あみたろう徒然小箱

お気に入りのモノに囲まれ、
顔のつぶれたキジ猫と暮らせば、あぁ、極楽、極楽♪

痛い生活 その2 〈腰部脊柱管狭窄症〉

2015-07-02 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
1)4月中旬から左臀部と左太腿に強い張り(腰部脊柱管狭窄症の特徴的症状)を感じる
2)4月末に聞きかじったストレッチをやり、直後から強い痛み
3 三鷹にある、脊髄関係の疾患対応が有名なK大学付属病院を受診、レントゲン撮影。
  3週間後にMRIの予約を取る。痛みはますます強くなり、立位、歩行に困難をきたす 

以上が、これまでの経過です。

痛い生活が続く日々、今回はその2。

MRIを待つまでの3週間は、ほんとにつらいものでした。
特に起床後3時間は酷く、午前中いっぱい強い痛みが続くことも。
10分ほど立っていると次第に左脚と左臀部が痛くなり、左脚から足の裏まで痺れてきます。
こうなると横になる以外なく、10分間ぐらい例えようがない痛みが続きます。
この間の痛みは強く、何をして無駄。
観念して息を殺す以外ありません。
そのうち痛みが消えてまた立つと、再び痛みに堪えかねる→横になるの繰り返しでした。

6月12日は、待ちに待ったMRI撮影の日。
それまでの3週間、痛み止めを処方されましたが、全く改善の方向は見られません。
この頃になると50mすら歩けず、ひたすら自宅に籠もる生活です。
あちこちの筋肉は落ち、どこもマシュマロ状の柔らかさ。
病院に行くには相方に車に乗せてもらい、受診機に診察券を入れる。
つぎに地下のMRIの受付に行き、MRIの撮影。
書類を持って2階の整形外科受付に提出。
MRIの画像を見て若い医師は、「腰部脊柱管狭窄症ですね」と病名を告げ、
さらに薬を追加してくれ、
痛み止め、炎症止め、血流改善、末梢神経の薬など、
5種の薬を服用することになりました。

薬の処方箋を病院向かい側の調剤薬局に持って行くため歩いたのですが、
信号の途中で痛みに音を上げ、拷問のような痛みに堪えつつ病院に辿り着いた途端、
入り口の車椅子に倒れ込むように腰掛けました。
ハァ~ハァ~。
こんなことなら、最初から車椅子を使えば良かった。

ようやくのことで自宅に戻り、処方された5種類の薬を服用するもとんど改善の兆しはありません。
痛みの頻度も歩行の短さもそのまま。
楽なのは座っていることと寝ていることでした。
(だからこんなふうにブログを書いていられるのですが・・・)

ところで相方は私より4最年上、
いずれ自分が私に何らかの介護をしてもらえるものと信じていたようですが、
思いもかけず私の“痛い生活”を中心に毎日が進むことになりました。
家事、歩行の付き添いに始まり、あちこちへ私の代理で出向き、
てんてこ舞いの毎日を送ることになってしまったのです。
彼にとっては考えもしなかった大誤算、
しかし歳を重ねるということは、こういうことなんですね。

さて次の受診日6月18日
薬を飲んでも効き目がなく、ますます痛がる車椅子の私を見て、
医師はブロック注射をすることにしました。
ブロック注射は尾骨からで、これは余り痛くないタイプです。
注射はどうということなく終わり、
まだまったく手術が視野に入っていなかった私は、
前夜から一生懸命考えていたことを切り出しました

「先生、こんな不自由な動きと強い痛みで小一時間かかるここに来るのは大変です。
うちから車で15分ぐらいで行ける武蔵村山市のM医療センターに紹介してください」
もちろん、M医療センターが脊髄疾患の治療、手術に関して、
脊柱管狭窄症など脊髄関係の疾患に関して大変優秀な病院であることは調査済みです。
少なくともK大学病院の若~い医師よりはずっと良いはず。
すると思いがけず医師は、こう言います。
「お宅は国立駅の近く? M医療センターでもいいけど、
それなら、もっと近くにH病院がありますよ。そこを紹介しましょう」
ノーマークの病院名を挙げられ、戸惑いました。
この辺が私の優柔不断なダメなところなんですが、
一瞬どうしたもんかと考えていたら、
若い医師が強~く推す、東大和市のH総合病院に決まってしまいました。
ありゃりゃ、どうして私ってこうなんだろう。
御身大切な、ほかならぬ自分のことなのに。
もしも手術となったら、M医療センターに紹介してもらおうっと。

5種類の薬を飲みつつ、翌週、H総合病院に行くことになりました。
複雑な思いで、痛い体にむち打ち騙し騙しK大学病院から帰宅。

翌週受診したH総合病院のベテラン医師の判断により、急展開が待っていたのです。

 「痛い生活」まだつづく