新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

丹羽氏の居城…岩崎城に行く!!

2022-07-16 07:31:16 | 歴史史跡

岩崎城に行く…

岩崎城といえば、「森山崩れ」により清康が死去すると、松平氏の勢力は岩崎城から後退し…

その後、松平家の本郷城主・丹羽氏清が移り住み、丹羽氏が4代にわたって岩崎城主として君臨…

 

そんな岩崎城が歴史上の大きな争いに巻き込まれたのが

1584年の小牧長久手の戦い…

この時、岩崎城主であった丹羽氏次は徳川家康の本陣である小牧山城に入っていたため、留守の岩崎城は弟の丹羽氏重が守っていた…

 膠着状態となっていた合戦の中で、秀吉軍の池田恒興隊が、この岩崎城下を抜けて家康の本城である「三河中入り」と呼ばれる岡崎城を攻めようと進軍していた途中…岩崎城…仮の城主、丹羽氏重は、黙ってそれを見過ごすことはできず…城兵300人ほどでが弓、鉄砲で池田恒興軍を攻撃する!

池田恒興隊は約7000人…それが弓、鉄砲で攻撃されたからには、当然岩崎城を攻めることに…

兵の数を比べても、勝負の結果は歴然…岩崎城では丹羽氏重の城兵299人が討死…でも池田隊にも約1000人の戦死者を出すことに…


丹羽氏重は森長可隊の鉄砲で討死、享年16歳だったとか…

結果、池田恒興、森長可によって、岩崎城は落城…ここでは、秀吉軍の有利に思えたのだが…

 

そんな戦いの歴史のある…岩崎城へ…

模擬天守が建っている岩崎城ですが、歴史上の史実によると…1階建ての建物だったらしい…

なので、これは歴史的史実と異なる「なんちゃって城」でありまする!!

 

 

さてさて模擬天守には「なんちゃって城」が建っちゃってますが、な、なんと城址マニアには嬉しいことに、当時のままに土塁や空堀が残っているのよ!!

これが、岩崎城全体・案内図

 

土塁、土塁、堀切、堀切…

 

 

 

テンションがあがる!あがる!!

はい…私…城址マニア…(城マニアではけしてない…土塁や石垣などの遺構をみて喜ぶ「城址マニア」)でして、遺構(いこう)が好きなので、こうして、岩崎城に「いこう」と思った訳でして…

 

二の丸庭園、「二の丸」、本丸の外側の郭、馬出となっていた場所に、後々になって作られた庭園…

まあ、簡単に言っちゃえば、これは「遺構」でもない訳で、おそらくここにきた半数以上の方が、岩崎城には、戦国時代当時に、名古屋城のような庭園があったんだと勘違いされて帰っていく???ことでしょう??

水琴窟

この白い石のところに水をかけ突き刺している竹に…耳をやれば…素敵な音色に癒される!!…なんてことはありません!!

この看板表示が気になって…気になって…

ハチとか蛇とか苦手なんだよね…

 

実は、この水琴窟に

「勘助の井」と示す石標がありまして

えっ??武田信玄の軍師として名高くなった山本勘助の井戸なんだ…武田軍はここまで攻めてきたことないけど、山本勘助が観光か出張かなにかで遊びにきたんだろうな…と勘違いして帰った人は、きっといるはず…

勘助は、山本勘助じゃなくて、岩崎城城主「丹羽勘助氏次」の「勘助」ですよ!!

 

土橋跡

 

この橋のあたりが、元土橋あたり…

 

 

渡ると…櫓台の案内が…

 

登っていくと右手には祠と神石、さらに奥には石碑が見えています。

 

 

これは「表忠義」碑

題字『忠義を表す』は徳川最後の将軍、慶喜の書らしい…明治の1910年に旧尾張藩士らの手により、岩崎城の戦いで戦死した丹羽軍将兵を慰めるため、「表忠義」の題を持つ記念碑が本丸の櫓台に建てられたとのこと…

 

 

 

この「表忠義」碑を通り過ぎると、「古墳」を示す案内表示が…いやあ、「古墳」だけに「コーフン」するねえ!!

 

 

おお、古墳がみえてきた…とコーフンするこの瞬間

 

 

 

説明板によると、この古墳、復元されたものなのね…とちょっとテンションが下がる!下がる!!

 

 

「丹羽勘助・古城之址」の石碑

 

ここをみれば、山本勘助でないことは一目瞭然です!!

 

ここから見下ろす日進市の街並みの眺望が風も吹きつけてめちゃ気持ちいい

 

 

井戸

 

 

 

発掘調査で素掘りの井戸(内径2.4m)が確認されたとのことで、井戸跡が復元表示されてる…想像以上にデカいど…汗…

 

隅櫓跡


昭和59年からの発掘調査の際に、建物遺構の中で、唯一礎石を有した建物が本丸南東部の張り出し部分に発見され、縦横共に一間(約181cm)間隔ごとに5つの礎石が配置され、4間×4間の建物であったことが分かったとのこと…

 

 

以上、遺構をじっくり堪能した後には

岩崎城歴史記念館

へと…

 

なんと、嬉しいことに入館無料!!入館無料!!

ただ、新型コロナウイルス感染症対策のため、検温及び連絡先の提出は必要ですけど…

 

なんかダッチワイフを彷彿させる、この人形…汗…「かんすけくん」

何が、ダッチワイフだ!!

丹羽氏重さまがめちゃ怒ってますなあ…

 

 

 

 

ご城印…今ブームのようで…あの…買わなかったから怒っているのではないと思われます…だって、丹羽氏重さまのご城印じゃないから??ね…

 

でも、丹羽氏重さまを怒らせたから…という訳ではありませんが…館内撮影禁止でした…

感想を一言いうなら、狭いながらも、たとえば「岩崎城の戦い」について、落城までをマルチスライドスクリーンで再現してくれるマシーンもあって、ここにこれば、岩崎城の歴史について、30分ほど…いや…10分ほど…いや、5分ほどは熱く語れるはず…

 

さてさて、その後、史実とは異なっていますが

岩崎城へ…厳密には岩崎城展望台へと

 

 

 

いやあ、ここにきた半数以上の人が、岩崎城はこんな城だったんだ…と勘違いしてるはず…

こんな大手門があったんだって

さらには、岩崎城に入るには、当時も靴を脱いでたんだ…と勘違いしているもいるかも…??

 

 

 

 

正面の展示コーナーには

 

 

 

「移りゆくにっしん」

 

きっと、日進市は「日進月歩」のように日々発展しているのでしょう…

 

そんな日進市にまつわる展示が

 

臥龍の松

妙仙寺の境内にあるクロマツが朽ち果てた姿で展示されてたり

 

民俗資料館的な展示…

さらには、古写真

 

岩崎御嶽山は、当時木々が生い茂っていなかったのですね…

 

その岩崎御嶽山のことを書いたブログをついでにどうぞ…

 

B級スポットマニアには、憧れの…岩崎御嶽山に行く!!

 

と…ここまではフツーの展示に思えたけど…

 

 

びっくりしたのが、こちらの人形…日進市の産業の一つなのかな…

それにしても、ホラーっぽくて…ホラーっぽくて…ほらーっ!!

 

 

 

そして…

 

すみません!なんかホラー映画をみているような感覚に…

 

ここは城の中なんだ!城の中なんだ!!と気分を入れ替えて…(笑)

 

 

ソーシャルディスタンスを保ちながら…とか言いながら、誰もいませんけど…

 

上の怪へ…もとい…上の階へ…

そう…怪談じゃなくて「階段」を!!

バカは高いところに登りたがる!!まさに、そのとおりの性格なので…

 

 

岩崎城刀劇隊がいるようで、今、新型コロナウイルス感染症対策で、活動休止なのでしょうか…

 

 

バカは高いところに登りたがる!!まさに、そのとおりの性格なので…

最上階へと…

 

 

丹羽城主になったつもりで(あの…岩崎城はこんなふうに何層も階のある城ではなかったみたいですけど…)日進市を見下ろす!!

 

 

 

そして、ハツカネズミのように網の中をぐるぐるぐる!!

 

 

ふと立ち止まり…

そこにみえるのは、藤島城!!

横山の戦いだー!!と

先ほど、岩崎歴史記念館でみた展示と、すでに藤島城址に行ったことのある経験を重ね合わせて、妄想に、歴史のロマンに想いを馳せる!!

 

その時のブログもついでにどうぞ…

信長が負けた??横山の戦い??日進市にある藤島城址へ行く!

 

 

いやあ、楽しかった岩崎城

 

阪神タイガース…8回は湯浅で、抑えは岩崎で…

岩崎は時々打ち込まれちゃったりするけど、阪神タイガースの優勝のために…

それ、阪神タイガースにおける

「岩崎の戦い」やないか!!

 

オチが虎ネタで、わかりにくくてすみません!!

 

ァジ、最低!!!…マ、アジサイ低!!

 

 

 

 

その後は、ハンバーグのお店

「木こり家」へ

 

 

 

 

ァジ、最高!!!…マ、味、最高でした!!

チャンチャン!!