旅ゆけば

拙い旅の記録とひとりごと

この週末は -あと100年は生きられないから今日を大事にしようー

2021-02-28 17:29:39 | 日記
金曜日の仕事が終わった瞬間から兎に角解放感がとてもあった。その夜にプラスして2日間も自分だけの空間、自分だけの時間だ~!
こうして日曜日の夕方となっている今。感想としては、うん、休まりました、かな。これぞ休息なのかなぁと。
家事はこなしながらなので決して暇という訳ではなかった。逆にいつもより念入りだったりして。いつもしないことにも目が行ったりするので割とやることがあったりする。こういうの必要だー。丁寧にやることって、実はストレス解消になったりするのだ。しかもそれが自分のペースで出来るってとてもいい。
自分でやりたいことって細かいことから挙げていくといろいろあって後回しにせずにやろうとすると割と時間がなくなる。
(メモ)
・仕事等のイライラ、退屈は、気晴らしが安易なネットサーフィンに向かってしまうらしい。急にいろいろな歌が聴きたくなってしまって、2時過ぎまでネットを見てしまった✖ しかも土曜の朝もストレス気晴らしから寝床でネット。目によくない。しょうもない。 もう飽きたネタです。
・地域券で食べた上質イタリアンはとても良かった。ソロは食事に集中できる。お金を出す以上、外ではやはりそれなりのものを食べるべきだ。そもそも割と何でも安くあげられる土地である部分があって、逆に券を使いにくい。
・クレジットカードの多数枚持ちはハンドリングが難しくなり、支払いも分散されてしまうため結局利益を得にくくなる、というのを聞いたことがあるが、所謂激安店の複数使いも同じようなことが言える。正直どこでもそれほど損得変わらず、それほど安くもない、というのがある。買う場所をいたずらに分散させるよりもある程度絞って、ポイントなどをうまくハンドリングした方がいいかもな、と思った。
・歩くことは本当に良い。
・目覚ましをかけずにいられる休日はそれだけで尊いかもしれない。
・花粉症、改めて鼻の奥を見ると炎症を起こしているっぽい! 赤い。本当に人類(花粉症の人)の敵。
・テレビは、19時のニュース以外、基本的に観なくていいかもしれない。
・日の出日の入りを知ることは大事。
・粉砕スッポンを飲み始めて2年位ずっと回避できていたのに、生理前でもないのにこのタイミングで口内炎が二つも出来た。二つはかなり珍しい。何か疲れていたのかな。そういう事実もあって大分迷ったのだが、今回はこのような過ごし方にしてよかった。
・横浜に行こうか行かぬか駅で10、15分くらい迷った挙句、行かなかった!
以前見かけた閉店間際で安くなる高級パンを狙って行こうかと思っていた。次いでに1,100円のステキな詰合せパンも買って、久々の休日の朝を美味しいパンと紅茶の時間にしたかったが、、、現在横浜に行くのに定期券圏外になってしまうのだ。それを考えると割引金額より高くなるだろうなと考えてしまうし、そもそもたっかいな~と思って買わなかったパンだったし、ステキパン詰合せも家族3人で食べたからこそ土日の朝でちょうどよかったわけで、土曜から買っても今の状態で美味しいうちに食べきれる気がしなくて、大体今住んでる所の物価を考えたり、ここでも買える豊富な物を考えるとまだまだ人混みが憚れる中、本当に割引されるか分からない買ったことのない半分いたずらに高いパンだけを買いに行く気がしなくなってしまった。 以前見かけた時にさっと買ってしまえばどんなものかも分かってよかったのにね~。 
1,100円パンは惹かれるが、上記のように状況が変わってしまって遠くなってしまった。距離的には近くなったのだが。
そう思うと今の状態だから縁のあるものってあるんだねぇ。
・以前決めた自分ルールはたまに見返そうと思う。

そんな訳で、よい休息になった。





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どこもく地蔵

2021-02-21 00:00:00 | 散歩
瑞泉寺に着いて、どこもく地蔵尊をみて、改めて、あぁ、ここここ、と思った。
この地蔵のエピソードは、今までの私の人生の中で割と印象が深いものだ。
あれは、いつだったか、まだ十代だったのか、もう二十代半ば過ぎだったのか。
人生に悩み多き時(少ない時などないのだが)、母とこの寺を訪れてこの地蔵尊のエピソードを知った。


要は、どこに行ってもそれなりに苦労があるよ、という正直しょんぼりな人生論になるのだが、結構印象的で、もしかしてこれのせいでそうほいほいといやなものを投げ出すことに多少の抵抗感を持つようになったかもしれない。もちろん逃げるべき時は逃げるし、本当にいやなことは投げ出すけどね。
そんな悩みや欲望多き人生において、この話は何となく(まぁいい意味で、と言っておこう)異物のように心の隅に残っていて、もしかしていやなことはすぐに投げ出したくなる気持ちを多少なりとも封じる役に立っているのかもしれない。

和風お伽の小国で日光浴しながら思った。



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瑞泉寺の梅

2021-02-20 13:44:55 | 散歩
午後半休を取った。 外は晴天だ。 すぐに出掛けた。
自宅から徒歩でさてどこに行こうか。 今の季節そこここで梅が咲いている。私は、以前から梅の花や香りが好きで、まだ寒い季節わざわざ観梅しに出かけたりしたこともある。
行先は、瑞泉寺に決めた。家を出たのは13時前だと思ったが、そこから徒歩で向かったので到着は14時頃になった。途中鎌倉宮あたりから日陰勝ちな道になり、何年か前に健脚なお年寄りたちに交じって里山歩きをしていた時にも通った道であることに気づいたりした。
瑞泉寺もまた以前母と訪れた記憶のある場所だ。
こんな奥地まで行ったっけ?と思わせるような道を進む。周りは山がちな住宅地といった様相で小町通辺りの喧騒とは程遠い山奥と言えるところに瑞泉寺はあった。ここは、夫とも結婚前に一度来たので、まぁ前回の訪問から2年程度というところだった。
入口まできて、失敗だったかな。。。と思った。ゲートの奥の梅の木々はまだ大半が蕾だったからだ。満開だったらさぞかし素晴らしいだろう。家の近所なんかだとそろそろ散り始めている木もあるのに、ここって寒いんだなぁと思った。 梅が咲いてないのではがっかり。一瞬引き返そうかという気も起る。しかしここまでの道のりは結構長かった。そう度々来ようとも思わないかもしれない。 拝観料は200円だし、多少中には人もあるようだし、、、私はゲートをくぐった。

まだ咲いてなかった。。。

瑞泉寺本堂は、その入り口からさらに歩いて急な階段を登った先にあった。
それが少し下界と隔たっている感じを出していて、別世界に入ったような雰囲気があった。門をくぐって、感心した。 満開とまではいかないがここは幸い梅が咲いていて、晴天の下、白梅、紅梅と重なって咲く様は非常に見事だった。そして本堂の前には鎌倉市天然記念物の黄梅が今が盛りと咲いていた。 この梅について、最初に見た時、変わっているなと思った。しべが目立って花弁があるのかないのかよくわからなくて、一瞬もう散っているのかなと思った。だけどよく見ると花々は瑞々しく、蕾もたくさんある。香りは非常に香しい。まさに梅の花の夢見心地にさせるあの素晴らしい香りだった。説明書きを読んだところ、何と花弁が退化している梅とのことだった。あらら~。
だけどよく見るとそのささやかで可憐な姿が何だかいじらしくて、これもまた、地味だけど愛でるべき味のある日本原産物なわけね、という気持ちになった。


しかもかわいそうに、後から入ってきたおばさん集団のひとりに「これはもう終わっていてしべだけになっているのよ、黄梅は早いから~」と思いっきり誤解されている様にも苦笑してしまった。いやいやこの姿が今が盛り状態なんですが(^-^; 後で説明書きで誤りに気付いたようだが、世の中には様々な誤解が横行している。

瑞泉寺は裏の有名な庭も含めてなかなかハイレベルなところだと思った。
う~ん、ここなら京都の寺院で受ける感銘にも近いものがあると一人感心していた。こんな場所を認識出来てよかった。
燦々と日の光をあびながら佇む寺、庭、水の反射、よく手入れの行き届いた梅をはじめとした植物、石畳、さながら和風お伽の国といった感じ。平日で人も少なかったのもよかった。
中心地からは離れているが、それによって保たれている空気、異世界感が
あって、ここはまた来たい場所になった。








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あらら、体重が。

2021-02-08 23:28:27 | 日記
これは看過する訳にはいかないレベルになってきた。結婚前からもうすぐ10kg増になりつつある。これは、急激な増加!中年だけあるな。
結婚前と変わった事。考えてみれば殆どの事だ。加えてコロナウィルス拡散防止の為の現状。繁華街が近くなった。そのせいで店に入れば数々の誘惑。食欲、物欲。つくづく世の中は何て物が多いのだろう。美味しそうな食べ物に溢れかえっているのだろう。飽食の時代。便利なものが110円で簡単に手に入る時代。知りたい事は全て片手で知ることが出来る時代。。。スマホ1台持っていればいくらでも時間を潰せる時代。家の中もだんだんごちゃごちゃしてきたかな。

取り敢えず体重増加を食い止める為、明日から頑張る(笑)
食についても少し実家暮らしの頃を思い出してみよう。
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あんまりズレたことはしない方がいい

2021-02-07 00:00:00 | 日記
斯くして発表会の日は来た。
みぞれ混じりの休日に、発表会は横浜市内の遠い体育館で行われた。
事前に、出場経験のある彼女から『幼稚園等のお遊戯会に混ぜてもらう感じ』というふうに聞いていた。かなり緊張する。。。
子供の声と発表会用の曲で溢れる体育館前に着いた。私が入り口を覗き込んだ時、案内係らしき男性に『写真は撮られますか?』と聴かれた。「?」と思っていると笑顔で首からかけるカードを渡された。
そこには『保護者』と書かれていた。

その当時は、発表前の緊張や集合場所を探すのに気を取られて、すぐに合点がいかなかった。だけど少し考えれば、明確に疑いもなく、『子供の発表会を見に来た母親』に見えたという事だ。
そ、そ~ですか、まぁ27にもなれば人によっては、既に二児の母くらいにになってても全然不思議ではないのだ。
しかしこの悲しさよ。。。 すみません、私は発表者なんです。。。

その時、私は、あぁやっぱり私ってズレたことしてるんだな…と思ってしまった。
やりたい事をやる、自分の好きな事に集中する、いい事だ。いい事だけど、歳はとっていく、同年代と状況はかけ離れていく。
両方バランス良くできるといいんだけどね。。。

私は25歳頃からもしかして今30過ぎくらいに思われたのでは?!というシチュエーションに出くわすことがちょくちょく起こり出していてその度にショックだった。
その頃から若さがなく地味でフケてたんだろうなぁ。。。(._.)
この思い出はその中でもかなり悲しいものの内に入る。
その後、数ヶ月でその習い事は辞めてしまった。



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