「なんと(710)立派な平城京」のゴロ合わせで覚えた平城京が、
「国営平城宮跡歴史公園」「県営平城宮跡歴史公園」となって、どんどん、いろいろなものが復原されている2022年
その「なんと(710)立派な平城京」に行ってきた話の続き
平城宮跡資料館に立ち寄って、その後「第一次大極殿南門」「第一次大極殿院正殿」「平城宮跡復原事業情報館」などを歩いて廻ってみた後には
同じ平城宮跡にあるのに…歩いてではなく、一旦、平城宮跡資料館そばの駐車場に戻って…軽四で…車を走らせて
平城宮東院庭園へ…
その平城宮東院庭園の駐車場から、また軽四に乗って、その北の方にある
平城宮跡遺構展示館へ
ここも手前に駐車場があって、どこの駐車場も無料…
コスパ最強で…実にありがたい…
奥に「第一次大極殿」の建物がみえますなあ
どどんと大きい平城宮跡の看板
これは、踏むこともできちゃう!!進撃の巨人気分が味わえる…マップ
もちろん、平城宮跡遺構展示館も平城宮跡内にありますから、ぶらぶら歩いても歩けない距離じゃないんですけど…
訪ねたのは2022年、夏…
溶けるくらいに暑かったのよ…
平城宮跡遺構展示館内はもちろん涼しい…
かつ、ここも、入館料無料!無料!!私の大好きなタダ…
絶対、遺構??もとい…行こうと思っちゃう…
さてさて、先ほど、東院庭園に入った時も行いましたが、ここでも体温測定&手指消毒…
新型コロナウイルス感染症が蔓延して遺構…もとい…以降、このような対策をとられているハコモノ、実に多いですよね…
さて、入場すると「北棟」から
「内裏と第二次大極殿」のコーナー
「第一次大極殿」ではなくて「第二次大極殿」
それは、聖武天皇が恭仁京へ遷都した際に移築され恭仁京大極殿となり…さらに、紫香楽宮などを経て平城京へ戻った聖武天皇は、新たに大極殿を再建した…それが「第二次大極殿」
天皇の居住空間である「内裏」
その内裏(中心部)遺構模型
黄色で囲った部分が建物模型範囲ということで、その
内裏遺構模型がどどんと…
もう…それは、圧巻の一言
このジオラマは、内裏正殿
大極殿や朝堂が瓦葺き礎石立ちの中国風の建物であったのに対して、「内裏正殿」は檜皮葺の掘立柱建物という日本古来の様式で作られていたとのこと
奈良の一刀彫りので表現された人形も並べられてて、当時の雰囲気が伝わってきますよね…
今日は「あっつぅ(暑い)」と口にしてるに違いない??
この「内裏正殿」の廻りを「築地回廊」が囲む
回廊をながめて回廊(帰ろう)…いやいや、まだ入ったばかりやがな…
「築地回廊」の奥に「内裏正殿」
もう眺めているだけで飽きない!飽きない!!あたかも、奈良時代に、その場にいるかのような気になってくる
そして、もっと圧巻なのが
「遺構露出展示」
遺構の「穴ぼこ」は建物の柱穴を示したものとのことで、土に穴を掘り、直接、柱を打ち立てた掘立柱の形式で建物が建てられていたらしい…
発掘された遺構面が、このハコモノの中で…空調が効いた快適な空間の中で眺めれちゃう…
遺構変遷
「730年(天平の初め)頃から770年(宝亀の初め)頃にかけて4~5期の変遷があることがわかります。」との案内表示
その遺構の順番が色分けされて
これは奈良時代のあいだに建物が何度も建て替えられたことを指し示したもので、月日の流れに応じて変遷があったことがよく分かる
不明期も、今度訪問したときには不明期じゃなくなっていたりして…
内裏にあった井戸…
大きな木をまるごとくりぬいて枠が作られているようで
でかいどー!!
第二次大極殿の説明解説パネル
その屋根の部分の復原
ご覧のような鬼瓦と丸瓦
瓦の色の濃淡があって濃い部分は当時の瓦、白いところは復元した瓦のよう…よく昔のものと、かわらなく復元したなあ…と、今「かわらなく」と言いましたが、ここに「かわら」はあるんですけど???
平城宮第二次大極殿基盤の南北断面の剥ぎ取り
第二次大極殿の「基壇」を発掘した際に現れた土の断面ですな…
地層の下から順に、「前身掘立柱穴」「第1版築土層」「第2版築土層」…そして「礎石跡」
「地層」よりも「剥ぎ取り」との言葉に敏感に反応してしまう私…頭頂部を気にしながら…???
そうそう、ここ平城宮の北東の端っこに、このハコモノがあるせいか、タダなのに…タダなのに…観光客が少なくて…なので、じっくりと「遺構」を見学できますよ!!
以上で「北棟」を後にして
続いては「中棟」へと…
その通路の右側の中庭には
「石柱」…
大正時代に「第二次大極殿跡」に建てられたものらしい
「中棟」は
「様々な役所」といった役所にまつわる展示品のコーナー
この展示室も誰もいないので、ゆっくりと、かつ、まったく新型コロナウイルス感染症の心配なく眺めれちゃう…
このモニターの映像をみれば、平城宮の役所のことについて、よーくわかる!!…この映像はエエゾー!!
大きく分けてまず「二官」神祇官と太政官があり、太政官の下に左右からなる「八省」
左弁官局管轄の中務省・式部省・治部省・民部省
右弁官局管轄の兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省が連なる構成
さいど(再度)…井戸
奈良時代においてレンガを積んだ独特の建築であったと推定される「塼積官衙(せんづみかんが)」付近から出土した井戸枠
方形のものと丸型のものが並べて展示
先ほどの「内裏の井戸」ほどデカくはないけど、それなりにデカいど…
「塼積官衙(せんづみかんが)」の説明解説パネル
そのレンガを積んだ独特の建築であったと推定される「塼積官衙(せんづみかんが)」遺構の模型
この遺構の模型の奥…黄色で囲まれた部分は、模型で建物が復元されていまして
塼積基壇建物の復元模型
これが「目かくしの塀」…「へー」と頷く私…汗…もっと、ひねらんと!!
奈良の一刀彫の人形のオジサン
お腹が痛くてトイレに行きたいんやけど…と、我慢していそう???
「お奈良が…おならが…」…この発想、小学生か!!
「第二次大極殿」と「民家」の瓦の重さなどの違いが比べれちゃう展示…
でも、新型コロナウイルス感染症の影響でしょうか、触れてはだめだけど、見た目だけで瓦の違いが伝わってくる
「酒造司」の排水用の木樋の解説パネル
「酒造司」…お酒を造る役所の解説パネル
塼…奈良時代のレンガのよーなものですな
これらは、建物の基盤に積まれた塼
瓦…
鬼瓦
土器の解説パネル…読んでるだけでドキドキしますな???
文房具
写真右は役所の仕事道具である硯
役所名が書かれた土器
その破片…
書類として使われていた木簡
さて、「中棟」の展示室を出て、中棟の建物と南棟の間のスペースには
「礎石」が集められてあって
これらは、平城宮の北西に位置する佐紀池付近から出土したもので、柱を立てるためにしつらえられた「柱座」を加工した礎石もみられる…
さて「南棟」に入ると
どどんと建物の中いっぱいに
塼積基壇建物の遺構露出展示が
さすが、遺構展示館…そのネーミングどおりの遺構がそのまんま…このハコモノの中に…
建物の基盤、そして、その通路らしきものがよくわかる…
「北棟」の掘立柱の柱穴がある「遺構」と違って、奈良時代のレンガ(塼)が並べられた遺構で、発掘調査の結果、無数の塼によって形成された基壇や通路を持つ建物がこの場所に存在していたことがわかり、この形態からここに存在した建物を「塼積官衙」(せんづみかんが)と呼んでいるとのこと
「塼積官衙」は平城宮にあって珍しい建物らしく、天皇の住まいである内裏やそれに付設する宮内省と隣接する場所にあったらしい
もし、ここが復原されたらのイメージ図
版位の塼(レンガ)
左側には「公事」、右側には「私事」と刻まれている…
「儀式のときや日常の仕事で、役人の立つ位置を示すもの…二つの塼は日常用のもので、公事のところで公の事務、私事のところで休暇届など個人的な事務をあつかっていました…」との解説
公私の区別がこの頃からしっかりとなされていたんでしょうね…きっと…
今の国会議員さんも、奈良時代の律令政治ををみならってほしいものです…
屋外にも塼積基壇建物の遺構露出展示…柱の一部が復原されているようで…
一部、防水シートが被されているところもあって、お詫びの説明板もありました…
屋外にあった塀…
以上で、「平城宮跡遺構(いこう)展示館」の紹介はおしまい…
遺構(いこう)を残して、そのまんまを伝えようと、この「遺構(いこう)展示館」の意向(いこう)がよく伝わってきて、かつ人出も少なく…感染症対策も安全!!
遺構(いこう)がそのまんまでみられて、平城宮跡を感じれる場所として「さいこう(最高)」だから…ぜひ、「遺構(いこう)展示館」にいこう!!
と、いこう(遺構)のオヤジギャグを畳みかける
今回のブログに、へいこう(閉口)…汗
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