新型コロナウイルスがやってきて
今までの生活様式とガラリと変わってしまって
まるで、キツネにつままれたようなさっこん(昨今)
コンコンと咳がでないように…
コン詰めてしなきゃいけない程、仕事のヤマがやってきませんように…
仕事がいっぱいで…きっつねー!…もとい…きっついねー!と
仕事しすぎて、疲労コン憊にならないように
そう願って
名古屋市守山区小幡にある
生玉稲荷神社を参拝する…
神社の由緒、沿革等がかかれていることが多い案内板には…
何も書かれておらず…なんだか、キツネにつままれたような気分
稲荷神社であるので
鳥居の左右には
狛犬ではなくて、キツネ様がコン立…
なんでも、名古屋地区最大の稲荷神社であるとのこと…
赤い手水舎で…しっかり清めないと…参拝したのは2021年の1月のこと…乾燥したこの1月なので…手にへばりついてる可能性も大!!ここは、しっかり手を洗って、新型コロナウイルスを洗い流してと…
この手水舎も柄杓をなくした、新型コロナウイルス感染症対策を施した龍の口には竹、その竹から水が流れるような配慮が…
このキャンディキャンディ似の女の子(喩えが古っ!)のように、柄杓が使える日は戻ってくるのでしょうか…
鳥居の正面には御神木ではないけど、御神木っぽい木が一本あるだけで
鳥居の真正面が拝殿
ではでは、早速
拝殿にて「二礼二拝一礼」
主祭神は倉稲魂神さま…
他に、大己貴命さま、保食神さま、大宮能姫神さま、太田神さま…
生玉稲荷大神は、衣食住の守護神であり、広大無辺の御神徳をもった「福神さま」…
また、「お稲荷さんの縁結び」として、男女の縁結び、商取引の縁を結ぶなど、現世の縁を取り持つ神さまであるとのこと
創建は明らかではないけど、社伝によると西暦1200年頃の創建とか…
天正の初期には、織田氏の一族小幡城主であった織田源三郎赤千代が、この社を城内守護神として奉祀されていたとか…
さらに、1584年、徳川家康が小牧・長久手の戦いのために、犬山城から長久手へ向かう際、その道中にある小幡城主織田源三郎方に一泊したことがあるようで、そのときに、織田源三郎方の家臣が、この稲荷の霊験の著しさを伝え、稲荷山より竹を伐り旗竿を作り献上したところ、家康は大いに喜んだといったことがあったようで…
江戸末期には「小幡稲荷」とも呼ばれてましたが
明治12年に現在の生玉稲荷神社となったとのこと
拝殿の左右にコン立されている
キツネさま…
拝殿の前には、かわいらしい
「結びきつね」さま
きっと鈴をかけると、結ばれるのね!!
私は、このキツネのよーに、にこにこして生きていきたいと
結っ(ムスッ)としないようにと願いながら…
こちらは
「福きつね」
なでなで…「福」がいっぱいきますようにと…
撫でた後は、手指消毒液でシュッシュッ!!
ひょっとして、「福きつね」に新型コロナウイルスがへばりついてたら大変ですからね…
手指消毒液でシュッシュッしたあとは…ちゃんと手を「福」…もとい…「拭く」…(単にこのオヤジギャグが言いたかった…苦笑)
拝殿向かって左側には
「生玉力神尊きに掌を合す」の石碑
拝殿の左側、この石碑の奥にあるのが
右側は、旧本殿
左側の石の鳥居の奥には奥之院へと向かう参道
そこには赤い鳥居が立ち並ぶ
さてさて、この鳥居をぐんぐん進むと
がらりと世界観が変わる、森の中を思わせる光景が
正面には「奥之院」
めちゃ神秘的といいましょうか…
本殿の拝殿が開けたところにあったので、このギャップが凄い…
その左手には
山神社
さらに、左には池の水が完全に枯れちゃっていますが…
弁天社
さてさて、先ほど紹介した
「奥之院」…
この「奥之院」の「奥」にも「奥之奥之院??」…祠があるのよ!!
「奥之院」の「奥」にこんな屋根がみえまして
裏手に廻ると…これぞ「奥之奥之院??」
ちなみに後ろの城のような社が「奥之院」
ここが、この生玉稲荷神社の中で最大のパワースポットとの噂も…
まるで、キツネにつままれたようなさっこん(昨今)
コンコンと咳がでないように…
コン詰めてしなきゃいけない程、仕事のヤマがやってきませんように…
仕事がいっぱいで…きっつねー!…もとい…きっついねー!と
仕事しすぎて、疲労コン憊にならないように
そう願って…
コン回のブログはおしまい…
またコン度…笑
最後に、もう一言
コロナでふりまわされて
こんなコン難な時代が、はやく消え去りますように…
キツネ様!お願い!!