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メジロの来る冬

  冬の楽しみのひとつは、家の小さな庭にメジロが来ることである。もともと、この季節に花をつける庭木の山茶花の蜜を吸いにやって来るのだが、大好物だろうと思って木の枝に刺しておいたみかんを予想通り気に入って、一日に何度も何度も食べにくるようになった。窓から庭を見ると、風もないのにみかんを刺した枝だけが上下にゆらゆらと揺れていて、ちょうどメジロが飛び立ったあとらしいということもよくある。姿が見えなくても、ちきちきと可愛らしいさえずりが聞こえているから、いつもどこか近くにいるようである。
 みかんは、皮を半分ほど剥いて木に刺しておくのだが、そこからメジロは中の実を小さなくちばしで少しずつついばんで、薄皮まできれいに全部食べてしまう。実がすっかりなくなると、また、あたらしいのを刺してやる。
 あるとき、あたらしいみかんを持って庭に降りると、古い実がまだ少し残っていたので、二つ並べて枝に刺しておいたところ、そのあと半日も姿を現さない。なぜだろうと考えて、もしかしたら、畑やマンションのベランダなんかに吊るされている鳥よけみたいに二つのみかんが目玉に見えるのかしらと思い、みかんの位置を目玉らしくないように変えてみたら、しばらくしてメジロが来た。もっとも、本当に目玉に見えたから来なかったのかどうかはまったく憶測の域を出ない。本当に確かめようと思ったら、もっと長い時間をかけて目玉配置のまま観察すればよいのだろうけれど、そんなことをしてもしメジロが来なくなったら嫌なので、そういう試みはしない。
 あるときは、枝の先に止まってみかんをついばんでいたメジロが、ふと食べるのをやめて、首をかしげるようにきょろきょろとしているので、どうしたのかしらと思ってじっと見ていたら、空の高みから、ぴーひょろろとトンビの鳴く声が聞こえてきた。メジロがトンビに捕らえられたりするのは嫌なので、こちらも心配して見ていたが、そのうちぱっと枝から飛び立って、裏の家の常緑樹の陰に隠れたからほっとした。メジロにとってトンビは恐ろしい天敵に違いないから、緊張して上空の様子をうかがっていたのだろうけれど、無事がわかったあとになって思い返せば、もともとが目に白い縁取りをしたひょうきんな顔のメジロが真剣な表情をしているというのはなんだか可笑しい気がした。
 先日、家に寄った母が庭のメジロを見て、ちょっと太りすぎなんじゃないのと言った。確かに、うちに来るメジロは一日中みかんを食べている。公園などにいるハトやスズメが人間の食べ物を食べすぎて肥満になっているという話はときどき聞くけれど、みかんのような果物は自然にも存在するものだから、そういう問題は考えずにいたのだが、どうなのだろう。さらに、みかんばかり食べているから、本来鶯色のはずのメジロの羽が、何となく黄色っぽく見えるのだけれど、こちらは明らかに気のせいだろう。
(あんまり可愛いので、今日は写真にしてしまいました。)

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ハイテンション・ペンギン

 5、6羽ほどいるペンギンのうち、他のものはみんな水から上がって日向ぼっこをしているのに、一羽だけ、プールの中で泳いでいるのがいた。それも、少し変わった泳ぎ方をしている。おなかを下にして、頭を出して泳ぐ姿はよく見るけれど、そのペンギンは、身体をよじっておなかを上に出している。羽の下をくちばしでこすっていたから、どこかかゆいのだろうけれど、それで苛々しているのか、ただ掻いているというよりも、身体を右に左にせわしなくよじって、ハイテンポなシンクロの演技みたいである。すると突然、ペンギンは水の中にもぐると、恐ろしいほどの速さでプールをぐるぐると回り始めた。南極の海中をすごいスピードで泳ぐペンギンの映像が時々テレビで流れるけれど、まさにあんなふうな勢いで、ときどき息継ぎをするのか、まるでイルカみたいに水の上へ飛び出したかと思うと、また美しい流線型を保ったまま水に潜り込んで、あっというまに反対側に達している。ときどきどうやっているのかわからないほどすばやく方向転換をして、逆回りをする。見ている人は、みんな嘆息をもらしながら、目が離せないでいた。
 あとで、通りがかった飼育員の人にその様子を話して、そのペンギンの行動の意味についてたずねたら、自分はまだペンギンの担当になったことはないけれど、たぶんテンションが上がっていたのだろうということだった。
 まるで、猫がはしゃいで廊下をだーっと駆けていくようで、ペンギンというのは、その姿の通りやっぱり愉快な鳥だと思う。


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柿とメジロと三毛猫と

 冷蔵庫の中にしまったままになっていた柿がすっかり熟してしまって、柿の苦手な私はもとより、柿の柔らかいのが嫌いな夫も食べないので、庭に来るメジロにやることにした。
 いつもメジロが花の蜜を吸いに来る山茶花の木のとなりの百日紅の、冬枯れした枝に半分に切った柿を刺して、まだかまだかとメジロの来るのを待ったけれど、なかなか柿に気がつかないのか、メジロが来ぬままとうとうその日は暮れてしまった。
 次の日の朝起きて台所に下りると、ぴちぴちと可愛いさえずりが聞こえて、庭に薄緑色のメジロの姿があった。いつものとおりつがいで来て、かわるがわる柿の実をつついている。わずかな量の花の蜜を、花から花へとせわしなく飛び回って飲むよりも、一所にとどまって好きなだけ食べられる柿の方が、ずっと食べやすいにちがいない。味を占めて、メジロは何度も何度もやってきた。きょろきょろしながら柿の実をつついて、それが終わると、近くの枝に飛び移り、くちばしの両側を百日紅の枝にこすりつけて拭いている。その様子がとても可愛くて、いくら見ていても見飽きない。
 みゆちゃんはというと、同じようにメジロを見つめている。時々、猫が鳥や虫に呼びかけるように鳴く鳴き方で、ひげを震わせ、にゃ、にゃにゃ、と鳴いている。そんなふうに鳴いてしまったら、相手に自分の居所がばれてしまうのではないのかと思う。なぜ、呼びかけるように鳴くのか不思議である。メジロには手の届かないのを知っているのか、あるいは、みながメジロを可愛い可愛いと言うのでやきもちを妬いているのか、みゆちゃんの後姿は、なんとなく面白くなさそうである。

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小鳥たち

 庭先からぴーぴーという聞きなれない小鳥の声が聞こえてきた。そうっとのぞくと、白い胸元に黒いネクタイを結んだような、可愛いシジュウカラであった。二、三羽いて、地面の何かをついばんだりしていた。メジロも一羽来ていた。
 一月ほど前の暖かい日に、実家の庭で息子を遊ばせていたら、突然ちーちーという声が騒がしく聞こえたかと思うと、十羽ほどのメジロの群れが我先にと入り乱れるように飛んできて、庭の柿の木の柿をいっせいに食べ始めた。熟した実ばかりをちゃんと選んで、十羽が落ち着きなく、実から実へと飛び回り、突付き、振り返り、羽ばたき、柿の木は大騒ぎになったのだけれど、その騒ぎも数分のあいだだけで、メジロたちはもう満足したのか、やってきたときと同じように、いっせいにどこかへ飛び去っていって、後に残された私は何となく呆然とした。
 それから、何週間かあとの、また暖かい日には、今度はエナガの群れが柿木にやって来て、チュルルとさえずりながら、メジロと同じように騒々しく柿を食べ回ったあと、メジロよりかは長くいたけれど、やっぱり十分もしないうちに、飛んで行った。メジロもエナガも、そんな群れでいるところをはじめて見た。
 小鳥は可愛いから好きである。動きがせわしなくて、ちょんちょん右を向いたり左を向いたりするしぐさがいい。小さな鳥を飼いたいけれど、さすがに猫と小鳥は仲良くなれないだろうから、無理な話だと思う。
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ニセペンギン

 動物園のペンギン舎へ行くと、ときどき、一羽へんなのが混じっていることがある。ペンギンの餌の魚を狙ってやってくる、ゴイサギである。明らかに偽者であるくせに、何食わぬ顔をしてペンギン然として、プールサイドに突っ立っている。偽者であるけれど、白と灰色に塗り分けられた羽や、直立の姿勢が、なんとなくペンギンに似ていなくもない。
 ペンギンは、ゴイサギには知らん顔である。ゆうゆうとプールを泳ぎ、ときどき潜って、底に沈んだ魚の山から一匹取っては食べている。
 目の前にごちそうの山があるというのに、ゴイサギは食べることができない。ペンギンと違って、ゴイサギは潜ることができないのである。だから、ただじっと待っている。
 ときどき、プールの底から魚をくわえて浮上したペンギンが、うっかり魚を落としてしまうことがある。ゴイサギが狙っているのはそのときだ。すかさず大きな翼を広げて飛び上がり、水面近くに浮いた魚をひっさらう。魚を得たゴイサギは少し離れたところに降り立って、落ち着いてごちそうをいただく。
 川の中にじっと突っ立って、すばやく泳ぎ回る魚たちをしとめるチャンスを忍耐強く待つよりは、動物園でペンギンのおこぼれを気長に待つほうが、きっと楽なのだろう。
 ペンギンは飛べないから、ペンギン舎にはフェンスも屋根もついていない。お腹が膨れたら、とらわれの身の飛べないペンギンたちを尻目に、ゴイサギは翼を伸ばして自由な空へと飛んでいく。からだの自由はそのままに、動物園の餌だけを利用する、ゴイサギの贅沢気ままな生活である。
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おしゃべりスズメの動画

 先日、新聞で言葉を話すスズメの記事を読んで、いったいどんな声でしゃべるのだろうと思っていたら、その動画があった。ニュースステーションでも報道されたらしいので、すでに見た方も多いかもしれないが、まだ見ていなくて、興味のある方は、どうぞご覧ください。

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話すスズメ

 今朝起きたら、私の机の上に、新聞の小さな切抜きが置いてあった。夫が昨日の夕刊を切って置いておいてくれたのだけれど、人の言葉をまねるスズメの記事であった。
 三重県のあるお宅で、6年ほど前に、怪我をしたスズメを保護した。その家の人が、毎朝「おはよう」と声を掛けているうちに、半年ほどでまねるようになった。その後、「こんにちは」「いらっしゃい」など、9種類の言葉が話せるようになったという。
 いつも軒端でちゅんちゅんさえずっているスズメが、いったいどんな可愛らしい声で「おはよう」と言うのか、想像がつかない。
 記事には、「スズメのくちばしや舌では、オウムなどほど上手にまねはできないはず」という生物言語の研究者の言葉も引用されているけれど、それを読んで、オウムの口の構造とは全然違うだろうけれど、九官鳥なら似ているのでは、と思った。
 九官鳥は、オウムよりも言葉を覚えるのがはやいという。
 今もいるかは知らないけれど、昔、三条大橋のあられ屋だったか、竹箒屋だったか、店の先に九官鳥のかごが置いてあって、よく何かしゃべっていた。その店の前を通ったときに、「キーッ」という車の急ブレーキの音がして、はっとうしろを振り返ったのだけれど、三条通の車の流れにはどこにも緊迫したような跡はなかった。私の聞いたブレーキ音は、九官鳥の物まねであった。
 思いついた「スズメと九官鳥類似説」を検証するために、すぐに鳥類図鑑を開いてみた。子供用の図鑑であるから、あまり詳しいことはわからないだろうけれど、まず九官鳥の頁を開いてみると、ムクドリに近い仲間だという説明があった。
 では、ムクドリとスズメが近縁なのではと思い、ムクドリの頁を開いてみると、スズメの頁と隣り合っている。
 胸を躍らせながら、それ以上のことは私の図鑑ではわからないので、ネットで調べてみると、ムクドリはスズメ目ムクドリ科、スズメはスズメ目ハタオリドリ科で、どちらも、同じスズメ目に入っていることがわかった。
 この二種が遺伝的にどのくらいの距離にあるのかはわからないけれど、「スズメの舌は九官鳥に近い」というのが、私のでっちあげる新説である。
 などと、探偵ごっこをして遊んでいたのだけれど、この仮説、まんざら的外れでもないのではないかしらん、などと少し期待してみたりもする。
(そのあと、絵を描くために図鑑をよく見たら、くちばしの形がずいぶん違っていることに気がついた。)


【チャイム】言葉を話すスズメ(産経新聞) - goo ニュース
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庭の小鳥(後篇)

 そのうち、庭のみかんに気づいたヒヨドリが来るようになった。ヒヨドリはみかんを房ごと持っていってしまうので、ヒヨドリが来るとメジロはみかんが食べられない。もちろんヒヨドリにも食べてもらって結構だが、みんなが食べられるようにするにはどうすればよいかと考えた末、みかんをやめて、小さなコップに入れたジュースを置くことにした。ジュースにすれば、丸ごと持っていくことはできないし、メジロはからだの大きなヒヨドリがいないときに飲めばいい。100パーセントのオレンジジュースはメジロの口にあったようだ。
 警戒心の強いヒヨドリに比べて、メジロは好奇心が強いのか、あまり人を怖がらない。脅かさないようそっとメジロの木の横を通り洗濯物を干していると、逃げずに枝の上から見下ろしている。
 今ではみゆちゃんが庭を闊歩しているのであまり来ることはなくなったが、以前はキジバトもやって来た。庭に舞い降りて地面の上の何かをついばんだり、落ち葉の上で羽をふくらませて休んだり。スズメが来れば米をまいてやる。シジュウカラや、お腹の赤い、名前の知らない鳥が来たこともあった。町の中でありながら、意外と多くの鳥がいる。
 メジロが飛んでいったあとの庭に、みゆちゃんが降りていった。下生えの陰に隠れて、メジロが来るのを待つ気らしい。この寒い中じっとして、猫の根気のよさにはほとほと呆れる。
 根元がすでに腐っていた沈丁花の木は、みゆちゃんが登って倒してしまいもうないが、この冬もまた、鳥たちのためのちょっとした食べ物を置いておこうと思う。



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庭の小鳥(前篇)

 みゆちゃんが庭へ向かって、口を震わせるように「にゃ、にゃ、にゃ」と鳴いた。庭に鳥が来ているのだろう。ネロもちゃめもデビンちゃんも、みんな鳥に対してまるでさえずりを真似るかのような鳴き方をする。
 何の鳥かと庭を見ると、メジロだった。二、三日前に咲き始めたさざんかの花の蜜を吸いに来たのである。萌黄色のきれいなからだに白いアイラインがひょうきんで愛らしい。夏のあいだはほとんど姿を見せないのに、冬にはここに食べ物があることを知っているのだろうか。花から花へせわしなく飛び回って蜜を吸うと、どこかへ飛んでいってしまった。
 二年前の冬、さざんかの花が散ったあともメジロが遊びに来てくれるよう、冬枯れした百日紅の枝にみかんの房をさしておいた。メジロはいつもつがいでやって来て、みかんをかわるがわる突いて食べた。少し食べると、もう一羽と交代する。食べ終わった一羽は、低い沈丁花の木に飛び移って次の順番を待っている。常緑樹の沈丁花は冬にも葉が落ちず、メジロの姿を大きな鳥から隠してくれるので安心なのだろう。そうやって二羽ともお腹がふくれると、そろって沈丁花の枝に並んで休み、毛を繕いあったりした。私は二羽が一緒に食べられるよう、少し離れた二箇所の枝にみかんをさしておくことにした。



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鴨川のトンビ

 京都の鴨川にはトンビが多い。高く突き抜けるような秋の青空を悠々と舞う姿は、見ていて心が晴れ晴れとするが、油断は禁物である。弁当片手にぼんやり眺めていたりすると、トンビの襲撃に合う。知り合いは鴨川のほとりでのんびりから揚げをつまんでいたところ、あっというまにトンビに取られてしまった。トンビに油揚げならぬ、から揚げをさらわれたのである。鴨川の河川敷公園には「トンビに注意」という看板が立っている。
 私も被害にあった。いつだったか、日本海側のどこかの砂浜に座って菓子を食べていたときだ。上空を舞っていたトンビが不穏な動きをしたと思うと、痛い、菓子を持っていた手に衝撃が走った。一瞬何が起こったのかわからなかったが、トンビが手の菓子を狙って急降下し、菓子を掴もうとしたその足が私の親指にぶつかったのであった。トンビは菓子を取りそこなって再び空へ舞い上がった。私は大急ぎで菓子をカバンにしまい、その後、トンビから目が離せなかった。
 その海岸で、トンビにエサをやっている人がいた。その人の周りには何羽ものトンビがぐるぐると旋回し、投げ上げられたエサに向かって空中を滑るように突き進んでは上手にエサを取っていた。まず足で掴んでキャッチし、飛びながら器用にくちばしに渡して食べる。
 冬の鴨川に飛来するユリカモメには何度もパン切れをやったことがあるのだが、トンビにエサをやったことはない。ぎゃあぎゃあと騒がしく鳴くカモメにパンをやるのはなかなか面白いが、トンビにはカモメにはない迫力とスリルがありそうだ。トンビのエサやりをぜひやってみたいのだが、トンビは何を食べるのだろう。猛禽類であるからやはり肉食なのだろうか。
 ある日鴨川を散歩していたら、小さな犬を連れたおじさんがトンビにエサをやっていた。犬は突付かれないのだろうかと思いながら、エサに何をあげているのか聞いてみた。
「パンです。結構迫力あって面白いよ」
 カモメと同じ、パン切れでよかったのだ。今はよちよち歩きの息子がもう少し大きくなったら、一緒にトンビにパンをやりに行こうと思う。
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