旅ゆけば

拙い旅の記録とひとりごと

目的は明々後日の方向

2020-12-06 00:00:00 | 日記
私は元々の人付き合いの下手さから飲み会の類のものは大変苦手だった。なるべく行きたくなかったし、あると憂鬱で面倒で仕方なかった。それを楽しみにした事はほぼ皆無だった。しかし社会人の付き合いで、そういう訳にもいかなくていつも本心ではイヤイヤ参加していた。そんなにイヤなら断ればいいではないかという話なのだが、まぁそこはそれこそ社会人としてどうなのか、断ってばかりだと心象が悪くなっていくだろうなとか居ないと何言われてるか分からないな、万万が一何か出会いに有益なことがあるかも・・・などの理由でなかなか割り切れなかった。
特に私はただでさえ独身実家暮らしか長くて断りの理由も作りにくかった。
そんな私が出来るだけそんな場に出ていこう、社交の場に慣れようと気持ちを入れ替えた時期があった。
私がとある習い事の先生(既婚)に人生2度目のほの字になっていたときの全く無駄な見当違いな空回り的行動の一つになるのだか、生まれて初めて、この異性と飲食を共にしてみたいと強烈に願ったのだ。
現実差しは無理として、他に教室の人達がいてもいいから一緒に食事したい。その為にはいいお店を知っておきたいし、楽しく過ごせるようにそんな場にも慣れておきたい。そんな思いから、一時期今までほとんど交流の無かった会社の人達との飲み会への参加に精を出したのだ。さらに休日も会社の人達とのドライブやイベントに参加してみるなど私としてはかなりあり得ない行動にも出た。(私は仲間でドライブに行く、というような事もしたことが無かった。)
その努力(?)によって、今までしたことのなかったことをしたり、話したことの無かった人達と話したり、良かったと思えることはあった。
ところが、ほとんどすべての誘いに『がんばって』乗る日々を過ごしてしばらくすると、誘いがある度にイライラすることが増え、憂鬱感が増してきた。終いには非常にストレスになってきた。
要するに目的は別にあるのだ。その皆と呑みたいんじゃない、過ごしたい訳でもない。それは全て練習なのだ。
飲み会では、がんばって行ってみたものの時には所在無い思いをする事もあり非常に気疲れした。本当は行きたくない、早く帰りたい、やっぱり休日は会社とは離れたいと思うようになった。

そしてそんな辛い練習の場ばかり増えて、肝心の本番はなかなかない。
やっとあったとしても元々全く相手にされていない訳で、もちろん私は生徒であるし、お互い大人同士なので張り切る私にフレンドリーに接してくれたが、当然の事ながら何も特別な事はなかった。どんなに惹かれていても相手はどこまでも愛妻家、マイホームパパであった。
一時的な時間を共有出来ても得られるのはその場の満足感だけだった。その時はとても楽しくてワクワクしていても後は何も無く、かえって喪失感に襲われた。

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