あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

俺の断食日記6

2016-10-06 13:39:48 | 断食日記
昨日も好転反応も出ずに無事一日を終えられた。

夜の21時半頃に布団に入って気づけば眠っていた。

一度目が覚めて用を足しにいった。




10月6日、準備期から数えて八日目。
水だけの本断食から三日目。


随分寝すぎてしまった。
朝の4時頃に一度目が覚めたが二度寝して10時頃に起きた。

膝の関節痛、だいぶ軽くなってきている。

しかし身体が重い。

昨日は美味しく感じられたはずの炭酸水がまずい。
炭酸水を飲み始めてから空腹感と食欲がやけに出てきてしまった。
炭酸水を少量ずつ飲むのは空腹感が増すようだ。


朝に体重体組成計で計った。
断食の前はたぶん162cmの37kg。


昨日との比較

昨日


体重:34,4kg
体脂肪率:7,9% (標準:細い女性で14~20)
骨量:1,6kg (標準:40kg未満の女性で1.7)
内臓脂肪率:1 (標準:9以下は心配ない)
体筋肉率:52,6% (標準:女性34%)
基礎代謝量:746kcal (基礎代謝測定の結果は1068.9 kcal)



今日


体重:33,6kg
体脂肪率:7,3% 
骨量:1,6kg 
内臓脂肪率:1 
体筋肉率:54,0% 
基礎代謝量:729kcal 


体重が0,8kg減った。
体脂肪率は6%減った。
なのに体筋肉率が1,4%増えている。
減った体重と体脂肪率を合わせると丁度1,4という数字が出てくる。(単位は別々だが)
一体どういうことだろう。
脂肪やタンパク質などを筋肉に変えているのだろうか。



朝起きたときの身体の重さは昼過ぎになってくると軽くなってくるようだ。


寝すぎたのと昨日重いものを持ったからか腰が痛い。


昨日唾が気管に入ってむせたときは本当に苦しかった。
断食の苦しさとまったく関係ないことで苦しんでいる。



明日は瓶のゴミの日なので溜まりに溜まった瓶を袋につめているとますます腰が痛くなってしまいました。

この腰の痛みで5階建ての階段を3往復して捨てに行くのはきつそうやな…
でも邪魔で仕方ないし今日出さねばな。


32kg台まで体重が落ちれば一旦回復食を摂り始めようかと考えている。
そして十分回復して体重を増やしたところでまたチャレンジするのがいいのではないか。
さすがに31kg台に入ると無月経が来るのではないかという不安がある。


膝の痛みが軽くなってきたことだし、これから毎日5階建ての階段を上り下りする運動だけでもやってみようかと思っている。

鬱さえなければやれそうだ。

頭が少し痒いが頭を掻いた爪を嗅いでもまったく臭くない。



少し横になっていると腰痛がだいぶよくなったので瓶を捨てに行った。
2往復で捨てられた。
膝の痛みがまたなかった。嬉しい。
ただ結構疲労したのでまた布団に横になった。


横になりながらいろいろ考えた。

人間というのは「食べること」「飲むこと」に業(カルマ)が付いてくるのだなと自分の身をもって実感した。
菜食であっても食べ過ぎればその分貧しい人たちの食べる分が減る。
食べ過ぎることはそれがなんであっても誰かの食べる食べ物を奪う行為なのだと思った。

自分は小食なので過食ではないと思うと前に言ってしまったが、よく考えたら
小食ではあるがだいたいお腹がいっぱいになるまで食べていた。
痩せすぎているため、太りたいという気持ちや栄養をたくさん摂りたいという気持ちからもたくさん食べていた。
これは結局自分が食べられる量をめいいっぱい食べているということで
結局過食だ。

過食ではないというのは、毎食を腹8分目、腹7分目、腹6分目などで止めるということだ。
それでようやく自信を持って「自分は過食ではない」と言えるのだと思った。

お腹いっぱい食べれば病気を引き起こし、小食なら病気になりにくいと言う。
これもお腹いっぱい食べることが人間の業になるからのように感じてならない。

一日一食が健康だとうたう本がたくさん評価されてきている。
人間は誰かを苦しめない方法が一番自分を苦しめない方法なのだと思う。

過食は誰かを苦しめる行為。
お酒の飲みすぎも同じ。お酒は果実や穀物で作られる。
誰かが食べるはずの果実や穀物を飲みすぎることによって奪っている。
飲みすぎも誰かを苦しめる行為。

だから病気によって報いがやってくる。

私は定期的にこれからも断食をやっていきたい。
それは今まで奪ってきた食べ物を私のせいで食べられなかった人たちへ返すためにも。


生菜食と小食が健康をつくり、火食は病気を引き寄せるというのを最近よく見かける。


古代ギリシャの世界最古の医者であるヒポクラテスの格言が素晴らしいなと思いました。
ヒポクラテスは菜食者だったらしい。


・「火食は過食に通ず」

・「満腹が原因の病気は空腹によって治る」

・「月に一度断食をすれば病気にならない」

・「病気は神が治し、恩恵は人が受け取る」

・「汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ」

・「人は自然から遠ざかるほど病気に近づく」

・「病気は食事療法と運動によって治療できる」

・「食べ物で治せない病気は、医者でも治せない」

・「人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている」

・「賢者は健康が最大の人間の喜びだと考えるべきだ」

・「病人の概念は存在しても、病気の概念は存在しない」

・「健全なる体を心掛ける者は完全なる排泄を心掛けねばならない」

・「食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか」

・「人間がありのままの自然体で自然の中で生活をすれば120歳まで生きられる」

・「病人に食べさせると、病気を養う事になる。一方、食事を与えなければ、病気は早く治る」

・「病気は、人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである」

・「賢い人ならば、人間にとって一番の宝は健康であること、そして病気の場合は、病気から学べるような意識を持つ事がなにより大切だと考えるべきである」

・「我々が体の内に持っている、自然治癒力こそ、治癒するための最高のエネルギーなのである」

・「何でも、やりすぎ、多すぎは、自然の摂理に反する」




生では食べづらい植物は低温加熱調理で野菜の水分だけでじっくり火を通していたというのがヒポクラテススープだ。
しかし何時間も加熱すると酵素が奪われガスを何時間も使うというのは環境にも悪いので私は新ヒポクラテススープを考えた。

数分加熱でいける調理方法といえば、野菜をブレンダーにかけてから火を数分だけ通せばよいのではないのか?
確かにどろどろな状態になるが、そのときだけ赤ちゃん気分になって自分は赤ちゃんなので流動食を摂らなくちゃと思い込めば良い。
そのほうがまだ酵素が残るのではないか。さらに環境によい。
そして酵素を残すには高速回転のブレンダーより低速回転のものが良いらしい。

2016年最新モデル!ヒューロムスロージューサー H-AAこうゆうもの。
高いけども、是非ほかを切り詰めてでも(他は後払いで次の月に払うということもできる)買いたい代物だ。
酵素を摂って生のジュース作りが楽しくなりそう。わくわく。




不調な時は、何かをするよりも、何かをやめる方がうまくいく


これは確信をついた言葉だな。

何かを新たにするってのは西洋医学的な対処療法であって、何かをやめるというのは東洋医学的な原因療法ですね。

だから健康になりたい人があれやこれやと買って試してみても病気になるのはなんでかというと
それは病気を引き起こす原因を断ってないからです。

自分の場合、酒を毎日飲みながらスピルリナとかえごま油とか健康に良いものを色々と摂って、完全菜食を続けてきたわけですけれども
案の定、膝の関節を痛めてしまった。
これも酒を飲むという「病気の原因」を断たなかったからです。

さらに運動をまったくしないという原因も断たなかった。

病気になる原因を断たずに健康な食材を摂り続けても病気はやってくるということです。

自分は肉や乳製品や卵や魚介類や病気の元となる動物性食材を摂ってなかったが
酒という毒を毎日摂っていた。

この毒を出すには最低一週間の断食をせねばならんのではないか。
もしくは30日やらないといけないほどの毒が溜まっているのかもしれない。

「酒は恐ろしい」とわかっていながらも欲に負けて飲み続けていた。

後で後悔して苦しむのは自分なのに。

しかしこの膝の関節痛によって自分は本当に健康に生きるということに目覚めようとしているのは良いことだ。
このようにたくさんの人が病気になるたびに健康に目覚めていくのではないかと思っている。
ということは病気になる人が多いほど菜食で小食の人が増えることだろう。

病気が治り健康になることはものすごい喜びである。
多くの人が動物実験で数え切れない動物たちを苦しめて開発する西洋医療ではなく、
誰をも苦しめない断食や食事療法などの自然治癒力によってそのような喜びを感じて欲しい。

西洋医療ではあらたに業の種を撒く行為となってしまう。
動物を苦しめ続ける医療はなくなってほしい。



私はこれから生菜食と小食、これを心がけながら鬱のない日には階段を上り下りする運動をやっていきたい。
できれば日に当たったほうが良いが、日に当たるのは家庭菜園中にも当たれそうなので家庭菜園をする時間を増やすために
プランターをまた買おうと考えている。

今は数種類のハーブと大麦若葉を育ててるんです。



ブログを書いているとすぐに時間が過ぎる。
今日もなんとかつらい好転反応は起きずに終えられそう。

とてもほっとする。
明日たぶん体重減ってるやろうから明日から回復食を摂ろう。
嬉しい。
わくわくとする。

まず生玄米粉で重湯を作ろう。
重湯なんて作ったことない。

すごく楽しみだ。

今までしんどくて捨てにいけなかった瓶を捨てにいけたのも断食の力だ。

食べ物を断つということでこんなパワーが出てくるとは。

食べ物を食べることは喜びだが、同時にパワーを失い内臓を疲労させて免疫力を低下させていくことでもあるから
人間にとってつらいことでもあるのだろう。


炭酸水がまずくてこの何時間とほぼ身体が水分を欲しがらなくなった。
水分をも摂らないほうが内臓たちを休めさせられる。
摂らなくても潤っている状態なのだろうか。
それなら感激である。

20時半、今はとても身体が軽い。

憧れるものはたくさんあるが、自分の人生を歩めるならそれでいい。
何が起きようとそれは自分の人生だ。
自分が選んだであろう自分の人生だ。

毎日寂しさを感じることもそれは自分がそう選んだから感じているのだから
自分が選んだものをちゃんと与えられていることは嬉しいことだ。

生きていることに感謝し、いつか死に行くことにも感謝したい。




今日はここらへんで終えたいと思います。






~今日のシムズ3~







聖母マリアを信仰する教会を作ってみました。

神という目に見えない存在を目に見える偶像という形あるものとして置いておきたいという人間のけなげな気持ちが
私は好きですね。

正気でない男の身体から湯気のように出ているのは風呂に入らないことの身体の臭気です。






にほんブログ村 ポエムブログ ことばへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへにほんブログ村 哲学・思想ブログへ


最新の画像もっと見る