ニコラス・ウィンディング・レフン監督の2013年の映画「オンリー・ゴッド(原題:Only God Forgives)」を観た。
この映画も可なり、独特な世界で面白かったです。
この映画を考察してみたのですが、かなりレフン監督の「フィアー・エックス」の解析とかぶるんですよね。
共通点は、「胎内と産道」「胎内回帰願望」「胎内と産道のような赤い空間と赤い通路」。
「母と子」というテーマは「フィアー・エックス」では主人公の殺された妻と胎内にいた子供という形で間接的ですが、この映画はもろ、ライアン・ゴズリング演じるジュリアンと母親(毒親)という母と息子のテーマであると感じました。
原題の「Only God Forgives」は、「神のみぞ赦す」という直訳になりますが、この訳は本当に合っているのでしょうか?
調べたら「Forgive」っていう単語は”古期英語「与える,認める」の意”って出てきました。
「Forgive」って言葉には、「与える、認める」って意味が隠されていることになるんだと想います。
「神のみぞ与える(神だけが与える)」っていうのはとても良い言葉です。
「Forgive」が「赦す」という意味があるのも、人間に”罪”あってこそ意味のある言葉ですよね。
そう考えると神という存在自体が、人間の「罪」在りきの存在として存在していることがわかります。
人間に罪もなければ、神も必要ないのでしょう。
聖書にも「神のみが人を裁く」という意味が出てきますが、それも言い換えれば、「神のみが人に与える(その行いのすべてを認める)」という意味になるのだと想いました。
(あとで、filmarksという映画レビューサイトを観ていて、「Only God Forgives」を、「神のみぞ赦し給ふ」と訳されている方が居ました。「給ふ(たまう)」は、「お与えになる、与えてくださる、授けてくださる」といった意味なので、「神のみが赦しを与えてくださる」といった「赦し」と「与える」が一つになったとても良い訳だと想いました。)
とても深い題名で、この映画も意味深な映画です。
「母」の存在とは、人にとって「神」である。というのも、その通りなんじゃないかと想います。
子を産み落とす母親という存在が居なければ、だれ一人、この世には誕生できない世界です。
毒親の母親の言い成りになりながら愛憎と兄や父への深い嫉妬を抱えて生きてきた主人公のジュリアン。
この映画は最初は主人公をルーク・エヴァンズに予定されていたのですが、スケジュールが合わずに降板し、ライアン・ゴズリングが受けたそうです。
ジュリアンの役を、ゴズリングが演じたことは本当に正解だったと歓喜します。
何故なら、彼は、あまりにもマザコンで母親に愛憎を抱く男の役がハマリ役だと感激したからです。
ゴズリングの捨てられた仔犬的な悲しく寂しい目を見詰め、「クウウウゥン」って共鳴したくなるほど、彼はそんな孤独で母親から愛されない悲しい男の役が似合うんだなと改めて感じました。
それで、この映画のテーマの話に戻りますが、レフン監督自身が、どうやら義理の育ての母親にとてつもない辛い育てられ方をしてきたそうで、この映画が、「母親への復讐」めいたテーマなのではないか?と解析する人が多く、わたしはそこが、どうにも疑問というか、気に入りませんでした。
それじゃあ、あんまりにも、薄く面白みのない映画となってしまいます。
やられたことを仕返しして、すっきりするというテーマでは、全く深みがありません。
作品と言うのは、作者の意向、意図を超えゆくものでなければ、優れた昇華として、成し遂げることができないのです。
もし、レフン監督自身が、「復讐」めいた意図でこの映画を撮ったとしても、そこにはレフン監督の意図しない潜在意識、潜在願望が必ず入り込んでいるはずなのです。
そこを読み取る、感じ取ることこそ、作品と接することの醍醐味です。
作者の意図だけを考察して終わりでは、作品を上辺しか鑑賞していないことになるので、真にもったいないことです。
なので、この映画も是非、監督の潜在心理、潜在願望がどのようなものであるかを知り得る為に必要でもあり、最適なものなのでできる限り奥深くまで考察するほど面白いです。
わたしの出した考察の、監督の「胎内回帰願望」という監督の願望と、監督自身への罪を制裁する神の赦し(裁き)というテーマも、浅はかであるのかもしれませんが、しかし「復讐劇」というテーマよりはずっと愛の深いテーマであるように想います。
復讐してすっきりして終わる、というのでは、ただ殺人者を死刑にして終る。というようなとても安易で何一つ深みのない空虚な劇です。
この映画に出てくる主人公ジュリアンの母親は、確かにとんでもない母親です。
息子と息子の彼女の前で、自分の息子の、長男のほうが男根がでっかかったとか、平気で話すような母親で、まったく、面白くて仕方ありませんでした。
「この子のも小さくないわ。でも…」と母親が鼻で笑いながら言うのです。母親に想い出して吐息を吐かれながら(クリスティン・スコット・トーマス演じた母親クリスタルがまた素晴らしいです)「長男の”モノ”はすごくて誰も敵わない」と言われ、ジュリアンは母親を見詰めながら黙って頷きます。
ジュリアンは、じいっと少し咎めるような目で母親を見続けながらも、何も言わず、果てには母親の煙草に弟子のように(母親はマフィアのボスで、ジュリアンは言い成りです)火を付けたりする息子で、めちゃくちゃ良いシーンです。
母親に気のある女の前で陰茎が小さいとか、何を言われても黙っているクールなジュリアン
ここまでこのような母親に渾身的な息子も珍しい気がしますが、どうなのでしょうね。
でも何度も観ると、想ったんですよね。あ、このときのジュリアン、ちょっと嬉しいのかな?と。
母親もジュリアンが恋人を連れてきたんで、「なんだよ」みたいな面白くねえなって感覚もあって、あのような辛辣な台詞を息子の前で話したのかもしれません。
母親に女を見せに連れて行ったのも、母親に嫉妬してもらいたい潜在意識があるからだと想います。
母親が嫉妬する様子を少しでも垣間見たなら、母親が自分に依存していることを確認できます。
とにかく、母親とジュリアンは、長男と同じく、性的虐待か、近親相姦的な関係があったのだろうと想います。
そして終盤には、父親をジュリアンは、素手で殴り殺したのだと母親は言います。
どのような父親であったかは明らかにされませんが、麻薬密売のマフィアのボスなので、暴力的だったのかもしれませんし、暴力がなくとも、言葉でジュリアンの繊細なハートをけちょんけちょんにするほどの、言葉の暴力があった父親かもしれませんし、色々、想像がつきます。
でも、もしかしたら、父親を殺した理由も、一番は「母親を自分のものにしたい」願望が頂点に達したからなのかもしれまい。
ジュリアン、すっげえ、かっこいい!って想います。父親を殺してでも母親を我が物とする息子、マザコン息子ジュリアンです。
これは、「ドライヴ」以上に、ゴズリングのハマリ役とわたしは観ました。
母親を憎んでいるのも、それは母親を我が物としたいのにできないことの自己憎悪の母に対する投影のほかないでしょう。
つまり、ジュリアンは本当に母親を愛して、求め続けているからこそ自分だけを愛してくれない母親への愛憎の想いが強くあり、どこかで破滅願望(母親と共に)を抱いているような男であるはずです。
わたし自身が、そのような人間なので、レフン監督の潜在願望を見抜けているのやもしれません。
わたしの場合は母親代わりに育ててくれた父への依存的な愛で、相互依存関係にありましたが、ジュリアンと母も相互依存関係に少なくともあったと想います。
わたしは父との性的な関係はありませんでしたが、父の普通の男性としての性的な欲求を赦せませんでしたし、他の女性に興味を持つことも可愛がることも赦せないほどでした。
ジュリアンの場合は、母親からの欲求なのか、ジュリアンからの欲求なのか、性的な関係にあるように匂わせていますし、ジュリアンは性的に不能であったとレビューにあり、わたしの場合も、或る意味、性的に不能(性的交渉では快楽を感じられない)な人間であるのでジュリアンと共通する点は多そうです。
わたしの場合は、多分、父とでないと、精神的な一つとなるという欲求を持つことさえできないのかもしれません。
だから精神的なブレーキがかかって、快楽を感じられないのです。これが本当の、親と子の相互依存関係と言えるのやもしれません。
そしてわたしの場合は父は他界しているのですが、父が死んでからというもの、特にここ何年と、”父(あるいは母)と本当の意味で一つとなる願望”というようなテーマの小説ばかり書いています。
母の記憶のないわたしにとって、父は母でもありますが、ジュリアンももしかすると母親の存在があまりにも大きすぎて、母親が父のような存在として、彼にとって”すべて”の存在であったのかもしれません。
ジュリアンも、母が自分に依存していることを信じていたはずです。
終盤近くに、今までずっと息子に弱音を吐かずに命令だけをしてきたような強い母親が、ジュリアンに向けて「わたしを護って」ほしいと頼みます。
その時、どこか目が輝いて嬉しそうな表情をジュリアンがしている気がするのです。
まさに、捨てられた仔犬をやっぱり家に連れて帰ろうと引き返してきた飼い主に見せるかのような仔犬の眼差しなのです。「クゥゥゥゥン?」と、悲しいけど嬉しい…と言っているのです。
こういう表情が出来る(得意な)のは、ゴズリングだな。と想いました。
かっこいいな、この役のゴズリングは、「ドライヴ」以上に男前ですよ。
やっぱり男は、マザコンでなきゃ、魅力に欠けるのでしょうか。
わたしが昔に、「父親から顔を裏拳で殴られる」などの行為は普通にいつも受けていると友人に話したときに、友人から「それはひどい父親だ」という風に返され、イラっと来たことがあります。
これはまるで、ジュリアンが母親に見せに行った女性にあとで母親のことを悪く言われ、瞬間、ジュリアンが女性にブチギレたことと同じだと想います。
母親がどんな親であろうとも、母親をかばって、好きな女性にキレるジュリアン(この時だけヤケに感情的なジュリアン)。これぞ、真の男の愛だな。なんて感じました。
それでネタバレになりますが、女性のあの部分へ手を入れたい妄想、さらには母親の、あの部分を、○○、そこへ…(”刀”、”創〔きず〕”って字と、”切る”、という行為は実は、神による創造(生殖)の意が隠されているのです)
というシーン、本当に良いシーンです。これはエロティックさで良いというより、母親と一つとなりたい息子の愛情を表現する一番のシーンです(特に母親とのシーンは)
胎内回帰願望というものは、ただ安心する胎内に戻りたい、一から遣りなおしたいという意味から来る願望ではなく、あくまで「最愛の母親とひとつに戻りたい」願望から来ているのだなとこの映画を観て、改めて確信した次第であります。
血のように赤い部屋でジュリアンを待ち受ける母親。壁紙もグロテスクな模様である。
ジュリアンを愛するような顔を向ける美しいクリスティン・スコット・トーマス演じる母親クリスタル
母と息子の近親相姦を匂わすシーン。真っ赤な部屋で抱き合う母と息子、あまりに官能的である。
向こうでは家族ならキスは当たり前ですが、日本でこれを普通にやる習慣がないことが悲しいですね。
ヴィタヤ・パンスリンガム演じる謎の元警官チャンが、なんだかどうしても平沢進を想わせる異星人的な奇妙な存在感で、この俳優をあえて選んだレフン監督、好きです。
腕を切断されるシーンが幾度と出てきますが、腕を切断される願望があるっていうのは、もしかしたら聖書のイエスの言葉に基づいているのかもしれません。
イエスはマタイによる福音書5章でこう言っています。
29 もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身がゲヘナ(永遠の処罰の世界、魂の消滅、死の世界と考えられる)に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。
30 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。
この聖句は衝撃的であり、これはまるで、人が罪を犯した場合、死ぬことはできずに、身体の一部を切断されたり、目玉を抉り出したりする処罰が必ず待ち受けている。と言っているように聞えるからです。
イエスは人々に「すべてを赦すこと」を教え諭しましたが、「赦し」とは、言い換えれば「裁くな」ということです。
何故なら、人を真に裁けるのは神、その存在のみであるとイエスは知っていたからです。
この映画では母親としての神と、制裁人である謎の元警官の存在が出てきますが、二人とも十分な裁き(赦しとしての報い)を行なえているようにはとても見えません。
残虐な罪には残虐を、では、イエスが最早時代遅れだと言った「目には目を、歯には歯を」の裁きとなってしまいます。これでは陳腐な裁きです。
最後は結局、ジュリアンは自ら裁きを求めますが、そのシーンも現実であるかどうかはわかりません。
ジュリアンは母親と一つとなりたい願望を持ってしまった自分の罪、それ以外にも父親を殺した罪、ありとあらゆるすべての罪に対して、その報いを強く望んだのだと想います。
この映画は人間が考える(求む)裁きは、いかに不完全で、安易であるかということを証明しているように見えます。
わたしとしては、「神のみぞ赦せる」という意味は、このような一瞬の苦痛(神からすれば拷問も一瞬かもしれない…)で済むような報いは神は決して”与える”ことはせず、もっともっと、想像以上の苦しみの日々としての、長い長い時間を要する「神の赦しの時間」が、我々すべてに待ち受けているであろう。という人間(自分自身)に対する監督の厳しさが表現されているように感じたのです。
それは孤独な主人公の最後を想像してもわかると想います。
そういう或る意味残酷で厳しく、或る意味とてもポジティブなレフン監督の世界観は、「フィアー・エックス」でも感じたことです。
是非、評価を気にせずに本当に作りたい映画を作ってもらいたいと願います。
ps:映画好きな方
国内最大級の映画レビュー(口コミ)数を誇る映画情報サービスFilmarks(フィルマークス)
に登録しましたので、良かったら気軽にフォローしてください。
名前はAmazonレビューと同じ「シロちゃん」です。
(もうすぐ昨夜に起きてから24時間が過ぎます。何故か、父親が死んでしまう夢を見たからでしょうか。浅野忠信も死ぬ夢を見たからでしょうか。浅野はうちの兄と雰囲気がとても似ています。眠れません。眠れないので紅茶を何倍も飲んで、それも原因でか、余計眠れません。なのでFilmarksで、気になる方のページを観て、観たい映画をすべて登録していました。)