ハワイ旅行記ブログ 行燈徒然日記

雑多に色々と・・・ 読んでもつまらんよ!

おかげさまでブログ開設19周年

2024年01月26日 | 闘病


本日はブログ開設記念日
なんと19年が経ちまし
た。本日は旅行記を休み
して、ブログ開設19年
の御礼とさせて頂きま
す。お約束していた。
ワイキキの小さ
な雑貨
屋さんリルキューティ
さん他のお話は旅行記
とさせて頂きます。

さて皆さまのご愛顧に
心より感謝申し上げ
顔ます。
元々自分が趣味で作っ
ていたホームページの
いちコーナーのつもり
で立ち上げたブログ
でした。
しかし今や本家のホーム
ページは無くなり
、このブログだけが残り
ました。


こうなったら、20周年
目指して頑張るしかあり
ません。


20周年を目指すにあた
り、問題となるのが
私の体力、気力が
どこまで続くかという
ことなんですが…

現在、某病院の個室に
隔離されております。
と言うのも、またまた
新型コロナになって
しまいました。
毎日、何度もうがいを
していたのに 指紋が
無くなるまで毎日何度
も手を洗っていたの
に…新型コロナの陽性
反応が出てしまいまし
た。(涙)

この病院に入院して、
3度目の陽性反応です。
昨年の9月に新型コロナ
ウィルス。
そして同じく昨年12月
に、インフルエンザ
ウィルス
そして、3度目が今回
の新型コロナウィルス(
最新型ですよ)
ご存知の通り、私の様
な癌患者は、重症化し
易いリスクを伴います。
神のご加護により、熱が
40度出ても復活いたし
ました。自分でも誠に
しぶといと思うところ
です。


綱渡りのような感じです
が、何とかこの調子で
20周年まで持たせて
いきたいと思っており
ます。
私の白血球は、化学療法
治療の為に驚くほど減少
しております。一般の方
の10分の1程度しか無い
日もあります。
白血球が低下するとど
んなリスクがあるか?
私も最初は深刻に捉え
なかったですが…
調べていくと、大変な事
だとわかりました。
 
白血球は体内で細菌や
ウイルスなどの外敵
から体を守るために
戦っくれているのです。

その為、白血球が減少
すると免疫力が低下し、
風邪や食中毒などの
感染症に掛かり易く
なるんです。
床に落ちた飴を5秒
ルールとか言って
口に入れる事は、絶対に
できません。(笑)
また、感染後は悪化し
易くなるんです。

看護師さんに伺うと、
3度も感染し、へらへら
と大相撲を観ている
私は結構特殊な存在の
様です。

ちょっと、現状のご報告
が長くなりました。
つまり、ヘラヘラしながら
綱渡りで20周年を目指し
ます。


もちろん暫くハワイには
行けませんが(まだ行く
気なのか!)
できるだけハワイ関連の、
ネタを見つけて19年目を
乗り切るつもりです。
どうか皆様よろしくお願
い致します。

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行燈徒然日記




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病状その後

2023年10月11日 | 闘病


2023年9月11日に、体の右麻痺で
緊急入院したその後の話です。
入院後4時間にわたる大きな手術で、
左肩のリンパ節の摘出しました。
それを2週間かけて、細かく生研して
癌が無いか検査致しました。
術後ステロイドと言う薬を大量に投与し
てもらい。
動かなかった手も足も自由に動くように
なりました。
驚きましたね、現代医学とはすごいもの
です。
まだ走るわけにはいきませんが、歩くの
には不自由がありません。
しかしほんのちょっと入院しただけで、
足の筋肉ごっそり
無くなっていました。
イヤイヤ大変なショックであります。

さて、色々検査を経て最終的には、
ステージ4の悪性リンパ腫から
脳への腫瘍転移と判明いたしました。
本人としては意外この上ないことで
ございます。そもそも5年近く前から、
悪性リンパ腫が疑われており
ました。
ですから、大学病院で造影
剤でのCT検査を半年毎に行い。
必要とあれば呼吸器内視鏡で
生研採取したり、股間のリンパ
節を摘出して検査したり致しました。
しかし一向に癌が見つかりません
でした。
もちろん、血液検査で何も出て
来ません。
体も元気で、日常生活には一切
困りませんでした。

悪性リンパ腫の特徴である。
「高熱が出る、異常な倦怠感、体重
が減る」一切その様な事もござい
ませんでした。
しかし半年後の検査予定の9月
を前に、お話しした通り突然の発病
アッという間に脳への転移。
逆に言えば脳転移無ければ、まだ
悪性リンパ腫が分からない状態
でした。
実は私的には、現在右半身が多少
不自由な事を除けば、体はまだま
だ元気なのです


とは言え、悪性リンパ腫発症は
明らかで、今後長い治療が必要と
なります。
まずは頭の中の腫瘍を取る治療
だけで10週間、その後、放射線
治療2週間、再度入院して締めの
抗がん剤治療2週間。
トータル14週間で転移した脳腫瘍
の治療がうまく行けば終わる予定
です。  

その後、原発癌である、悪性リン
パ腫の治療に14週間。
イレギュラーが起こらなければ
これで終わる予定です。
ざっと考えると、娑婆に出られ
るのは多分1年以上先になるか
も知れません。
しかし再び皆様にお目にかかれ
るよう頑張る所存でございます。

気をつけてくださいね全く自覚
症状が無くても、あっという間
に出てくるのが悪性リンパ
腫です。
責任ある立場で方も多くいらっ
しゃると思います。
私の場合、定期的な検査で安心
していましたが、もっと突っ込
んだ血液の専門の先生に診ても
らえば早く発見できたかもしれ
ません。

まぁ大丈夫だろうと思う気持ち
を疑い
もう一歩突っ込んだ検査を受け
て見るのも手かもしれません。

定期的な人間ドック私も受け
てました。
こんなモンじゃとても発見で
きません。
PETCT何度も受けました。
やっぱり発見には至りません
でた。

自分の体は自分自身でしか守
ることができません。
皆様、私の状況反面教師にして。
ご家族を守る為、そして何よりも
ご自身の為、気持ちを新たに頑張
って頂ければばと思います。
一応今の病状ご報告でございまし
た。
また色々と変わってくれば、
皆様のご参考になるよ。ブログを
アップしていきます。
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「恐怖、深夜のナースコール。」

2023年10月08日 | 闘病


旅行記中断中ですが、今日は病室からブログをアップ
致しまず。

さて只今長期入院中の私です。
そんな数日前の話です。

ちなみに時間は午前1時50分投与された薬のせいで、寝れない夜が6日間続いていたんです。
そんな時、静まり返った我が部屋(個室)に、突然鳴ったナースコール。
ピンポ〜ン🎵(怖)
勿論、私はナースコールを押してはいない。看護師さんを呼んでもいない。
すぐに駆けつける、担当看護師(男性) 「どうしました?」私「ナースコール押してません、なんでなったんでしょうね?」
「変ですね。と言いながら」看護師さん帰っていく… それから約10分後、再び私の部屋でピンポ〜ン🎵(怖)
再び看護師さん飛び込んでくる。
私「ナースコールをしてませんよ、悪戯じゃないし夢でもないです。」
その時、私と看護師の目の前で再びピンポ〜ン🎵(怖)看護師さんもギョッとした顔で、ナースコールを手にする…おかしいですね(汗)
ベッド上のナースコールの差込口を入れ直して、「これで様子を見てください。」と言って去っていきました。実はですね、ナースコールの差込口は、DINコネクタになっていて構造上ショ−トしないんです。つまりここからの誤作動は、まず起きない。元電気屋さんなんで、そのくらいのこと解るんです。
その後、午前2時30分またしてもピンポ〜ン🎵(怖)コールしてないのに、何度も鳴る。「分かったからもうよせ」 と心で叫ぶもまたまたピンポ〜ン🎵
やや疲れ色が出た顔でまたまた看護師がやって来た。
「コールボタン全てを新しいものに変えます。」と言って在庫を探し、消えていきました。
暫くすると、私の枕元で、今度は看護師さん用の、電話(PHS)が鳴りました(笑)
「どうやら、作業中に看護師さんが落としていったらしい」
ナースコールも、信用できないし、電話を持ってナースセンターまで届けに行きました。(実は入院した時、右半身麻痺で手も動かなければ、足も動きませんでした。しかし、現代医学と言うのは凄いモノで、ひと月もしないうちに手は動けば、歩くこともできるようになりました。)そんなこんなで、廊下に出てみると、ナースセンターはもぬけの殻、誰1人おりません。振り返れば重厚なドアを持つ個室が並んでいます。見れば所々ドアの空いている部屋があり、前を通ると精密そうな医療機器と沢山の管に繋がれたら、患者さんの足元が見えます。重症患者さんは、ドアが開いているのだなぁと思いながら、思わぬ深夜病院散歩…
よく考えると、この光景が1番怖い!
結局ユニット全て取り替えて、やっと落ち着いたのが午前3時30分、この間何度もピンポーンが私の部屋に鳴り響きました。まぁどっち道眠れないんで、いいけどね。
やれやれこれで済んだと思いきや、午前4時なんとも陰に籠る音色で、ピンポ〜ン🎵(怖)
なぜか看護師さんは、もう来ません。私にだけ聞こえる音なのでしょうか?絶対誰かナースコール鳴らしに来ているやん(怖)思えば、この部屋だってどなたかが亡くなったている筈…
外が白み掛けるまで、私には時おり聞こえるピンポ〜ン🎵(怖)
多分寝てないせいだろうと、無理に思うことにしました。どうか今夜は聞こえませんように。ピンポ〜ン🎵(怖)
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暫く旅行記お休み致します。

2023年09月12日 | 闘病


独りよがりの勝手な旅行記 
を書いて参りましたが、
この度、頭に腫瘍がみつか
りました。その為、残念な
がら旅行記を、暫くお休み
する事になりました。

全然ピンピンしていたの
ですが、8月半ばくらいに
少し歩行がおかしいなと
思ったんです。^_^
なんか躓き易くなった、
て事が最初の印象でした。

8月29日火曜日辺りから、
右ひざに力が入らなく
なり、歩行がギクシャクし
て不安定になり、階段の
登り降りに危険を感じる
ようになりました。
9/2金曜日あたりから腰に
不安定感を覚え、
9/4 (月)近くの整形外科
を、受診しました。脊柱
狭窄と診断されリハビリ
と投薬を開始しました。

9/8(木)右手の感覚
障害を感じ、整形外科
より脳神経内科へ紹介
状をもらい、9/14(木)
に診察予約して 
自宅待機しているうち、
あれよあれよと言う間に
症状が悪化しました。
歩行及び右手障害の重度を
増して、9/11結局は救急車
ですわ。
トホホホホって感じです。
 
またまた、リンパ腫も
疑われ数日後に転院します。
思っていたのと違うのは、
全く頭痛がありません。
脳腫瘍ってもっと痛みが
あると想像してました。

前ぶれ無く突然やってくる
大病、毎年きちんと検診
受けていたって防げません
でした。皆さんも自分だけ
は大丈夫なんて思わずに、
日頃から万一の為に備えて
下さい。

てな訳で当分ブログ更新は 
お休みします。皆さんは、
素敵なハワイ楽しんで下さ
いね。
まだ手が動いているうちに
ご報告させて頂きました。
マハロ


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ホノルルマラソン完走いたしました。

2022年12月11日 | 闘病

おかげさまで、何とか完走いたしました。
ありがとうございます。

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悪性リンパ腫を疑われ、検査入院してました。

2022年04月24日 | 闘病

表記の通り実は先月悪性リンパ腫を疑われ、検査入院してました。
今回はハワイブログでは無く、我が検査の記録を極力詳細に語って行きます。
もしかしたら、似た様な経緯の方の参考になればと考えたからです。
お断りしておきますが、かなり長いですから、途中でハワイの景色などはさみ
ながら書いて行きます。

さて事の発端は、定期的に受けてる胸部CT(造影剤使用)で我が胸部リンパ節が、
常人の5倍程に巨大化していた為です。そして今回も色々と検査をされ大変でした。

今回もと言うのは3年前にも同じことがあり、同じ検査入院致しました。それだけ
ではなく50代の時も同じように悪性リンパ腫を疑われ、大きな総合病院にて根掘
り葉掘り検査をされて大変だったんです。幸い過去2回は悪い結果は出なかった
んで、今までのうのうと生きて参りました。

さて冒頭に記した通り半年に1回の定期検査(造影剤を入れCTを撮り、同時に血
液9本を採集されるんです。)その結果悪性リンパ腫の疑いが強まった言われました。

でもね、すべての腫瘍マーカーは陰性なんですよ。その事をタテにとり「だから大丈
夫なんじゃないですか」と、診察の時にドクターにお尋ね致しました。しかしドクタ
ー曰く、「血液検査で陽性反応が出たら、多くの場合は癌の侵攻がだいぶ進んでおり
大変な状態なんです。」言うではありませんか!

それでもめげずに「だって痛くも痒くもないんですから大丈夫じゃないのでしょうか!」
と抵抗してみたんですが、「そんなことも多いです」と我が意見はあっさり却下。

皆さん怖いですね。なんの自覚症状も無く、血液検査で何も出なくても癌かも…
なのですから!
でもね考えてみれば確かにそうかもしれません。3年前胃がん患い幸い早期発見で、
未だ再発を免れております。しかし職場の検診でバリウムを飲んだから判明しまし
たが、私には全く自覚がありませんでした。もしあの時バリウムを飲んでいなけれ
ばと思うと、今でもぞっとします。だから皆さん
検査はマメに受けましょう!

話を元に戻しますねと言うことで、三日間の検査入院を宣告されました。まず
は入院前にPET-CT を撮ります。PET-CT検査とは、がん細胞が正常の細胞に比べ
て多くのブドウ糖を取り込むという性質を利用して、放射線薬剤FDG(ブドウ糖
類似PET検査薬)を体内に投与し、特殊なカメラで撮影をする検査です。 臓器を
画像化するX線CTとPET検査を組み合わせたものです。この検査により赤く光っ
た部位が腫瘍と疑われます。3年前にこれをやった時は、体のあちこちが真っ赤っ赤でした(笑)
余談ですがその時先生に、これ全部癌だったら今年いっぱい持ちませんねと聞い
た事があります。

さて話は進みいよいよ入院当日、今思えばこの時から祟られていた気が致します。

この検査入院というのがまぁ辛いのなんの!この検査のメインは、呼吸器内
視鏡です。内科の検査で1番辛いとされるものなんです。私の場合は肺に内視鏡を
貫通させ、大動脈の横にある胸部リンパ球組織採取します。3年前にやった時にそ
の苦しさから、もう二度とごめんだとは思った検査なんです。大体この検査のた
めに、基礎体力の検査やら何やら1日かけて行うんですから、もう検査の域を出て
おります。そしてその怖い怖い検査直前、近くのビルから火の手が上がりました、
けたたましい消防車のサイレンと、窓から見る黒煙の中を横目に検査室にむかい
ました。怖い上に不安まで背負っての検査となったんです。



そんなわけで、いよいよ恐ろしい呼吸器内視鏡の検査が始まりました。まず
喉の麻酔をかけ、それが終わったら検査台に横になり麻酔をかけられます。ここ
で意識が飛び寝てしまうのです。でもね内視鏡が気管支に入ったあたりで、強烈
な咳き込みが起き目が覚めてしまうんです。
それはそれは大変な咳き込みで苦しい意識の中、いつも思うのは喘息の人や
肺炎の人はきっとこんな苦い思いをしているだろうとを考えています。もう死ぬ
かと思うぐらいの時、やっと検査が終わるんです。後はベッドに倒れこみ1時間
の安静です。さらに検査後数日、咳が出たり血痰が止まらなくなります。そうそ
う私は発熱もいたしました。

そんな苦しい思いをした、2週間後に検査結果の発表があります。


天国か地獄か、その2週間は生きた心地のしない2週間でした。そしていよいよ明
日は診断が降る、良きにつけ悪いにつけこんな生きたこっちのしない日々もう終
わるんだろう。そう思いながら電車を待っていた仕事終わり。携帯に2度の着信履歴があるのに気づきました。
発信は明日診断を聞きに行く大学病院からの着信なんですよ!しかも最後の着信
は、午後7時30分。そんな遅い時間に病院から電話がかかってくるなんて普通じゃ
ありません。すぐに病院に電話をかけてみましたが、発信の主は我が主治医と判明
しました。しかも先生は、既に帰宅され電話の内容はわからぬまま。
わざわざ病院から電話がかかってくるなんて、絶対良い話であるわけがない。
そんなことぐらい私にだってわかります。しかも大学病院の医師が、ナースを介
さず直接患者に電話をするなんて、異例中の異例であります。
不安はマックスに達し、家族共々眠れぬ夜を過ごしました。
そしていよいよ診断が降る日がやって参りました。予約時間よりかなり早く病院に
到着し、外来の待合で自分の番を待ちます。

やっと自分の番になりドキドキしながら診察室に入ります。開口一番ドクターが
「大変申し訳ありません、まだ検査の結果が戻ってきていないんです。」
ええええええ~2週間も経つのに
我が検査結果は確認されておりませんでした。
「そんなに時間のかかるものなのですか?」たまらず私はドクターにお尋ねしたん
です。ドクター曰く「稀ですが…と」口を濁すではありませんか(涙)そういう訳で
、さらに2週間生きた心地のしない時間が続く事になったんです。いくら私でもネ
ガティブなことしか考えられなくなりますよ、だってそんなに時間がかかるイコ
ール結果は悪い方と思えてしまいます。

その後2週間、仕事もなかなか手につかない日々となりました。いろいろ調べまし
たよ、悪性リンパ腫は進行の早い例と極めて遅い例の2つ有るとか、リンパ腫にな
ったときの抗がん剤の投与期間とか。何せ時間がたくさんありましたので、他にも
色々と情報を得ました。

そしていよいよ、さらに2週間が経った週末、ついに我が診断が降りました。
その結果はなんと、
今回の検査では全く悪いものは見つかりませんでした。
「あなたは現時点では悪性リンパ腫ではありません。」と言うものでした。いやぁ
~覚悟を決めていただけに、体の力が一気に抜けました。

その後医師の話では、私のような例はかなり特殊らしいです。そして何か症状が
出ないと、治療のしようが無いので、またしばらく経過観察と言うことになりま
す。3ヶ月後、再び検査で全身のCTを撮ります。そしてまた定期的に血液検査を
受ける日々が続きます。私の血液検査は
、採血者も驚く種類の多さなんですよ。一度に9本採取しますので、様々角度で詳
細に体の状態を確認できます。逆に考えれば普通ではなかなか受けられない検査を
、定期的に受けれるのですから、もしかしたら非常にラッキーなのかもしれません。

そういう訳で今回も命拾いをいたしました。でもね3回も疑われるんですから、そ
れも大きな大学病院の先生たちが、カンファレンスま開いての事です。だからきっ
と何かあるんでしょうね。


私の悪運と言うのでしょうか?そんなものが救ってくれている気がいたします。もう
11年以上10,000歩以上歩くことを続けております。100%とは言いませんが98%位
は目標を達成しているはずです。そんなことが免疫力を高めているのかもしれませ
んね。
そして気持ちを落ち着けるために近くの曹洞宗の大本山に出向き、早朝の僧侶達
の経を聴いたりもしています。そうそう、プロポリスも毎日欠かさず飲んでますよ
。(笑)まぁそんなことが色々な事が重なって、私の悪運
に至っているんでしょう。まぁまた拾った命です微力ながら世に役立つよう頑張る
所存ではあります。

今にして思えばゴールデンウィークのハワイ便のキャンセルはやはり正解だったです。

今回はなぜこんなに詳細に自分の病気のことを載せたかと言うと、この経験が何
かの参考になる方がいるのではとの思いと、もう一つ健診は必ず受けましょう!
と言う事をお伝えしたかったからであります。

最後にもう一度だけ言います。皆さん健診は受けましょう!
健保の補助が出る人は人間ドックも受けて下さい。自覚症状が出てからでは遅いのです、
早期発見こそ自分を守りご家族を守る事になると、私は思います。

次回からは、私らしくまたまたいい加減なハワイ記事を上げていくつもりですので
、よろしくお願いいたします。



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2019年12月ハワイ旅行記1日目 その3 滞在初日の地味なメシ 

2020年01月03日 | 闘病
早いモノで正月の三箇日が過ぎてしまいました。
そう言えば元旦の夜中にBS日テレで放送された「世界の街角 ハワイ癒しの
アイランド」と言う番組を見ていたらワイキキの見どころとして、昔のインター
ナショナルマーケットプレイスが、堂々と紹介されておりました。
カラカウワを走るワイキキトロリーもなんかちょっと前のモノに見えました。
おそらく過去に制作されたものを穴埋めで放送したのでしょうね。因みにナレーシ
ョンは宮崎ますみさんでした。あんまり懐かしいので録画してしまいました。(笑)


さて旅行記を始めます。ワイキキ最初の夜は鱈腹(たらふく)喰った、ランチが祟り一向に
腹が減りません。そんな訳で腹ごなしに、サンセットを観にビーチへ出向きました。

クヒオ通りからのインターナショナルマーケットプレイスを抜け、
モアナサーフライダーの中庭に出ると、今まさに夕陽が水平線に消える所でした。
説明が長くなり恐縮です、その時の景色がトップの写真です。


慌ててビーチに出ましたがオレンジ色の余韻を残し、太陽は既に姿を消しておりました。
残念ですが沈む落日の瞬間をなんとか肉眼で拝めましたので、よしと致します。


ビーチをホロホロしてインタマへ戻りますと、クリスマスのデコレーションに灯が入り
見事でありました。

しかし依然としてあまりお腹も空かず、飯を喰いに店に入る気になれなかったんです。
弁当でも買って戻ろうインタマの2階にある日系スーパ-「ミツワマーケットプレイス」に寄ってみました。
ココは初めて入るお店でしたが、お弁当やお寿司等が沢山並んでおります。
どれにしようかなと暫く迷っておると・・・
~んと!
店員さんが弁当のプライスを、どんどん書き換えているじゃあーりませんか!
確認すると、どれもこれも半額に近い価格に変わっております。時刻は丁度20:00でした。
ラッキィ
とばかり9$位の巻き寿司を5$弱で購入。そうしてホテルのラナイで夜景を見ながら食べたのがコレ


すみません、めっちゃ地味な食事で華がありませんよね。
でもねその時に見ていた夜景には華がありました。↓


こうして到着初日の夜は更けて行ったとさ、めでたしめでたし(^O^



行燈徒然日記






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病状経過その後について。

2019年06月23日 | 闘病


その後のご報告ですが、胃の具合は徐々に回復しており激辛な食事や飲酒を除けば、
ほぼ通常の食事が楽しめるようになりました。そんな訳で調子に乗って金曜日の
消化器内科診療時に「先生お酒もそろそろ」と言ったとたんに
「まだダメです。」とドクターのキツイ一言が降り注ぎました。

「あと2ヶ月は我慢せぇ~?」と釘を刺されました。私の勝手な予定では今日あたりに、
キリンビアビレッチのパブに乗り込んで、大好きなデイドリーム(ビールの銘柄)で
咽を鳴らしていた筈でした。(

トテモ悲しい結末ですが仕方ないこってす。医者と親の言う事は、素直に聞かに
ゃいけません。しかし私はとても元気でありまして、職場でも「とても病人には
見えない」と言われる程なのです。

さらに前回お話した悪性リンパ腫の為の再手術の件ですが、結論から申し上げますと、
延期となりました。悪性リンパ腫の診療は同じ大学病院の呼吸器内科で受けて
おるのですが、なかなかハッキリ致しません。当初は大いに疑っておった、ドクター
達も首をひねるばかりで、徐々に弱腰になって参りました。しかしこのままでは診断
がつかぬ事から、胸のリンパ節を直接採り生検する方向で説明を受けておったのです。

しかし手術の日どりを告げられる筈の診察で、なんとも歯切れの悪いドクターの説明
がありました。
色々と小難しい事を言っておったドクターですが、早い話が「検査として行う手術
としては、リスクが高過ぎる」と外科の先生から物言いがついたらしいのです。

内科としては威信にかけて診断を下したっかたようなのですが、外科から嫌われ
た と言うのが真相の様です。
脇腹から入れたスコープで肺ソバのリンパを生検するのですから、大動脈の損傷
のリスクを伴う手術なのです。病が確定して治療のために施す手術なら、まだしも
検査の段階では如何な物かと言う事だったと推察致します。
もっとも私の為に優秀なドクター達が、何度もカンファレンスをして下さった事
は、大変感謝致しております。


胃に癌のある患者のCTで見つかった胸部リンパの腫れは、大抵の場合悪性でPET
での反応もある事から「十中八九 悪性リンパ腫」と思われた感があります。
もっとも平成25年にも悪性リンパ腫を疑われ、さんざん検査をされた経験のある我が身
ですので「ああっヤッパリなぁ~」と思うふしもありました。その上「良性リンパ腫
のなんて、マズありえない。」
とドクターの皆さまが口を揃えるのです。

だから自分の葬式の準備にうん十万円を掛けて互助会に入ったり、遺影の撮影や生命保
険点検。さらに懐かしい仲間達へそれと無く会いに行ったり、元気な内に出来る事を次々
とこなしました。
ドドメは旧友を呼び出し、理由(わけ)を話て万一場合の連絡の要を依頼致しました。
友とは有り難いモノで心から心配をしてくれ、それだけに今は申し訳ないやら恥ずか
しいやらと・・・
ばたばたした己が滑稽に思えてなりません。
そうあの時は今年の暮は迎えられぬと、密かに覚悟を決めておりました。(笑)

既の検査でサルコイドーシスの可能性は排除されており、胸部リンパが腫れているので
すからリンパ腫であるとは考えます。
もしかしたら誠に稀有なリンパ増殖性疾患かもしれません。
だって私のハンドルネームは、十五代目伊藤行燈入道稀有釣示魚三郎守忠助座衛門幸恭と言うのですから(笑)中学以来使用の
コノ名前!思えば既に半世紀近く親しんだこの長い名前にも、妙な因縁を感じます。


だとしたら奇跡に近いモノ、もらった命と言えるかもしれません(感謝

とは言え 無罪放免と言う事では無く経過観察なのです。この先リンパの腫れが
大きく成れば、手術に踏み切るそうです。

なんかモヤモヤする状態です。


兎に角 期日も迫ったので(ホノマラの話です)ドクターに「走ってもいいですか?」と
許可を貰い、先週から少しづ走りはじめました。初めは2km程度、この週末は少し距離を延ばし5kmを走って見ました。思った以上に大丈夫だったので、徐々に延ばし行こうと思ってます。

そんな訳ですから、結論は中々出ませんが悪い方向には進んでない事は確かの
ようです。皆さまからの励ましのお言葉と、足しげく通った我が宗派の大本山の
お蔭かと感謝致しております。
ありがとうございました。

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退院致しましたが、また入院のようです。

2019年05月26日 | 闘病


お蔭様で退院致しました。入院中は皆様よりの沢山の励ましや応援のお言葉が、
とても嬉しく且つ心強く、本当に力になりました。
心から感謝申し上げますありがとう御座いました。

只今、柔らかな物を口にしながら、回復を待つ日々が続いております。
お蔭様で体力も戻りつつあり、金曜より仕事にも復帰致しました。しかし結論
から申し上げますと、近々に再度の入院手術の運びとなりました。
ひと山超えたら、もう一山って訳ですな。今度の手術は前回の胃癌の手術より、
さらに大きなものになるようです。何故かと言うと前にもお話した胃癌の検査の
おりに見つかった、より重篤な病の疑いの為なんです。

その疑惑の病とは、悪性リンパ腫なんですが色々検査をした結果、イマイチはっき
りしない現状なのです。肺の横にあるリンパ節が通常の4倍以上に腫れており、サル
コイドーシスと言う病気で無ければ、悪性リンパ腫の可能性が高い そうなんです。

今放送中の白い巨塔の裁判でも出た来ました。ペット検査で
「PETCT(陽電子放出断層撮影) 」胸のリンパは赤く光っておりまして、癌の可能性
が高いことを示しておりました。しかし 内視鏡で胸部リンパ節の細胞を採っても、
足の付け根のリンパ節を生検しても癌が見つかりませんでした。これは非常に稀有な例
だそうで、お医者様も首を捻っておりました。判った事はサルコイドーシスではないと
の結論でけです。

私としては悪性リンパ腫の診断が降らなかった事に、その都度ほっとしました。しかし
それは無罪放免という訳でなく、診断がつかない為のさらなる検査の始に過ぎないのです。
造影剤CTで再度確認しましたが、やはり胸部リンパ節は大きく腫れております。

しかもPETでは反応しておるのです。でも血液検査の腫瘍マーカーは陰性と聞きました。

なんや、よう判らんのですわ!

と言う訳でさらに詳しく検査をする為、切開により問題の胸部リンパ節コロッと採り検査する事になりました。この手術は可也大きなものらしく、先の胃癌の手術よ
り大変らしいです。折角退院したのですが体力回復次第の来月、遅くとも7月には再度入院手術の運びとなりました。

しかし私は元気でありまして、なんとかこの手術で白黒つけたく思っております。
繰り返しますが、元気でありますのでご安心下さい。
もし悪性リンパ腫であるならトットと治療に入らねばなりませんし、そうでないの場合は

正に奇跡

なのであります。
今の私は奇跡をひたすら願い、ホノルルマラソンの参加を熱望するばかりであります。

長くなりましたが、応援頂いた皆様へのご報告とさせて頂きます。


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入院致します。

2019年05月10日 | 闘病

重い話ですが、実は癌が見つかりました。
昨年の12月職場の健診で要再検査となり、近所の病院を受診しました。
そこで胃に癌がある事が判明し、大学病院を紹介されたんです。
そして今月中旬に胃癌手術の予定。なんでこんなに時間が掛かったかと言うと、
胃癌の検査を進めるうちに、さらに重篤な病の可能性が出て参りました。
消化器内科のドクター曰く、その病気の診断がつくまで胃癌の治療は出来ない
との事だったのです。そんな訳で冬から桜の季節、そしてツツジ咲く今日まで
足しげく病院へ通う日々でありました。検査のため入院も致し、様々な検査を
受けて参りました。

超音波内視鏡にPETCT、呼吸器内視鏡ってもやりました。結構苦しい検査
もありましたが、一番痛かったのが4月にやった足付け根のリンパ節の摘出手
術でした。
いや痛かった(涙)
「部分麻酔で直ぐ終わりますよ、仕事終わりに寄ってくれればの良いです。」
なんて言われて、行ってみれば2時間半も掛かかり、途中で焼けるような痛みを
伴う、私にしては大手術でした。なんせ幼稚園時代、扁桃腺の手術依頼なんです
から(笑)

さて重篤な病の方ですが、残念ながら受診した複数の医者からは、ほぼ間違いない
と言われております。DNAとは凄いと思ったのは亡き父が患った個所とほぼ同じ
位置で、発病年齢も1年程度しか違いません。この病気は進行が早く、体じゅうに
転移する厄介なものらしいのです。

でもね実はまだピンと来てない自分がおります。
何故かと言うと
痛くも痒くもないのです。
偶に胃に違和感を覚えるだけで、その他は至って元気なのです。なんせホノマラ目
指して、直前まで毎日走っていたのですら・・・

その事を医者に言うと「そうでしょうね」と言われるだけなんです。皆さん気をつ
けて下さい、よほどの事がないと自分では気づかないのが癌です。検査は嫌がらず
こまめに受けましょう!私は毎年人間ドックに行ってましたが、転職に伴い時期が
ちょいとズレただけでコノ始末です。


そんな訳ですから元気なうちに私がやった事は、速攻で生命保険を確認しました。
60歳で満期の保険でしたが、多少のリスクはあったものの、継続しておいて良かっ
たと心から思いましたよ。続いて互助会に入りました、現金なものでしょ(笑)
遺影用の写真も沢山撮りました。サクラ並木の綺麗な場所で、赤い服を着たジジイ
をバシバシ撮る様は、傍目にも奇異な光景に写った事でしょう。
しかしシャッターを切る妻の心情を思うと、申し訳ない気持ちになり辛かったですね。
そうそう遺族年金についても調べてみました。昔の仲間にもそれとなく会いにゆきま
した、それから今のうちに綺麗な景色や美味いモノも食べておこうと考え、あっちこ
っちへ出向きましたね。しかし残念だったのは医者から酒をとめられており、もっぱ
らソフトドリンクでの食事となりましたが(笑)

こんな風に書くと毎日を気丈に過ごしている見たいですが、 実態は結構落ち込みま
した。しかし仕事には行っております。職場でも医師から余命まで告げられた人が、
今は回復し元気に働いているおり、そんな姿に勇気づけられたりしてます。それか
ら強烈なストレスからか3月初めより耳鳴りが続くようになりまして、結構コレがウ
ザイです。そんあこんなの毎日を今も過ごしておりますが、重篤な病の方は未だ決定
打が出ず検査中です。診断が下るまで待っていると、胃の方も大変な事になるので冒
頭ご報告の通りに5月中頃にやっと手術の運びとなりました。

余談ですが、大学病院と言う所はメンドクサイ所ですな。胃癌は消化器内科、重篤病
は呼吸器内科、リンパ摘出は総合外科と、コロコロとドクターが変わります。さらに
当初主治医だった胃のドクターが、最近転勤で変わりました。そんなこんなで5人以
上の医者に診てもらう事態となっております。
こんな感じですから、時間ばかりかかり気持ちが落ち着く暇がありません。
既に数ヶ月、悶々とした日々を過ごしてます。この状況下で妻には色々と、心配や苦
労をかけております。こんな事になったからでしょうか、30数年連れ添うて空気見た
いに思っていた、一つ々々が今は懐かしく感謝の気持ちでいっぱいです。しかし時ほ
ど恨めしものは無いですな。一度過ぎ去れば永遠に帰る事は無いのですから。

話は飛びますが、我宗派曹洞宗の大本山が自宅近くにあります。発病以来 こちらの
お寺へは足繁く通いました。こんな時ばかりのお参りでは、仏様に会わす顔もあり
ませんが、時間の取れる時は極力通いました。参拝の度「もし 己がまだ世の役に立
つのなら、もう少し生かしおいて欲しい。」と願掛けして帰宅しますと、なにやら少
し晴れやかな気になれます。

しかし 過日の事いつものように大祖堂へ焼香に入りますと、大勢の僧が朝のおつと
めをしておりました。多数の僧が一斉にあげる経は、荘厳で気品に満ちており空気が
ピンと張りつめ感じが致します。しばらく経に聴き入っておりますと、仏にまでミエ
を張っている、己に気づき恥ずかしくなりました。参拝の度に「まだ世の役に立つの
なら」等の理屈を並べて、仏にすがるのはヤメました。素直に「まだ死にたくないの
で、助けてください」とお願いする事にしたのです。そんな事があった直後の診察で、
ドクターから思わぬ事を言われたのです。病理検査等諸々の結果が出るまでは何とも
言えないが、もしかしたらそれほど重い病でないかもしれないと告げられたのです。
私にしてみれば、発病以来初めての希望の光です。どうかぬか喜びにならぬよう、願
うばかりです。

とは言え、胃の中の癌は日々育っており、5ヵ月以上放置してある事に 変わりはあり
ません。長々と書きましたが、数日後には手術台の上の人となります。GWで10日も休
んだのに、来週からもっと長い休みに入ります。願わくば既に手配の年末ハワイ便の
チケットが無駄にならぬよう祈るばかりです。
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