問わず語りの...

流れに任せて

映画『魔界転生』(1981年版)

2022-04-12 09:02:20 | 時代劇

またまた古い時代劇を観てしまいました(笑)。

 

改めてこの作品を観て思ったのは、「これは【能】だな」ということでした。

 

日本の古典芸能である能。古くは「猿楽」と呼ばれ、その基本は簡単に言えば、怨霊を昇華させるもの、だと私は理解しています。

 

当時としてはかなり新しい題材であったにも関わらず、全編を彩る古典的な様式。伝統的な時代劇の様式と、能あるいは「人形浄瑠璃」のような様式をも併せ持ち、古くて新しい、とても格調の高い様式美を持つ作品に仕上がっているな、と感じました。

 

深作欣二監督といえば『仁義なき戦い』で、それまでの日本映画の常識を破った、手持ちカメラでブレブレの映像で、役者の顔が映ってないみたいな、新しい作風を生み出した方だと理解しておりますが、一方ではこの作品のような様式美に則った作品を撮ることもできる。

幅広い才能を持った方、なんですよねえ。

 

ワンカットごとの情報量の多さ、映像の美しさ。刀工・村正(丹波哲郎)の住む古びて小さな庵のリアリティ、その横には大きな滝が流れ落ちており、庵と滝のコントラストの美しさは息を飲むほど。

柳生十兵衛(千葉真一)と宮本武蔵(緒形拳)が対決する砂浜の情景の美しさね。あんな綺麗な風景、今でも残っているのだろうか。

 

当時はCGなどありませんし、特殊メイクも今ほど発達していない。そんな中での出演者の方々のご苦労は大変だったろうな、と思われます。

魔界衆の皆さんは金色や白濁したコンタクトレンズをはめて、不気味さを表しています。今だったらCGで目の色を変えるくらい簡単に出来ますが、当時はそうはいかない。またそのコンタクトレンズが分厚くて、目に入れるととても痛かったそうです。でも皆さんいれているんですよねえ、天草四郎(沢田研二)も細川ガラシャ(佳那晃子)も、宮本武蔵も宝蔵院胤舜(室田日出男)も、伊賀の霧丸(真田広之)も、皆さん果敢にコンタクトレンズをはめて演技しておられる。

役者根性を感じます。

 

でもその中で、柳生但馬守宗矩(若山富三郎)だけ、よく見るとコンタクトレンズをはめてない。まあ、天下の若山大先生にそんな痛い思いはさせられないということなのでしょう。

そのかわり、顔を青白く塗ったり、瞬きをしないという演技で不気味さを表現しています。これは若山さんご本人のアイデアだそうで、誰も文句はつけられなかったのでしょう。なんたって、

若山大先生、ですから。

そのせいか、柳生但馬守だけ他の魔界衆とは感じが違う、ちょっと浮いた感じに見えてしまうのですが、いいんですいいんです。大先生が目立てば

それでいいんです。

 

その大先生の殺陣が実に素晴らしい!あの大柄な体躯に似合わぬ軽快な身のこなしで、ジャンプして斬ったりと、そのアクロバティックな動きは千葉真一も真っ青。実際、千葉真一の殺陣の師匠だとも言われているようで、大先生はJAC以前からのアクションスターだったんですねえ。

 

その師匠と弟子との炎の中での対決シーン。さっきも言ったけどCGなんてありませんから、ホントに燃え盛る炎の中で撮影してます。あれは何度見てもスゴイ。

特に炎のドームの向こう側から、柳生十兵衛がゆっくりと現れるシーンは観る度に鳥肌が立ちます。よくあんな撮影しましたよ。活動屋魂というのでしょうか、当時の映画人はどこか頭おかしいです(笑)。

 

古典的な様式美と派手なアクションが混然一体となって実にこれがバランス良い仕上がりとなっており、エログロシーンもありつつも全体としては格調が高い。

 

40年以上の時を超えて未だ語り継がれる作品である所以、ですねえ。

 

一つ気になったのは真田広之。真田さんが演じた役、いなくても良かったよね、と思ってしまった。当時は売り出し中の大型新人でしたからね、千葉さんとのバーターというかゴリ押しというか、そんな感じでの出演だったのかな、と思います。

いや、いてもいいんですけど、なんかね、若山大先生とは別の意味で「浮いた」感じになっちゃってるのが、個人的には残念。いない方がもっと「締まった」映画になったかもね、と思ってしまいます。

 

でも良くできた作品です。日本映画の歴史にその名を刻むべき名作

 

一度観て損はなし。

コメント (2)
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