「どうする家康静岡大河ドラマ館」もあった
徳川家康ゆかりの神社である
静岡浅間神社を参拝する
静岡浅間神社は、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の独立した三社からなり
「静岡浅間神社」はその総称になるとのこと
神部神社は約2100年前が鎮座の始まり
平安時代には延喜式内社となり、駿河国総社となったそうな
ご祭神は大己貴命さま
浅間神社は、富士山本宮の新宮として分祀された神社
平安時代の901年の創始
ご祭神は木之花咲耶姫命さま
そんな静岡浅間神社では
弘治元年(1555年)今川家の人質であった徳川家康(幼名・竹千代)が、14歳のときに元服
着初めの鎧を今川義元から贈られたそうな…
天正9年(1581年)、武田軍との戦争で、徳川家康は戦勝を祈願した後、後日必ず再建すると誓って、浅間神社に火を放ち、背後の賤機山城を攻め滅ぼしたそう
そして、ちゃんと、その約束を守った徳川家康…
天正14年(1586年)、家康公は駿府に移ると東海各国に勧進を行い、慶長年間に社殿を造営したんだとか
その国指定重要文化財の社殿群は、極彩色の豪華絢爛さから「東海の日光」とも呼ばれている静岡浅間神社
駿府城公園の方面から静岡浅間神社へ向かう参道は
「てくてく家康たび」と「どうする家康」ブームにのっかって??
微妙に盛り上がっています…
浅間通りの赤鳥居をくぐって
境内へと
これが境内図
神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の独立した三社がまとまって、ここにあるだけあって
境内は広い!広い!!!
まずは
大歳御祖神社から
楼門
楼門には
随神様
朱の色鮮やかな手水舎があって
ここで、手を浄めます…
この時期、インフルエンザ菌がくっついてるかも知れない…
いやいや、新型コロナウイルス菌がへばりついてるかも知れない…
ここは念入りに手を洗って
これで神様も安心でしょう
まずは、三社の一つ
大歳御祖神社
応神天皇の頃、約1700年前の鎮座
静岡・安倍の市の守護神だったよう
ご祭神は
大歳御祖命さま
殖産興業を守る神さま…
神紋は三つ葉葵の変形バージョン??
ここにて
二礼二拍手一礼
さて、続いては「蔡館」を通り過ぎて
これは境内社なんだけど、豪華絢爛
八千矛神社
徳川家康の念持仏であった摩利支天像を安置するために造営されたもので、摩利支天社と称し、徳川家をはじめ幕府が殊に崇敬を尽くし、社殿も本社に次いで造営され、それは壮麗なもので…明治初年の神仏分離に際して、摩利支天像は葵区大岩町の臨済寺(今川家菩提寺)に遷され、ここは、八千戈神社となったそうな…
八千戈の神とは、幾多の困難を乗り越えて道を切り開いた開運の神さま…ここは、必勝、勝運の願掛け
競馬よ!当たれ!!!
さてさて、神部神社、浅間神社、二社合祀の大拝殿は、ご覧のように改装工事中
二十年かけての化粧直しとのことで、平成令和の大改修工事実施中で拝めなくて残念
2階建ての楼閣造りで浅間造りと呼ばれる様式の「大拝殿」
写真で、ググったら、荘厳な雰囲気で望楼型の城の天守閣みたいだったのよ
ああ、みてみたかったなあ…
写真右は舞殿
舞殿
その背後のお城のような「大拝殿」をみたかった…
…お披露目は、5年後のよう
手前にはお賽銭箱
神紋が二つありますなあ
右側が「神部神社」
ご祭神は大己貴命さま
「除災招福」を願って、ここは念入りに
「夫婦円満」を願って、ここは念入りに
あの…お賽銭を投げたら、はじいて、神部神社の方へお賽銭が落ちて行ったのよ…なぜ???
木之花咲耶姫命さま
我が家の「夫婦円満」に何かご不満でも???
先ほど、大歳御祖神社で、念入りに手を浄めたからいいかと思いきや
ここにも朱が眩しい手水舎がありました…
こちらは浅間神社専用??の手水舎
そうか、お賽銭がはじいたのは、浅間神社専用??の手水舎で手を浄めなかったからだ…と思いつつも
神部神社専用の手水舎でも、手を浄めなかったぞ…
木之花咲耶姫命さま
やはり我が家の「夫婦円満」に何かご不満でもあるのかな???
工事中ではありましたが
それぞれの神様ごとのお賽銭箱がありました
浅間神社
もうお賽銭は、賽銭箱からはじきませんでした
これで夫婦円満だ―??
神部神社
さてさて、そこには、それはそれは立派な…立派すぎる
楼門がありました!
静岡浅間神社では、40年ぶりに20年かけての平成令和の大改修が平成26年より実施されてて
そんな中、この楼門のお色直しは2020年に終了したそうな
そんな静岡浅間神社のマップを眺めながら
ただブログが長くなっているので次回に続く!
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