あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

人類は誰に支配されているか?映画「スライヴ」の感想

2016-11-14 13:36:19 | 映画
スライヴ (THRIVE Japanese)




「THRIVE(スライヴ)」というドキュメンタリー映画を昨日観た。
youtubeで全編無料で観れる。



内容紹介

今、世界は目覚めようとしている 。
人類史上最大の陰謀を暴く、衝撃のドキュメンタリー!

環境破壊、飢餓、戦争、天災、そして経済破綻と、次々に世界を襲う危機は、とどまることがない。
これらの危機に対し、人類はなんら有効な解決策を手にすることができていない。
しかし本当に何も手立てがないのだろうか?
はたして、我々は常に真実を知らされているのだろうか?
グローバル企業、P&G(プロクター・アンド・ギャンブル)社の創業一族の息子 として生まれ育ったフォスター・ギャンブルは、若き日にそのような疑問を抱く。
彼は、実業家になる道を捨て、科学者となり、この問題解決の追及に生涯を費やす決心をする。

長い探求の旅の果てに彼が見つけ出した真実は、メディアでは絶対に語られることのない、
全ての人類を支配する驚愕すべきシステムの存在だった。
あらゆる産業、農業、医療、経済、軍事、マスコミにまで及ぶ、完璧とも言える支配体制が世界規模で構築されていた。
この支配の真の姿を白日のもとに晒し出し、人類を解放し、真の繁栄(THRIVE)を奪還するため、
彼は私財480万ドルを投じ、本作『THRIVE』を製作した。

2011年11月11日「リセットの日」に、『THRIVE』は全世界に向けて公開された。
その衝撃と感動は大きなうねりとなって、全人類へと確実に広がっている。

《日本の皆さまへ、(フォスター・ギャンブル氏からのメッセージ)》
3.11東北関東大震災と福島原発事故から1年が過ぎた今、映画スライヴの製作チーム、妻のキンバリーと私は、健康、環境そして経済における逆境、史上無比な惨事に瀕して立ち向かう皆さま方の尽力を想い、皆さまがたが身を以て示された勇気を心から讃えます。そして、原子力を否認するため立ち上がってくださったことに感謝しています。

人類がクリーン・エネルギーへと転向して行くために、また、エリートたちによる破滅的な中央集権銀行システムから脱していくうえで、日本が世界の手本となるために、この作品が少しでもお役に立ちますよう願っています。合気道が、私の人生に多大な影響を及ぼしたように、今、あなた達が示してくださるお手本を通して、世界中の人々もまた日本から多く学ぶことでしょう。
映画スライヴが、今日の日本の皆さまのためになればと願っています。私たち万人のため、そして互いの子孫のために皆が望む、真に繁栄し合う世界を共に構築して行きましょう。






観た人の反応は賛否両論で、これは新たなる洗脳を始めようとしていると言う人も結構いるようだが、自分は見終わって素直に感動した。

この映画を作ったフォスター・ギャンブル氏自身がこの一部の権力者たちによる世界の支配構造の仕組みは「間違っているかもしれません。しかし事実だったら…」と言っていた。
何も証拠を掴んで言ってるわけではないが、その可能性は高いという話で、これはドキュメンタリーだけれども、事実かどうかはまだはっきりしていないことを言っているから、そういった意味では半フィクションとしてその部分は観たらいいと思う。

この映画が本当に言いたいことは自分はそこではないと思う。

映画でも小説でもブログ記事でも何でもそうだと思うが「最も重要なこと」というのは大体最後に持ってくる。

「この世は誰が支配していて、どのような信じがたいことが行われてきたか」それを最もこの映画が伝えようとはしていないと私は感じた。

この映画が本当に伝えようとしていること。
それは最後に持ってきた「人類に必要なものは合気道の精神」だという主張だと思う。

合気道の精神

合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。

世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。

合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ己を宇宙そのものと一致させることにある。

合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我は即ち宇宙」なのである。
私はこのことを、武を通じて悟った。

いかなる速攻で、敵がおそいかかっても、私は破れない。それは、私の技が敵の技より速いからではない。
これは、速い、おそいの問題ではない。はじめから勝負がついているのだ。

敵が、「宇宙そのものである私」とあらそおうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。
すなわち、私と争おうという気持ちをおこした瞬間に、敵はすでに敗れているのだ。

そこには、速いとか、おそいとかいう、時の長さが全然存在しないのだ。

合気道は、無抵抗主義である。
無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。
邪気のある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである。

ではいかにしたら、己の邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?

それには、まず神の心を己の心とすることだ。
それは上下四方、古往古来、宇宙のすみずみまでにおよぶ、偉大なる「愛」である。

「愛は争わない。」「愛には敵がない。」何ものかを敵とし、何ものかと争う心は、すでに神の心ではないのだ。

これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。
宇宙と調和できない人間の武は、破壊の武であって、真の武産(武を生み出すこと)ではない。

だから、武技を争って、勝ったり負けたりするのは真の武ではない。
真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。即ち絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬことである。

勝つとは、己の心の中の「争う心」にうちかつことである。
あたえられた自己の使命をなしとげることである。
しかし、いかにその理論をむずかしく説いても、それを実行しなければ、その人はただの人間にすぎない。

合気道は、これを実行してはじめて偉大な力が加わり、大自然そのものに一致することができるのである。


合気道 植芝盛平監修 植芝吉祥丸著




自分は「合気道」というものがこんなに素晴らしいものであるのを始めて知った。
全人類が合気道の精神で生き始めようとすることが今必要なのだと映画「スライヴ」は最終的に結論に達していた。

誰に支配されているかと日々恐れ、支配する人間たちを憎もうとしても世界は良くなっていくどころか、その恐れや憎しみの増大によってますます悪くなっていくだろう。


今、人類は「真実」を知る必要のある時期に来た。
それは環境破壊や飢餓や水不足といった状況がますます深刻になってきていることや、世界が第三次世界大戦へと進もうとしているかのような流れへと来ていることからも感じられるだろう。

「真実を知る」とは、誰が陰謀をたくらんでいるのか、何が危なくて何が安全かを知るということではなく、今知る必要なる真実とは、まさに合気道の精神とまったく同じである「利己を手放した宇宙と調和するエネルギー状態へと自分を持っていき、どのような争いをも受けることなく躱す(かわす)という愛なる精神」なのである。


この締めくくられ方に私は大いに感動したのである。
支配がなくなり、すべてフリーエネルギーに変わっても、この愛なる精神で人々が生きなければ結局は悲劇の連鎖は終わることはないのである。

どこか自分以外の場所に自分の敵が存在しているわけではないということを人々が知る必要がある。
「敵」とは実は自分の中にしか存在していない。(だから自分を憎めという意味ではなく、相手を敵とするのは自分の心の中に敵〔憎い自分〕が存在しているからという意味である)


この映画が表しているもう一つの重要な主張の言葉がある。
この世の支配下構造というものは「人類の課題」であるのだという言葉だ。

「課題」というとそれは神に与えられたというような意味があると同時に誰かに決められたものではなく、自分自身で決めたという意味があると思う。

誰に支配され誰に苦しめられようとも人々がそれを「自分が決めた自分の成長のために必要な課題」であるのだという考え方になるなら、どんなに強く生きていけるだろうか。

一方、誰かに苦しめられたことで「あいつが悪くて俺は一切悪くない」という考え方を続けるなら、一体いつまで争いは続くだろうか。

だからこの映画を作ったフォスター・ギャンブル氏は一体この世は何でこんな酷い世の中なんだというところから探求し続け権力者たちの支配下構造説を有力として考えたけれども、最後にはどうすれば世界が良くなっていくかという問いに「すべてを愛する精神(争いの精神を手放し、誰をも憎まず、すべてを愛すること)が必要なんだという結論に達した。

映画には異星人が地球に数々のメッセージを伝えている信憑性の話が出てきたけれども、自分は最近「バシャール」という異星人たちのメッセージの本をよく読んでいて、彼らが何十年とかけて伝えようとしていることがすべて結局は「愛なる精神に生きなさい」というメッセージであることからも異星人たちの愛情深さというものに感動させられる。

バシャールはとにかく「自分が情熱を感じること、自分の好きなことをやり続けなさい」と言っている。
それが宇宙との調和であるのだと。
でもほとんどの人は何かを嫌々ながらやって過ごしている。
行きたくないのに無理をして仕事に行っている。
嫌々何かをし続けているのでそのストレスから病に罹り、ますます人々は苦しんでいる。
その苦しみは世界中に連鎖していくので、世界の悲劇の連鎖が無くなってくれない。

だからバシャールはあなたが幸福を望むならばまず「嫌なことをしなくても生きていけるんだ」という観念に変えなさい。と言う。

「嫌なことをしなければ生きていけない」というのはただの思い込みの観念なので、それを壊さなくてはならない。

何故嫌なことをしなければ生きていけないということになっているのか?それはみんながそうだから、それが当たり前としている。

そこにまず疑問を持つことが必要で、何故みんながしてるから自分もしなければならないのか?という問いを発するなら、「みんながしてるからそれが正しい」という考えこそが「悪循環なる洗脳」そのものの考え方であると気づくことができるだろう。

みんなが学校に行ってるからといって、何故行かなければならないのか?
誰かと同じことをしなければならない必要など、どこにもない。
本当に行きたくないなら行かなければいい。
行かなくてもよいという選択ができないほど人は誰かに縛られているわけではないのだということに気づくことが必要なのである。

人は誰にも本当は縛られてなどいない。
支配もされていない。
コントロールしているのは、実は他人ではなく、自分自身の「観念」というものであるということにまず気づくことが必要だ。

自分が縛られ、苦しみ、身動きが取れないような状況になるように自分自身が自分でコントロールしている。
それほど人間一人のコントロールの力というものが強固なものであり、それによって自滅していく人も多くいる。

自分の観念で作り上げた世界を全ての人が見ている。
一体どのような世界を見たいのだろうか。
人間は嫌々働き続けるべき世界を見たいのか、それとも本当は全てが自由である世界を見たいのか。

全てが自由に、全てが解放され、誰一人拘束されない世界に生きても良いんだという世界を見て、その世界を作り上げようとするのか、それともこのまま拘束と拷問と争いの耐えない世界がこれからも続くという観念を変えようとせず、その世界を作り続けていくか。

誰がどのような世界を作り上げようと自由だけれども、人は本当に望む世界を作り上げられる力を持っているということだけは気づく必要がある。

全ての存在が平等に宇宙から愛されている。
その人が本当に望まないことはその人に起こらない。
すべて、すべて、すべてのことが実はその人の望むこと(見ていること、感じていること、関心を持つこと)として、その人の人生に起きてくる。

例えばある日、テレビ画面の向こうに映る一人の貧しい国で死んでいく幼い子供の苦しむ姿を見たとしよう。
その人は、そのことが心の奥底にずっと残り、意識下では忘れていることは多いものの、その子供の死んでいく姿が忘れられない状態でずっと生きていたとしよう。
その人の人生にはどのようなことが起きてくるか予想できるだろうか?
色々と想像してみてほしい。

実は自分の人生はこの通りに起きている。
だから自分の人生に起こるあらゆることが自分自身で引き寄せていることであるという宇宙の法則をずっと前から薄々気づいていた。

そして願いもいくつも叶ったが、多く叶ったのはほとんど恐怖や不安を感じることだった。
何故叶っただろうか?それは願うこと以上に恐怖や不安なことに強く関心を持ち続けたからだ。
それは宇宙はその人の「望むこと」として感じ取っている、何故なら本当に望まないことを人々は関心を持たないからだ。
一瞬強い恐怖を感じても、関心を持ち続けることなく忘れ去るのなら、それをずっと観続けるということもしていないし、その世界を見続けることなく、作り上げる、具現化するという作業を行わず、その恐怖は自分の人生には起こらない。

つまりどのような恐怖や不安や心配の意識であろうと、それをずっと感じて生きていた場合、宇宙(本来の自分)はそれを「願い」や「望み」として叶えさせようとする。
宇宙は正直なので、叶ったあとで「こんなこと私は望まなかった」と言っても、ではなぜ関心を持ち続けたかを自分自身に問いなさい。と返す。
何故ずっとずっと(潜在部分)であろうとも、感じながら生きていたか。
そして、では何故本当に望まないのならば、それではない、そうはならないほうのことに関心を寄せ続けなかったのか?ということが宇宙から返ってくるわけだ。

それは「そうはならないほうの事柄」に関しては関心を持たなかったし、興味もなかったか、または持っても浅かったからである。

自分が本当に関心を寄せている(本当に望んでいる)から宇宙はそれを自分に与えてくれる。
宇宙は自分の望まないものは決して与えようとはしない。
それは宇宙は愛であるからである。

だから自分の人生に起こっている全ては自分が望んだことであると私は言える。
すべて、自分が自分に与える最も良い「課題」であるというわけである。

なのでこの世界に「悪」というものは存在しない。
あるのは人間の「悪という概念」「悪という観念」である。
そしてそれは自分の中に存在するものだけを相手の中に見ることができる。
この世界には「光」と「闇」という対立しあうものが存在している。
「快さ」「喜び」と「苦しみ」「痛み」が相対するように存在している。

宇宙は光でも闇でもない。
宇宙は喜びでも苦しみでもない。
宇宙はただ存在している。
ここに、ただ存在している。

すべてが悪でも善でも光でも闇でもなく、ただ
すべてが在るものとして在る。

在り続けるのである。







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