie jedes von diesen sie voraussetzt.

君主権の三番目の要素は、本来的に(必然的に、絶対的に)普遍に関係するもので、その普遍というのは、主観的な観点においては君主の良心の中にあり、客観的な観点においては、国家体制の憲法の全体の中に、そして法律の中に存在するものである。君主権が他の要素(行政や立法)を前提としているかぎりにおいては、その他の要素のそれぞれが君主権を前提とするのと同じである。



君主権もまたその他の概念と同様に三つの要素(Das Moment  ⎯ 普遍–特殊–個別)を含んでいる。君主権についての考察は、個別から始まる(§275以下参照)。もちろん総体としての個別はまた、そのうちに特殊と普遍を含んでいる。
 
自我(私、自意識)が個別的であると同時にまたもっとも普遍的であるように、君主権もまた個別的であると同時に普遍的な存在でもある。§275以下に君主権に含まれる個別性、特殊性を論証してきたヘーゲルはこの第285節以下において君主権の普遍性について論じる。

この君主権の普遍性は主観と客観の両面から考察される。その普遍性は主観的側面としては君主の自我、君主の良心のうちに存在し、客観的側面としては、国家体制の中に、憲法などのさまざまな法律のうちに存在する。

この君主権のうちに含まれる三つの要素(Das Moment  ⎯ 普遍– 特殊–個別)はまた、概念そのものがそうであるように、それぞれ区別されていると同時に、観念的に統一された有機的な存在として、それぞれは相互依存の不可分の関係にある。君主権は統治権や立法権なくしては存在せず、また立法権や統治権も君主権なくしては存在しない。
 
 
 
 
 
 
 
 

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