旅ゆけば

拙い旅の記録とひとりごと

Blogイイね

2020-12-10 00:00:00 | 日記
開設から約1か月。今まで生きてきた中で自分にとって活字にしてみたかったことをババ~ッと書き散らかした感じだが、なかなかイイなと思った。
結婚してから、ここまでとは予測していなかったほど一人で過ごす時間が増えて、日常生活の中で気の置けない人ととりとめのない話をする時間が無くなった。(結婚前は母)最近は徐々に慣れてきたが、休日まで一人の時間ばかりになったのにはさすがに寂しさと虚しさを感じすにはいられなかった。しかしそれをブログを書く時間に充てると割とあっという間なのだ。
活字にするため、出来事を思い返したり、自分の気持ちや状況を整理してみたり、客観的に振り返ってみたり。
そんなことをしていると思いがけず、精神面でも整理が出来たり、振り返ることで何か理解や気づきがあるように感じたりする。
「書く」結構意義のあるの事なのでは!? 心にもいいような気がしてきている。昔から日記があるのは、そういうことなのかもしれない。
出来る限り続けようと思う。

自分の中で印象的な事を思い返してみようと思ったとき、例えば、ある人が放ったという言葉がある。 なぜ第3者的なのかというと私は実際その場面にはおらず、その言葉を受け取った人がその出来事を母に話し、それを母から聞いたからだ。
AとB、二人で話をしていた。 Aは、母の友人(私の同級生のお母さん)、Bは、当時母とAが通っていたダンス教室に同じように通っていた女性である。

B: 世間話の折に話が政治的というか小難しい内容になる。
それをAが:「私はあまり難しいことは分からないわね」

それを聞いたB、何か気に食わなかったのか知らないが突如:「バカはバカなりに生きてりゃいいのよ」

と言い放ったというのだ。 Aは、暫し物も言えない状態になったとか。
まぁ、Bが性格のキツい厄介なばあさんかは想像に難しくない。
(普通ちょっとばかり親しかったとしても他人にそんなこと言う?!)
だけど、「バカはバカなりに生きてりゃいいのよ」は、ある意味名言だと思った。(Aがバカだという意味は一切ない。)

自分の事でも他人の事でも、何か憤ったときに、ふとこの言葉を思い出したりして、諦めたり、怒りを鎮めたりするのに使っている。