トレード備忘録 & MT4/MT5インディケータ及びEAの開発

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劣化した東京金融取引所CFD(くりっく株)そのⅡ

2017-11-12 23:34:26 | 投資

 10月26日付の同題のブログに対し、各方面でも取り上げられた模様で、東京金融取引所傘下の証券会社には多くの質問や苦情が届いたという。それまで、異常な価格表示がなされていることを放任してきた取引所であったが、ようやくその重大さに気付いたのか、11月6日下記の「お知らせ」を傘下証券各社に 配布した。(以下全文)

 [取引所からのお知らせ]

株価指数:NYダウ証拠金取引の価格について

NYダウ証拠金取引を含む「くりっく株365」の海外株価指数は円建てであり、対象指数との連動を基本としておりますが、10 月以降、NYダウ証拠金取引と対象指数であるNYダウとの価格差が拡大する状況が続いております。 

「くりっく株365」のマーケットメイカー(MM)は、先物市場の価格を参考に、需給、相場、建玉の状況等を勘案して、価格を提示しております。従いまして、「くりっく株365」の価格は、対象指数の価格そのものではありません。10 月以降に価格差が拡大した主な理由は、以下のとおりと考えております。

1. 対象指数のNYダウの最高値更新を受け、NYダウ証拠金取引において投資家の新規買い注文が急激に増加し、一方向に建玉が傾いた。

2. MMが価格提示にあたって利用する先物には、米国金利が適用され、「くりっく株365」との金利差による影響が建玉の偏りによって大きくなっている。 

以上の価格差の拡大を受け、当社は、対象指数との連動を目指すべく、現在、対応策を鋭意検討し、早急な結論を得たいと考えております。投資家の皆様には今しばらくお待ち頂きますようお願い申し上げます。

NYダウ証拠金取引のお取引及び建玉(ポジション)管理には充分にご留意願います。

:[取引のリスクについて] https://www.tfx.co.jp/risk/

以 上

 

上記「お知らせ」で判明したこととなお続く疑問

 ① NYダウが異常な価格提示であることを認めたこと。

ただし、NYダウの価格の異常さについてのみ認めているが、日経225その他のスプレッドも競合他社と比較すると4倍から10倍近く開いている(異常価格である)ことには触れていない。

② 異常価格表示の原因をポジションの偏りのためとしているが、それは子供だましのような説明である。ポジションに偏りがあれば、そのポジションをスクエアにすべく操作するのが通常の金融機関の基本行動ではないか。それができていないというのなら金融機関としては失格である。

③ 原資産はやはり株価指数先物価格であり株式ではなかった。

不思議なことだが、東京金融取引所のホームページには、くりっく株の原資産の表示がない。ただし、株式配当金相当の受け渡しをすることは明記されていたので、原資産は日経225ないしはNYダウ構成銘柄による株式と理解させられていたのだ。ところが、この「お知らせ」で原資産は株式指数先物であることを初めて告白したのである。

④ どうして配当金を払うことができるのか

原資産が先物であれば、配当金相当の受け渡しはない。先物価格を参考に日経225なりNYダウのプライスを適当に出していたというのか。もし、先物でヘッジしていたのであれば、配当原資はない。配当原資を工面する方法は、ただ一つ、スプレッドで賄う(異常価格の提示)ということだ。

⑤ 2015年末頃までは、ドイツ証券がマーケットメーカーであったから、彼らは先物取引と現物株取引等を駆使して、配当原資を確保できていたと想像する。例えば東京株式市場が終わった後、翌日までのポジションは日経225先物でカバーをとり、翌日東京市場が始まると同時に反対取引で現物株に乗り換えていたと思われる。現物株にはキャリングコスト(金利)がかかる。事実、2016年2月まではその金利が受け払いされていたのだ。この時までは、まっとうなオペレーションが行われていた証拠である。

⑥ ドイツ証券が金融庁から不公正取引で行政処分を受けた後、同証券に代ってマーケットメーカーに加わったのが日産証券であった。不可解なことにドイツ証券がマーケットメーカーから外された時期や理由は一切広報されていない。マーケットメーカーである大和証券と日産証券は現物株への乗り換えオペをやらなかったのではないか。売り買いが均衡していれば、自らの配当収支はゼロと考えたとすれば愚かである。くりっく株のスプレッドが広がった(異常価格が提示され始めた)時期とドイツ証券事件の時期が奇妙に一致する。

 「お知らせ」は市場参加者にはあまりにもうつろ且つ幼稚、無責任極まりなく聞こえる。市場のウオッチドッグが機能していることを祈るばかりである。