あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

人間は笑い続ける

2017-11-17 23:41:15 | 日記
俺の9歳8ヵ月の飼いうさぎも、もう永くないかもしれない。
甘いおやつをねだる催促を、煩くしたあとには苦しそうな感染症のくしゃみを連発するという有り様だ。
病院に連れて行くべきだと、ここで多くの人間は言うかもしれない。
でももう俺は、病院には、もう連れて行くのはやめようと想っている。
病院に連れてゆけば、抗生物質をもらうだけだ。
これを何週間と、くしゃみが治まるまで与えつづけなくてはならない。
俺は25歳のときに、飼っていたハムサンドという名前のハムスターに、抗生物質を間違った量を、うっかりと与えてしまい、自ら殺してしまったことがある。
助けようとして、殺してしまうという悲劇を、俺は忘れることができない。
抗生物質とはそれだけ強いもので危ないものなのである。
それを何週間と、与え続けてそれでも治らないなら、抗生物質によって免疫を下げ、結局抗生物質によって死を早めることも有り得る。
つまり抗生物質で治すとは、一か八かの賭けの治療法なのである。
でもこれを、多くの人間は当たり前だと想っている。
ペットだろうが人間だろうが、病気にかかったら病院にすぐに行って、薬をもらうのが正しいと。
でもよく考えてほしい。
だったらなんで自然治癒というものがあるのか。
動物も人間も、本来は自然に病を治す自然治癒という力が備わっている。
それに薬はなにも病院でもらう薬だけが薬ではない。
病院に行けば大抵薬を出されるが、この西洋医薬というものは、ほとんどが動物に苦痛を与え続ける動物実験によって作られてきたということに考えを及ばせる人は少ない。
おかしくないか?
動物を苦しめて人間を助けるのか。
動物を苦しめて動物を助けるのか。
人間が苦しむのは、動物を苦しめ続けて来たからではないのか。
っつうことは、人間の愛玩動物が苦しむのも人間が動物を苦しめ続けて来たからではないのか。
しかし多くの人間は、自分の飼っている動物だけが可愛くて、家畜は殺されても当たり前、動物実験も必要だから当たり前と、彼らの苦しみをスルーし続けている。
その人間の因果が、人間の愛玩動物を苦しめることになると考えることもしない。
自分は苦しみたくはないが、家畜や実験動物は苦しんでも構わないというその心が、人間を苦しめ続けて来たことに気付こうともしない。
一体いつまでこの苦痛の連鎖を、人間は続けて行きたいのであろうか。
俺のうさぎのみちたが、さっきクコの実をあげたばかりなのに、いや、おれの欲しいのんはドライマンゴーだ。マンゴーをくれよ、このやろう。と云わんばかりにサークルをガジガジ噛んでいる。
なんなんだ?なんでこないに我が儘なうさぽんになってしまったのか?why?
俺のせいか、俺が悪いのか。
そうだ全部、全部、俺のせいだ。
俺が動物を苦しめ続けて来たから、こうして俺のうさぎもおやつ中毒となり苦しみ続けている。
みちたは最近やたら食欲がある。
普通、病気になったら、食べないでじっとすることで免疫を上げ、その自然治癒力によって病気を治そうとするものだが、こいつは喰うてばっかりおる。
たぶん食欲の秋だからか、もしくはストレスによる過食症なのかもしれない。
俺はこいつを可愛がってやる気力もないことに毎日イライライライラしている。
みちたは可愛がってもらえないので、そのストレスを甘い食べ物で発散させようと必死なのである。
そして催促の為にサークルをガジガジすると歯が歪んでくるので、その歯の痛みのストレスからもくしゃみを連発するという最悪の悪循環が起きていて本当に可哀想だ。
こんなに弱い動物を大事にもできないなんて、人間はどこまでも愚かだ。
俺ももう、永くないかもしれない。
愚かなまま、俺も死んでゆくのか。
俺が死んだあとも、人間は笑い続ける。
人間は笑い続ける。
人間は笑い続ける。
人間は笑い続ける。
愚かでなくては、生きてはゆけないこの世界で。












 





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