ルナです。
昨日は、ルナのお誕生日に、たくさんのお祝いメッセージをありがとう。
4歳になったルナとして、
また、パパさん、ママさん、時々お兄ちゃんの元気の素になって、
みんなが遊びに来てくれて、ホット出来るお庭に居るルナでありたいなぁ~
これからもよろしくね
さて、話は変わるけど・・・・
ちょうど、ルナの誕生会をしようとしていた日のことだった。
パパさんとママさんのスマホにこんなメールが届いたよ。
エリアメール 大津波警報
最初に気付いたのはパパさん。
「エリアメールが来たけど、大津波警報だって」
大きな地震の揺れも無かったのに? どうしたんだろう?
ママさんが、よ~く見てみると「訓練」の文字が入っている。
名取市の訓練エリアメールだった。
ルナのおうちは名取市に隣接しているからエリアメールが届いたんだろうけど、
ちょっとビックリ。
名取市では、事前の訓練の広報があったのだろうか・・・・・?
緊急地震速報より、アラームは穏やかで、鈴を鳴らしたような音。
でも、慌ててこれを訓練と思えなかった人も居ただろうなぁ~
それから、44分後に訓練解除のエリアメールが再び届いた。
ところで、この風景を覚えている?
南三陸町の防災庁舎。
24歳の女性職員さんが、最後まで、津波が来るから避難して!!って叫んでいた所だよ。
残念ながら、その直後の大津波に流されて、尊い命を失った。
大地震の直前に、ママさんの所へズボンのお直しに来られた仙台市のある消防署の所長さん。
同期の方が、この防災庁舎の所長さんだった・・・・・と、
ようやく仕事が落ち着いた半年ほど経って、
お直しを引き取りに来られた時、
その方からママさんが聞いた話。
その日のうちに、ヘリで上空から視察したけれど、どうしようもなかった。。。
もちろん所長さんも、共に、津波の被害に遭われて、お亡くなりになったそうだ。
お葬式用の黒の礼服のズボンもお預かりしたままだったからね。
この写真は、この前、気仙沼の徳仙丈山へツツジを見に行った時、
帰り道を、南三陸町の方から回って帰って来た時に撮影したもの。
パパさんは、何度か訪れたようだけれど、
ルナとママさんは南三陸町へ来たのは、今回が初めて。。。
思ったより、庁舎の建物が小さく感じた。
これでは、巨大津波から逃れる高さではなかったのかもしれない。
ママさんは、手をあわせて、ご冥福を祈った。
しばらく、被災地の写真を投稿していなかったこと・・・・
地元では、毎日、何度も何らかの形で「東日本大震災」の報道が続き、
未だに何も終わっていないけれど、
もしかしたら、遠くの地方では、その扱いは、かなり小さなものになったに違いないよね。
今回、ママさんが見た中で、「おや?」っと思ったのは、
この標識。
ここから過去の津波浸水区間
しばらく走ると、ここで終了の標識が出て、また、少し走ると、この標識が新たにでる。
何ヵ所かの区間がこうして表示されて、海抜29メートルもあるところにもかかわらず、
津波の被害を受けているんだよ。
鉄道は、未だに手つかず・・・・
と言うよりも、もう、復旧は無いのかも。。。。
積み上げられた小型船。
驚くほど多くの仮設店舗。
地形や、町の大きさや、自分とのかかわり合いによっても、印象はいろいろかもしれない。
福島から岩手まで、海岸線の被災地のほとんどを見て来たパパさん。
確か、高田松原が有名だった陸前高田が一番悲しく感じたって言っていた気がするけど、
ママさんは、名取市閖上地区と同じくらい、南三陸町のこの景色に悲しみを感じた。
もし・・・・・
どこかへ旅行を考えている方がおられたら、
一度、訪れてみませんか。。。
東北の緑豊かな自然ともうひとつの世界を直に見てもらいたい。
1000年に一度の大災害なら、その時代に生きた者として、ここに立って見ませんか。
ママさんがそう言っているよ。
電車ごっこして遊んでるルナ。
昨日、ママさんったら、RUNAの「N」の文字、
反対に付けちゃって・・・・違和感あったでしょ。
今日はちゃんと直してリベンジ~♪
う~ん、やっぱり、スッキリするね。
最後の写真赤ちゃんみたいで可愛いね
南三陸町や石巻の渡波はちょっと前に訪ねました
本当に胸が押しつぶされそうな景色が広がって。
2年もたつのに復興どころか復旧もままならなくて。
ここに住んでいた方々の暮らしを思うと
私たちの想像を絶する辛さなんだろうなと。
自然と涙があふれました・・。
日曜日だと言うのに復興商店街は閑散としていました。
話題になって賑わったのも初めのうちだけだったのでしょうね。
経営が成り立たなくなっている商店も多いとか。
今でもネットなどで買えるものはなるべく支援して行こうと思ってます。
エリアメール怖かったでしょう。
あんな思いはもう二度としたくないよね。
お亡くなりに成られた方、今尚御不自由な生活を強いられておられる方。
なにかお力に成れればと言う思いが致します。
私も手をあわせて、ご冥福を祈ります。。。
南三陸町。
震災当時、報道で何度も目にした、
場所の名前ですね。
そうですか、
消防署長さんが
お知り合いでしたか。
こういう話を聞くたびに、
いつも言葉につまってしまいます。
それに写真の光景、
まだ時が止まっているように見えます。
でも、一方で少しづつ、時は動いていますね。
被災地。
それに、ルナちゃんに会いに。
仙台は、僕もいつか訪れたいです。
こちらは防災放送で緊急事態などの放送がありますが、はっきり聞き取れない場合が多いのよねっ!
でも、スマホやケータイに入るシステムって今の時代には必要かも知れませんね。
そして南三陸の今の様子もありがとうございました。
私が行った昨年の11月より南三陸町の防災庁舎付近のガレキの山が綺麗になってるみたいです、橋の壊れてる所は歌津かしらっ?あそこも酷かったですねー。
私達が目に見える復興を早く、早くと思ってるけど、なかなか進みませんね。
女優の吉永さゆりさんが「さんさん商店街」で撮影されたコマーシャルは良く目にしますが他の番組は殆ど取り上げられてないみたい、でも日曜には夫が必ずどこかのチャンネルで見てますよ(BSかCS)、私達が忘れてはいけない大きな災害だったので一人でも多くの方に行って見てきてほしいと私も思ってます、今年も行けたら行って来ますね。
「さんさん商店街}の海鮮丼は忘れられない美味しさでしたよ。
ママさんも本当に辛い思いだったかと思います。
早いもので、ルナも4歳になりました。ブログを始めて間もなく飼った二代目なので、
今の私の生活がルナと共にあるような気がしています。
お祝いありがとう~
kaoさんも、石巻や南三陸町へ行って来られましたか・・・
石巻は何度か出かけていましたが、南三陸町は初めて訪れて、
あの防災庁舎を実際見ると、その時の恐怖はいかばかりだったかと思いました。
家のすぐ傍が閖上なので、そこにも復興市場がありますが、南三陸町のその大きさに驚きました。
それほど多くのお店が未だそのままどうにもならない様子に、復興の厳しさを見た想いです。
私にできることなど何もないのですが、
時々、こうして、現状をお伝えしてゆくことぐらいです。
瓦礫が撤去されただけで、そこからなにも前に進めない今を、地元の方々は口惜しく悲しんでいるでしょうね。
訓練エリアメールも驚きましたが、
もう、あの緊急地震速報のアラームは、二度と聞きたくないほど、嫌ですね。
ルナですら、あの音に、ものすごい反応をするようになってしまいましたからね。
久し振りになってしまいましたが、被災地の今の様子を記録しました。
通りがかりの道のあちこちに、その爪痕は今も大きいです。
私は、小学生の頃を父の転勤に伴い、岩手の三陸海岸沿いで過ごしました。
その周辺も、宮城のこの景色と一緒かなぁ~といつも思います。
いつかそちらへも行く機会を作って、様子を見たいと思います。
阪神大震災の10年後に神戸を訪れた時は、もう、何も無かったかのように復興していて驚きましたが、
三陸沿岸は、10年では、とてもそうはなれない気がしています。
お気持ちとお祈りをありがとうございます。
今日は、11日・・・・・
あれから、2年3ヶ月、今朝のNHKローカル版で、そのように話していました。
毎月、月命日をこうして過ごして来ましたが、
傍居いる私達でも、もう、2年以上も時が過ぎたのかぁ~と思います。
でも、目の前の姿は、瓦礫が撤去されただけで、
一歩も進んでいない気がします。
そこに、緑の草が生き生きと成長しだした事が、
国破れて山河あり、城春にして草木深し・・・・
そんな漢詩を思い出してしまいます。
やっぴえろさんも、いつか、この景色をご覧になりに、
東北新幹線に乗って北へお越しください。
TVや写真では語りつくせない心への問いかけを得られると思います。
エリアメールは、
緊急地震速報は、2013・4・17
津波警報は、2012・12・7
これが最終で、今は、静かになっています。
津波警報のエリアメールがあったら、もっとたくさんの方が助かったのかもしれませんね。
しかしながら、巨大津波への確信が持てなかったその時・・・
南三陸町の防災庁舎の頑張りは、悲しみに代わりましたが、多くの方々の助けにはなったことと、今も思うことです。
折々、現状を少しだけでも、皆さんへ報告出来たらと思っています。
ところで、私も今朝、メールが出来なくなって焦りました。
2時間かかって、ようやく解決 疲れました。。。