昔々のお話
ようやく銀座でのフェアも終了、会場まで足を運んでくださった皆様、ありがとうございました。今回は、いつものデパートでのフェアや骨董祭と違って、ゆっくり会場でお茶を飲んでいただいたり、お話し出来たりと、いつもとは違う雰囲気でお客様の皆様をお迎えすることが出来、実り多い一週間でした。
さて、ホテルのある晴海から毎日ギャラリーのある銀座へ通ううち、連日バスを降りて銀座のあづま通りを通り抜け、それからみゆき通りをまっすぐ歩いていたのですが…あづま通りに軒を連ねる美しい着物の並ぶ呉服屋さんのウィンドウを眺めるうち、祖父母のことを思い出しました。
私の母方の祖父母は、私がまだ物心がつかなかった幼い子供のうちにそれぞれ他界していますが、母からは、亡くなった祖父母の話をそれとなく聞かされて育ちました。母も、母の姉にあたる伯母も、祖父母にとって40過ぎてからの遅い子供でしたから、祖父も祖母も明治生まれ、ふたりが結婚したのは大正時代、しかも当時はまだ珍しい恋愛結婚だったのだそうです。
「一旗揚げよう!」と名古屋へやって来たに違いない祖父は坂本龍馬で有名な土佐の高知の出身、裕福な造り酒屋の娘に生まれたにもかかわらず、実家の没落で名古屋へやって来た祖母は金沢の出身。それぞれ海の近くで生まれ育ち、同じように魚が好きだったにもかかわらず、日本海の白身の魚を食べて育った祖母は「太平洋の魚は品がない。」と言って、土佐のカツオなどを好む祖父としょっちゅう喧嘩になっていたというエピソードも今となっては笑い話のようです。
そんな祖父と祖母の間では、祖父が仕事で東京にいくたびに祖母にお土産として買ってくる帯揚げや帯締めなどの和装小物を巡って、「この趣味はあまりにも粋すぎる。きっと東京のいい人(この場合は馴染みの芸者さんを指します。)に選んで貰ったに違いない。」と祖母の気に入らなかったのだとか。
商談といえば芸者さんのいるお座敷が当たり前だった時代、土佐出身で気っぷが良く、まったく血のつながりのない芸者さんの息子のことを、「俺の息子だから宜しく頼む。」と言って、知り合いの会社に就職の世話をしていたような、そんな男らしい祖父だったので、たいそうお姐さん連にモテたのでしょう。あづま通りに並ぶ昔ながらの呉服屋さんを眺めながら、祖父が祖母のために和装小物を選ぶ姿をふと想像してしまいました。
もし生きていたらふたりともとうに100歳は越えていますが、セピア色の写真の中の若かりし頃の祖父はなかなかのいい男で、祖母が芸者のお姐さん達に嫉妬していたのもちょっぴり納得。今では微笑ましく思えるのんびりした時代の昔々のエピソードです。
「買付け日記」UPしました!今回も少しずつ綴っていきますので、どうぞ気長にお付き合い下さい。
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