新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

関ヶ原の戦いの史跡めぐり…西軍の陣跡…大谷吉継陣跡とお墓と…小早川秀秋のいてた松尾山を眺めることのできる眺望地へと

2019-06-25 06:26:14 | 歴史史跡
関ヶ原の戦いの史跡めぐり…


今回は…西軍の陣跡を巡る…



東軍の陣跡は
街の中に…ぽつんと石碑と案内看板があるだけで
当時の面影を妄想するのは
なかなか困難であるけれども

西軍の陣跡は
山の中、森の中にある場合が多くて




東軍の陣跡よりも
ウンと…ウンと…妄想に浸りやすい…




今回まず紹介するのは


平塚為広の碑…









大谷吉継陣跡や大谷吉継墓がある藤川台の東麓にある
平塚為広の碑…






正直ここに来るまで
平塚為広って誰???って感じで
まったくもって知りませんでした


…ので
ぐぐってみると

盟友である大谷吉継の配下として参戦

身体の不自由な大谷吉継に代わって
大谷軍を指揮したこともあり…


小早川秀秋および脇坂らの寝返りによって苦戦に陥り、奮戦も虚しく戦死したとのこと


為広が吉継に送った辞世の歌

「名のために捨つる命は惜しからじ 終にとまらぬ浮世と思へば」



それに対しての

大谷吉継の返歌

「契りあれば六つの巷に待てしばし 遅れ先だつことはありとも」



二人は
武将と家臣といった関係以上の友情で
結びついていたのかもしれませんね…




私の妄想の中で浮かび上がる



あの世で…そう…あの世
大谷吉継と平塚為広が酒でも飲みながら
語り合っている姿が…



あのよ…俺、小早川秀秋は裏切ると思ってたんだよね…」

あのよ…だから、じっと小早川秀秋のいた松尾山をみてたのよ…」

あのよ…でも俺、視力悪かったじゃん…
あのよ…だから、こっちへ攻めてくるのを気づくのが遅かった気がするんだよね…」




あの世で…そう…あのよ…って…あのよって…呟きながら…苦笑




続いては
藤山台の山道を行く!!









ちょっとした
森林ハイキング



…といっても


山道は

登って…登って…
ひたすら登ってばかりだけど…


着いたと思ったら
まだこの先…だったりして…








大谷吉継の…
当時の武士の苦労が僅かながらも
実感できる…




こんな山道を
鎧をきて…
あの重そうな火縄銃を担いで
登ったんだよな…


それも…
こんなふうに道も整備されていないのに…





約15分ほどは登っただろうか…


ついに到着

大谷吉継顕彰碑










大谷吉継の墓









 
その墓はひっそりと吉継の側近「湯淺五助の墓」と一緒に建っていました…










大谷吉継隊は

前面から東軍
側面からは東軍のスパイのような行動をみせた脇坂隊
後ろからは裏切った小早川隊が襲いかかり
包囲され、壊滅!!


大谷吉継はこの時
なんでもハンセン病を患っており
敵に首を渡すことを恥として


自害したとのこと…


その際

側近の湯浅五助に首を討たせ


湯浅五助は吉継の首を陣から離れた場所に埋めたそうな…



しかし埋め終わった直後に、敵である藤堂高虎の軍の配下、藤堂高刑にみつかってしまう…


ここで湯浅五助は藤堂高刑に

「私の首の代わりに、大谷吉継の首をここに埋めたことは秘してほしい」


と懇願し



藤堂高刑はそれを承諾して
五助の首をとったとか…

その後
徳川家康のいる本陣に赴いた
藤堂高刑は湯浅五助の首を差し出したところ…


その際…
大谷吉継の首は??と尋ねられるも

藤堂高刑は、大谷吉継の首を差し出せば
大手柄であったにもかかわらず…
湯浅五助との約束を頑なに守って
大谷吉継の首のことを語らなかったとか…



歩くことさえままならないハンセン病を患いながらも
この山中で戦い抜いて
最後まで武士道を貫いた大谷吉継


大谷吉継の命を
自分の首を差し上げても主君大谷吉継の名誉を守り貫いた
湯浅五助



そして

徳川家康に
大谷吉継の首の在り処を知ってたはずだ!と問われても
「湯浅五助との約束なので、家康さまであっても言えません!!」と
武士道をまさに貫いた藤堂高刑



三者三様の
ドラマがこの地にあって
私のような妄想歴史マニア…にとっては
ただ…お墓が…顕彰碑が建ってるだけの場所なのに…


実に感慨深い…



また頑なに口を割らなかった藤堂高刑を非難することなく
「武士道」を貫いたことを感服してか
徳川家康はこの藤堂高刑に褒美として槍と刀を与えたとか…


藤堂高刑の主君
藤堂高虎はこの藤堂高刑を敬い、
大谷吉継の首を埋めた関ヶ原のこの地にお墓を建てたとのこと…


敵方の
藤堂高虎がお墓を建立…

藤堂高虎も
大谷吉継に生きざまに感銘を受けてたのかもしれません…


なんたって
私も…この地で
妄想に浸りながらも
感銘を受けているから…???



さてさて
お墓からまた林の中を
5分ほど歩いたところにあるのが


大谷吉継の陣跡







この地で


前面から東軍
側面からは脇坂隊
後方からは裏切った小早川隊が襲いかかってきたんだ…



さらに
もう少し進んだところに
ある松尾山眺望地









おお…
小早川秀秋のいた
松尾山がみえる!みえる!!







ここで
小早川秀秋の動向を気にしながら
東軍と戦っていたのですね…




ここで
私…
大谷吉継になることができました…???…笑


顔をハメないと
湯浅五助に首を討たれた状態になったまま
立ってる気がしたので…
ここは顔を出さないと…


それにしても
顔を出して写真を撮れば
実に弱そうな…汗
武将ですが…










大谷吉継になったつもりで
松尾山を眺める…




小早川秀秋に裏切られ
あの山から小早川隊の1万3千の兵が襲い掛かってくる図を想像してみる…


近すぎる!近すぎる!!





秀秋の兵1万3千が
この山を下り突撃…
その大軍を麓まで撃退すること三度



遂に総崩れとなり
吉継は自刃することとなる…




なんか顔出しパネルに顔を出して
松尾山を眺めていたら


攻寄る
小早川軍隊の兵の声が聞こえてきたような…



大谷が、ここに、おったに…(大谷が…ここに、おおたにおったに…)」


汗…




その後の展開は
歴史の史実とおり…


あれれれ
大谷吉継の首がない!!!









自害したときは
そばに
湯浅五助が…そばに


おったに!!」(大谷!)…汗












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