駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

駒形商店街 その1

2009年02月26日 11時23分57秒 | 街かどのメヌエット
▽市役所横から始まる七間町通りが、ここ(駒形通一丁目1番街区)から「駒形通り」と名前を変えます。



今回はちょいと趣を変えて
フィールドワークというほど大げさなものではないですが
「駒形商店街」を歩いてみたいと思います。
駒形地区は、現駒形通一丁目や旧二丁町(にちょうまち)あたりを除き
江戸期は川辺村、安倍川村で駿府ではありませんでした。
(1889年大里村に、1929年静岡市に)

それでも、
江戸が本郷の“かねやす”を過ぎたら直ちに趣が全く変わって、
田舎の風景が広がっていたなどということがなかったように
駿府に連なる街並みなども少しはあったのではと想像されます。
明治後期には、ほとんど静岡市と一体化した街並みが形成されたようです。


旧東海道である七間町通りを県庁を背にして進むと
映画館のあるシネマストリートに達します。
旧東海道はここ(昭和通りとの交差点から一丁先)で
七間町通りと別れて直角に右折することになります。
右折せずにさらに一丁ほど直進すると
その昔は寺町通りにぶつかり
そこで道はどんづまりとなっていました。(狭い抜け道はあったようだ)


昭和の初め、七間町通りをさらに直進する道路が貫通し
その先の道路とつながりました。
これが今日の駒形通一丁目の通りです。

通り名は「駒形通り」ですが
町名は「駒形通○丁目」で「り」はおくらないのが正式です。

また、バス停がすべて「通」を省略して
「駒形○丁目」となっていることから分かるように
慣用的には「駒形○丁目」が使われ
正式町名の「駒形通○丁目」が使われるのは、
ほぼ公的書類だけに限られるようです。

通り沿いだけに付けられ町名ではないのに
住居表示実施の際、なぜ「駒形通」が採用されたのか
非常に不思議な気がします。

それはさておき
実際に駒形商店街を一丁目から歩いてみることにします。

一口に駒形商店街と言っても
どのあたりを指すかは一概に言えないと思いますが
(商店街組織としては七つほどあるらしい)
ここでは駒形通一丁目から六丁目までの
通り沿いの商店街を総称して駒形商店街を使うことにします。



▽駒形通一丁目では、“駒一”から“こまち通り”を名のっています。
 


▽一丁目は、まだ十分に七間町の続きという雰囲気を残し、電線は地中化されていてすっきりした街並みです。
昔ながらの商店も残っていますが、木造の家は意外に少なくビル化が進みつつあるようです。
ちなみに、右端に映っているマンションは、所在地は「駒形通一丁目」ですがマンション名は「七間町」を名のっています。
【写真の右手が県庁方面】




▽賃貸マンションの1階に入る“しずてつストア(旧ウオチョー)”。
しずてつストアのなかでは面積は狭小ながら、営業時間は夜11時までの長い営業時間です。




▽駒形通一丁目附近
(現駒形通一丁目は、1961年、戦災復興による区画整理完了により、
駿河町の大部分に旧駒形通一丁目の一部を併合して「駒形通一丁目」となりました。
なお、駿河町であった部分は、戦前は「寺町三丁目」でした。)



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※ 駒形商店街<その2>はこちら
※ 駒形商店街<その3>はこちら
※ 駒形商店街<小休止編>はこちら
※ 駒形商店街<その4>はこちら




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2 コメント

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駒形と七間町と (たまご酒)
2009-02-28 04:12:19
いちおう七間町までが都会(マチ)で
駒形は、地元庶民の町という感じを持っています。
町名の駒形通りの「通り」は違和感ありですが。
駒形'通り'を少し下ったあたりの活発な商店街
は、嬉しさを感じています。
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県庁への道 (あおい君)
2009-03-01 05:35:48
県庁正面玄関へ一直線に通じる道が、庶民の町となっているのは全国的にも少ないのではないでしょうか?
そんな風に考えると楽しくなったりします。
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