問わず語りの...

流れに任せて

奥州平泉藤原氏に中央進出の野望はあったか?

2022-05-23 00:04:18 | 歴史、民俗

結論から言えば、野望はなかった。

 

 

平泉は寧ろ中央から距離を取ることで、独自の政権を築き上げた。平泉側としては奥州の権益さえ守られればそれで良かった。中央にでるなど労多くして益は少ない。寧ろ奥州における絶大な権益を守ることの方がよほど利口だ。

 

頼朝としては、自分たち以外に武家政権が存在することを黙認できない。いつ背後を突かれるかわかったものではない。

 

それに、奥州には源頼義以来、源氏重来の遺恨があった。

 

諸々のことをすべて晴らす。

 

それが頼朝の、意志。

 

 

 

『鎌倉殿の13人』伝えられている史実とはだいぶ違いましたが、それでも義経公の最期をとてもドラマチックに描いてくれました。

感謝します。

 

ただ、平泉の描写が随分軽かったなと、地元民としては多少の不満あり、かな(笑)

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