あみたろう徒然小箱

お気に入りのモノに囲まれ、
顔のつぶれたキジ猫と暮らせば、あぁ、極楽、極楽♪

階段は、あと数段にご用心! 

2015-06-01 | よもやま話
つい最近のこと、知人が家の中の階段を降りていて、
あと2、3段というときに踏み外して足首を骨折しました。
10年ほど前にも、友人が自宅の玄関先の階段を踏み外し、
かかとに複雑なヒビが入ってしまったことがあります。
こちらもあと1、2段だったそうです。
生協の共同購入で配達された卵を、
数軒で分けるため両手に持って降りていたんだとか。
お二人とも日頃からゴルフやウォーキングに勤しんでいる方です。
両手に物を抱えて階段を降りると、足元が見えないんですよね。
どちらも歩行に重要な部分で体重がかかりますから、痛烈な痛みがあったそうです。

ここからは私の、ちょっと気が抜けた骨折話。
骨折したのはいままで2回、いずれの場合もそのときは全く痛みがなく、
骨が折れたという実感はありませんでした。

初めて骨折したのは20年近く前のこと、鎖骨骨折でした。
骨折部がズレなかったためか、痛くも何ともなかったのです。
しかしこれは、骨折した地域がまずかった。
ところは中国奥地の辺境地、日本から3日間かかる(現在は2日間)山奥。
雲南省の北東端にある、ロコ湖(ルグフ)岸辺の村で、
モソ人の妻問い婚の調査をした帰りでした。

高地にある調査地からの帰路は下り坂の連続、
運転手はガソリン代を節約するため、「ニュートラル」で一本道を下って行きます。
ギアがニュートラルに入っているのに気づき、
惰性が加わり猛スピードで走る恐怖におののいていたその矢先、
前方から人民解放軍のジープが登って来ました。
「あっ、正面衝突!」
と思ったものの声が出ません。
運転手は、とっさにハンドルを右に切り車は土手下に。
左側は山なので、右側通行の中国ではこちらが土手下に落ちる以外ありません。
途中で質の悪いコンクリートの電信柱をなぎ倒し、スピードが落ちたのが救いでした。
このとき後部座席には三人、左端に私の相方、中央に通訳、右端に私でした。
スピードが落ちた車は右回転で横転し、裏返しになって止まりました。
横転の瞬間、哀れ私の肩に隣2人分の体重が一気にかかり、鎖骨が折れました。


土手下に横転した私たちが乗っていた車。上の道にあるのは相手のジープ。
画像にはないが、さらに右には細いコンクリートの電柱が倒れている
 


私たちの車の運転手さん、車をのぞき込んで「あぁ、これからどうなるんだろう・・・」と呆然 

人民解放軍は事故の相手が外国人と知り、
「だいじょうぶか?」と、さかんに訊いてきます。
(一般中国人にはいつも横柄なのに、外国人と知り慌てたようです)
「没関係! 没関係!(だいじょうぶ、だいじょうぶ)」
私は元気に答え、一眼レフで状況を撮りまくっていました。

ところが、彼らと別れたあと1時間もすると、じっくり痛みが襲ってきて、
その後は「痛い、痛い」の連発、そのうち痛みで声も出せない状態に。
3日後にようやく帰国し大病院の救急にかかるまで、
大変な労力と痛みに耐えることになったのです。

さて、2回目はいまから5年前、実家のある静岡市でのことでした。
スーパーの駐車場で車を降り、勢いよく入り口に向かっていたとき、
車止めに気づかずに蹴つまづき、派手に前のめりに転倒。
倒れた瞬間、左手を地面に着きました。
このときも全く痛みを感じなかったのですが、左手の小指が動きません。
絶対に折れていると確信した理由は、
倒れた瞬間、左手の小指が裏返って手の甲にぴたりと着いてしまったから。
これは、人間の手ではあり得ない形。
1回目の骨折時に無痛だった経験から、これは折れたと確信したのです。
「買い物どころじゃない!」
折れた小指を立ててハンドルを握り、
119番で教えてもらった、日曜担当医の元に車を走らせました。
 
左/静岡での応急処置。
右/レントゲン写真。下半分は手の甲、上の左端小指の根元が骨折(気持ち悪い人は見ないでくださいね)
 

1、2回目とも、事後のリハビリは大変でしたから、
もう骨折はクワバラくわばら。

最近よく聞くのは階段の踏み外しです。
それも、あと数段という気の緩みから来るものが多い。
『徒然草』の「高名の木登り」で、
木登り名人が言う「過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつる」
危なくないところになって気が緩み、ミスが起こるのは今も昔も同じ。
階段で言えば、あと2、3段というところでしょうか。
現代もこの教えを肝に銘じ、階段は最後の数段にご用心。


『徒然草』 木登り名人(一〇九段)
高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、 「過ちすな。心して降りよ。」 とことばをかけ侍りしを、 「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。」 と申し侍りしかば、 「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつることに候ふ。」 と言ふ。
あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難きところを蹴出だしてのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。