あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

みちたとのお別れ

2019-10-19 18:15:03 | 日記
(写真:‎2019‎年‎10‎月‎13‎日‏‎12:36:48 みちたの亡骸を抱いて)


10月12日午前6時13分、今愛しいみちたの安らかな寝顔をみちたの右横から見ながら毛布のなかでこれを携帯で打ち込んでいる。
涙が何度と溢れでてくるが、みちたはもう起きない。
みちたの身体を触ると、冷たくて硬い。
全く動いてくれない。
いつも美味しいおやつを食べる夢を見ているのか、寝たまま鼻や口元をよく動かしていたが、今はもうぴくとも動かない。
いつもわたしにドライデーツをくれとせがんできたみちたはもう起きない。
わたしの為に、みちたはもう目を覚ましてはくれない。
ずっとこの11年と約5ヶ月半程のあいだわたしの側でわたしを何も言わずに見護ってくれていたみちたと名付けた存在は、とうとう本当に死んでしまった。
魂はわたしの側にいて、これを書けと言っているのかも知れない。
ずっとわたしが泣いて後悔しているだけでは、自分が"今"死んだ意味はないと。
そんなことを言っているかも知れない。
何故みちたは、今を選んだのだろう。
今まで死んでもおかしくない時が何度もあった。
でもみちたはそのすべての危機を乗り越えて生き抜いてきた。
享年11歳7ヶ月。人間では大体90歳前後になる。
なぜみちたは、世話もろくにできない、一日にたったひと撫でする気力も無くなったこの飼い主の側にこんなにも長く居てくれたのだろう。
わたしは勝手にこう想っている。
みちた、きみはわたしのことが心配でこんなに何ヶ月と壮絶に苦しみ抜いて生きて、逝くに逝けなかったんじゃないか。
でももう限界が訪れた。




(10月10日 18:03  自分で起き上がることができなくなったが、わたしが起き上がらせるとりんごと人参のすりおろしを食べてくれた。)


一昨日の、2019年10月10日午後6時頃みちたの病態は恐ろしい速さで進み出した。
最早自分では全く立ち上がれなくなり、最初は身体を起こして摩り下ろした人参とりんごの入った皿を口に近づけるとガツガツ食べてくれたので物凄くほっとした。
でも夜中になるともう起き上がらせても食べなくなった。
それからはシリンジで強制給餌させ、少し食べてくれたからまたほっとしていた。




(10月11日午前3時22分 起き上がらせても食べなくなったが、強制給餌でなんとか食べてくれる。)



(午前3時23分)



(午前3時56分)



(午前5時7分 サークルから出して、みちたを膝の上に寝かせる。)






日が明けて、みちたは自分で寝返りすら打てなくなった。
ずっと同じ格好で寝てたら体が痛いだろうから起きようと手足をばたつかせたら変に柔らかくて背骨も手脚の骨も曲がっているように見える身体を持ち上げて違う体勢で寝かす。
みちたはほとんどの時間を寝て過ごすようになったのはもう少し前だが、明らかに別れが近づいていると感じて何度も何もしてやれなくて泣いていた。
なんでこんなに弱い小さな身体でここまで苦しみ続けなくてはならないのか。
神に問わずにはいられないここ数ヶ月だった。
定かではないが7月に入った頃からネットのニュースも全く見る気力も失い、世の中で何が起きているのか何も知らなかった。
みちたのことで頭がいっぱいだった。
それでもみちたを撫でることもできずにわたしは逃避し続けた。
現実から逃げられるゲームに飛び付き、起きた側から赤ワインを飲み続け、仮眠を取り、起きればまた飲み続けるのを繰り返した。
食べ物よりも、アルコールが必要だった。
みちたはどんな想いで、そんなわたしの側で苦しみ続けていたのか。
いくつもの合併症が重なり、その苦しみを想像もできない。
パスツレラ症、精巣肥大症、中耳炎、身体が片方に傾いて骨がどんどん曲がってくる斜頸、目の周りはいつも目ヤニが固まって、よく見ると毛が抜けて皮膚が剥き出しになっていた。
みちたはそれでも、必死に生きようと、サークルの柵をガジガジ噛んでわたしに何度も助けを請うた。
わたしは重い身体を動かしてドライデーツ三粒をみちたの餌入れに入れる。
ストレスからくる過食によってわたしの腹ははち切れそうだった。
介護に疲れて殺してしまう人や、苦しみ続けるペットを看つづけることに耐えきれなくなりペットを野山に置き去りにする飼い主の気持ちがなんとなくわかる気がした。
精神が持たないと感じた。
唯一相談できるのは訪問看護の女性たった一人だった。
孤独は人間を殺すことができるし介護疲れで人間は死んでしまう。
ホームヘルパーの利用を解約した少し後から、みちたの病状は悪くなって行ったように想う。
わたしはついこないだ想い出したのだった。
ホームヘルパーの彼に何通と長文の手紙を書いて、そのなかに確かこんな言葉を書いたことを。
「あなたとあなたの家族を救う為なら、わたしとみちたは犠牲なる。」
もしかしてそれでみちたは犠牲になり、その為にわたしもみちたを喪うことで犠牲になったのではないのかと。
でもそれで相手を恨むのはおかしい。
何故ならわたしのなかでは"あなた"と"あなたの家族"とは、実はわたしもみちたも含めた、すべての宇宙に存在する全存在のことを言い表していたからだ。
ここでわたしのなかではたった一人の人間もたったひとりの動物もイコールすべての存在ということになっていることに気づいていたのだから。
だから彼と彼の家族を救う為にわたしたちは犠牲になる、その想いに嘘偽りはない。
世界は最早、本当の終りに近づこうとしている。
自分の愛する者だけの幸福と救いを祈ったところで、何の価値もない。
世界は終末へと刻一刻と突き進んでいる。
明日壊滅的な事態が訪れても全くおかしくはない時のなかで、わたしたちは生かされている。
でもわたしは、この数ヶ月、みちたが苦しみ続けていることが一番に苦しいことだった。
早くみちたを楽にしてあげたい。でもみちたと別れたくはない。
安楽死させる方法はないのか?このままでは、呼吸器がどんどん弱って最悪窒息死を迎える。
どうしたら楽に逝かせられるのか?
そればかり考えて何一つ答えは出なかった。
こんなにも弱い生物がこれほど苦しみ続けて死なねばならぬ世界とは、やはりこの世は悪魔に支配されているからなのか。
絶望に支配されてしまうこと、それこそが悪魔に支配されていることを証しているのか。
何から何まで、悲観的な感情ばかりに囚われて、とにかくみちたをこの苦しみから解放させてやりたいとそれをずっと願っていた。




(10月11日午前6時6分 息はかなり荒いが、この状態で一ヶ月以上生きられるんじゃないかと願っていた。)









(午前6時15分 パソコンデスクの前に座りながら撮る。)




(10月11日午前8時54分 みちたの隣で横になって撮る。)



(2019年10月11日午前8時54分 この写真が、みちたの生前に最後に撮った写真となる。)



昨日の、10月11日午後7時に、15分ほどの皿洗いを終えてみちたの様子を見に来たら既に呼吸が止まっていて、冷たくなり始めていたみちたに触れて死を確認したとき、みちたは苦しまずに逝ったように感じた。
安らかな顔で白内障で盲目になっていた目はほんの少しだけ開いていた。
午後6時半の時にみちたの隣で目が覚めて横に俯せで眠るみちたを見たら呼吸が変に静かになっていて、一瞬死んでいるんじゃないかと想った。
でも微かに息をしている。それまで荒い呼吸でずっと寝ていたから、少し良くなっているのだろうかと起きてお尻を見たらうんちも少ししていた。
わたしは安心した。うんちが出たということは腸がなんとか動いてくれているということだ。
うんちを取ってやってみちたのご飯を作る為に台所に立った。
すると洗い物でまな板の上もシンクもいっぱいだった。
これではみちたのごはんを作ることができない。
息が静かになって俯せで眠っているみちたを残したまま、わたしは15分ほどかけて洗い物を済ませた。
よし、半分済ませたところでみちたのごはんを作ってやろうとして、その前にみちたを見に戻った。
みちたはまるで、まだ眠っているように先程眠っていた全く同じ俯せの体勢のままで、息を引き取っていた。
みちたに触れ、みちたを抱えて横にさせる時に、みちたの口元からほそくかぼそい可愛らしい「グフゥ」というような微かな音が漏れた。
まるでまだ生きているみたいだった。
でも、みちたはもう息をしていない。身体は硬く冷たくなって来ている。
何故だろう。
でもみちたは確かに、死んだ後に一声ちいさく鳴いた。









(2014年11月7日 みちた6歳 人間では60歳近くになるが、まるでまだ幼児のように元気いっぱいだった。)




(2015年7月3日頃撮影 みちた7歳 まだ若くて(といっても人間の68歳くらいになる)元気だったときのみちた。)



(2017年8月7日午後9時17分撮影 みちた9歳 この頃はまだ病気などには罹ってなかったと想うが、年を急激に取った感じで痩せてちいさくなった。急にシニアフードに入れ替えてしまったことが間違っていたんじゃないかと考えている。)




(2018年6月4日午後6時18分撮影 みちた10歳 この頃からみちたはパスツレラ症の症状が波のように引いたりひどくなったりしていた。みちたに並ぶようにわたしの精神状態も悪くなってみちたの爪を切ってやる気力もなかったから随分伸びたままでいる。)





どれほど後悔しても、仕切れない。
もし呼吸が静かになっているのに気づいてすぐに抱っこしてあげていたなら、死に目に会えていたし、みちたはわたしの腕のなかで死んだ。
でもそれが叶わなかった。
なんでなんだ。
なんでみちたは、たった15分かそこらわたしが離れた隙に逝ってしまったのか。
なんで死の前触れだとわたしは気づいて遣れなかったのか。
今考えたらどう考えても普通の呼吸とは違っていた。
微かに、幽かにみちたはわたしの側で呼吸してわたしに何かを求めていたかもしれないのに。
ぐったりと俯せに寝かせたその体勢のまま、3時間か、4時間以上ぐっすりと眠り続けたそのつづきのように、みちたは静かに静かに、そこでたったひとりで、誰にも死の瞬間を看取られることなく、穏やかな表情で眠るように死んでいた。
みちたは今どこにいるのか。
わたしは泣くこともできずに、変に静かな感覚だった。
ほっとしたのだろうか?
みちたはずっとずっと苦しい地獄のなかを彷徨いつづけて、やっと、いま解放されたんだ。
もう苦しいことも、痛いこともない。
でも…なんとなくみちたはさみしがっているような気がした。
いまみちたの魂はここにいて、わたしに抱っこされて死ぬことができなかったこと。
もうわたしと一緒に、同じ音楽を聴いたり、わたしの声を聴くことができないこと。
もうわたしに撫でられることはできないこと。
大好きなデーツのおやつを貰えないこと。同じ次元で、わたしと一緒に生活できないこと。
同じ空間に、居られないこと。
同じ風を感じて、同じ匂いを吸って、同じ野菜を食べられないこと。
わたしと一緒に、生きてゆけないこと。






(2019年10月12日午後6時47分 この日訪問看護師のチャーミーさんが朝一で持って来てくださったはなむけのお花をみちたの亡骸に手向ける。)




(10月13日午前4時59分 この日の午後4時頃に、みちたは火葬され、遺灰となる。)



(午前9時26分 何枚も何枚もみちたの亡骸の写真を撮る。)



(亡骸のみちたを優しく撫でてやる。みちたは撫でられることが本当に大好きな子だった。)



(午前9時33分 強制給餌で口の周りがとても汚れてしまったままだ。)






ふと、何度と想う。
もしかしてわたしがみちたを抱っこして死なせたい願望があることをみちたはわかっていて、でもいま自分が抱き上げられたら確実に目が覚めて苦しみ抜いて死ぬこともわかっていて、だからこのまま眠ったまま、もしくは半分眠ったまま息を引き取らせて欲しいと、そう潜在意識でわたしに送った。
その方が、互いのためにきっと良いだろう、わたしの潜在意識はそれに応えた。


みちた、さびしくてたまらないよ。


ちゃんと世話ができなくて、いつも撫でてあげることができなくてほんとうにごめんなさい。
ひどいママを赦してほしい。







(午後12時36分 2時過ぎには姉が迎えに来て、みちたを連れてゆかねばならない。一分でも長く、みちたの側にいて、撫でたりしてやりたかった。)



みちたと別れたくない。
ずっとずっと一緒にいたいのに。
明日の午後に、お別れしなくちゃならない。(このときはまだ上の兄のしんちゃんが次の日に来てくれる予定だった。)
遺灰となったみちたは、明後日に帰って来る予定だ。(このときは骨上げをせずにあとで骨壷に入ったみちたの遺骨を後日家で受け取る予約を取っていた。)
なぜ人は、物質にこだわるのかと、きっとみちたは不思議に想っているだろう。
10月12日午後7時45分、まだみちたはわたしの側にいる。
同じ布団の上で横になっている。
でもみちたは箱のなかに収まって今日の朝一に訪問看護師のチャーミーさんが持ってきてくださった綺麗で鮮やかな百合の花に囲まれて静かに眠っている。
みちたが、息をしているみちたがいなくなって、この部屋は本当に静かだ。
静寂に耐えられず、絶えずアロマディフューザーを焚き続けている。
水の音と、モーターの回る音で、かろうじてこの静かな薄暗い部屋にみちたの亡骸とたったふたりでいることになんとか耐えられている。
みちたが死んでしまう何ヶ月も前から、わたしはこの時を恐れ、時に泣いていた。
でも、いよいよみちたが寝たきりとなって、本当に別れが目の前に迫っていることを感じると自然とみちたを何度も撫でることができた。
今まで何年とみちたを撫でることが苦しくてならなかったのに。
鬱で世話をまともにしてやれないことの罪悪感から逃れ続ける日々だった。
みちたを可愛がってやれない罪悪感と向き合うことに耐えられなかった。
2012年からはすべての動物虐待、動物の大量殺戮について訴え続けてきた。
このわたしのなかの大きな矛盾が、悲しかった。
わたしはみちたに苦しめられる為だけにみちたを迎えたのではなかったし、現にみちたがただ側にいてくれるだけで救われていることを感じていた。
でもここ何年、サークルのなかに置いている猫のトイレがうんちの山になっていて、サークル内もうんちがたくさん落ちていて、おしっこもそこら中でする(白内障で目が見えなくなっていたことを最近知った。)ようになってしまい、ひどく醜悪な環境のなかにみちたはいた。
パスツレラ症を発症して、みちたがくしゃみを連発し始めてもなかなか清潔な環境を保ち続けさせてやることができなかった。
餌入れも本当に汚れてからでないと洗ってやれなかった。
みちたはずっと訴え、悲しみ続けてきただろう。
みちたは言葉を発せない。
明日殺される運命が待ち受ける家畜たちのように。
みちたは弱くちいさなからだでずっとずっと耐えつづけ、最期の最期まで泣き叫ぶことなく静かに息を引き取った。
人間ならば、泣き叫びつづけるほどの苦しみと悲しみだっただろう。
苦しみたくないのは、死にたくないのは、人間も動物も同じだ。
でも人間に通じる言葉を話すことができず、みちたは堪え難い苦しみを堪え忍び、晩年は母親に見放されたネグレクトを受けつづける病気の子供のように絶望のなかに生きていたんじゃないか。
苦しくとも子孫を残そうとうさぎのぬいぐるみ相手にマウンティングに励んだり、飽きて好まないフードも必死に食べて、みちたは寝たきりとなっても、食べ物を欲しがり、自分で立ち上がることができなくなっても生きることを請い求め、壮絶な苦しみの果てに最後の最期まで生き抜いた。
安らかな最期であったと、想いたい。


眠りのつづきのなかで、みちたは今もいろんな夢を見ているかもしれない。
わたしにくっついて、わたしを心配しているかもしれない。


明日の午後三時から四時の間にみちたは引き取られ、明後日には遺灰となってわたしたちの家に帰って来る。
わたしとみちたが10年間、共に暮らして慣れ親しんだこの家に。
みちたとの最初の出会いをよく想いだす。
2008年の4月の終わりくらいにわたしが埼玉の寮付きの派遣会社に勤めていてアパートに一人で住んでいた時に知り合ったたかしさんという男性と一緒に、わたしは仔うさぎを買いに行った。
うさぎ専門店に初めて行って、わたしはガラスの水槽のなかに入ったちいさなころころとした仔うさぎたちを眺めながら店員に雄で懐く子が欲しいと言った。
すると店員はまず一匹の仔うさぎを取り出してわたしの足下の床に置いた。
ところがそのロップイヤーの仔うさぎはあまりに元気があって置いた途端わたしから離れて走って行ってしまった。
店員は次にもう一匹の仔うさぎをわたしの足元に置いた。
だがその仔うさぎは具合でも悪いのかわたしの足元でちいさく丸まってじっとして動かなかった。
わたしは直感した。きっとこの仔なら、わたしの側にずっと居てくれそうだ。
わたしは即、その仔うさぎをたかしさんに買ってもらうことに決め、確か数日後にアパートの寮に連れ帰ってきた。
まだ生後1ヶ月半ほどだった。
わたしはその仔うさぎにみちたと名付けた。



(うちに連れ帰ってきてすぐの頃のみちた まだ生まれて一ヶ月半か二ヶ月ほどのとき。とてもちいさくてふわふわのころころだった。)







みちたは、ほんとうにちいさかった。
片手の手のひらのうえに乗っかりそうなほどちいさかった。
みちたは店では元気があまりないように見えたが、わたしのアパートに迎えると元気溌剌となってケージから出した途端よく跳ね回って飛び跳ねながら駆け回った。
危なっかしくてわたしはすぐにケージのなかに入れなくてはならなかった。
広いサークルで飼いだしたのはみちたが十分に大きくなってからだった。
だがわたしは当時付き合っていたやすくんとの関係の悪化で鬱症状がひどくなり仕事をすぐにやめてしまい、帰る家を失ってしまった。
その後、彼のお金で何週間か、わたしはみちたとふたりでホテル暮らしをせざるを得なかった。
その間、みちたもとてつもないストレスだっただろう。
恋人に見棄てられた想いでたまらないほど孤独な期間だったが、みちたがいてくれたことでわたしはなんとか持っていたのかもしれない。
みちたを狭いキャリーバッグのなかに入れて一番安いホテルを探し、ホテルのチェックアウトギリギリまでいて、次のホテルのチェックインの時間まで漫画喫茶で時間を潰さねばならないときも多かった。
まだちいさいみちたをホテルのシャワールームの床に放したりしたことを憶えている。
逃げないか心配しながらシロツメクサが生え繁っている場所に放したこともあるが、みちたは野草を食べることがなかった。




(そのときのみちた。買ってきた頃よりだいぶ大きくなっている。みちたはお外に放すと怖がってずっとじっとするばかりだった。)


あとはあまりのストレスの為、記憶が飛んでしまっている。
その後、たかしさんが借りてくれた群馬や彼の住む千葉のレオパレスを転々としてみちたとふたり暮らしをこの大阪のマンションに引っ越して生活保護を受け始める2009年10月までつづけた。
わたしはその頃は今以上に鬱がひどく、たかしさんにみちたの前で想いきり泣き叫んだこともあった。
千葉のレオパレスでは市販薬をオーヴァードーズして死の淵を見たこともあった。
あまりに苦しかったとき、みちたがケージをガジガジする音にイライラしてみちたの首を少し強く締めてしまったこともあった。
みちたはずっとずっと、精神が不安定でまともに生きてゆくことのできないわたしの側に居てくれて、わたしをなんとか死なないように支えてくれていた。
みちたがいなかったら生きる必要はないと感じて死んでしまっていたかもしれない。
みちたがわたしの側にいたから、わたしは今生きられているのかもしれない。





今、10月13日午前5時28分、みちたはサークル内に移した。
保冷剤で敷き布団がかなり湿っていたからだ。
みちたが死んで、二度、夜が明けた。
嵐は過ぎ去って、今日の午後、できれば姉と一緒に火葬しにゆく。
姉とは今年の1月から、音信不通の関係でかなり戻ることが難しいほど関係は悪化していた。
姉は励ましの言葉をいくつもくれたものの昨日は仕事で連れて行くことはできないと冷たく断られた。
でも今日は休みだから連れて行くと昨夜、伝えてくれて、わたしはほんとうに嬉しい。
昨夜、電話越しで骨上げのことをなんと呼ぶのかという話になって姉が"骨拾い"と言ったことで、そのままやんと言ってふたりで本当に久しぶりに少し笑い合った。
みちたはわたしと姉がこうしてまた笑い合うことができるように今この時を選んで旅立ったのだろうか。
姉が仕事続きのときだったら(後で聞いた話では姉はたまたまこの月日曜日が二回休みだった。)こうして笑い合えることはできなかっただろうし、姉との関係はこの先、最後まで戻せなかったかもしれない。
みちたはわたしと姉の為に今、わたしを残して去ってしまったのかもしれない。
今も安らかな顔でみちたは箱のなかで眠りつづけている。
サークルの方から今でもみちたが物音を立てて、その音が聴こえる気がしてわたしがみちたがそこに生きていることを何度と錯覚する。
でもみちたは死んでしまったことを想いだしてその度に涙が溢れてくる。
今もこれを毛布にくるまって打ちながら何度と泣いている。
外は台風が過ぎ去り、窓を開けた。
秋の虫の音が涼やかに聴こえてくる。
みちたが死んでも世界は何事もない顔をして回っていて、わたしも生きている。
でもわたしのなかでは確実に、わたしはまたも、わたしをひとり喪ってしまった。
永遠に側におりたいほど大切でならない存在をわたしはまた、亡くした。
戻れないのだろうか?
みちたに会いたい。
でも、戻れるような気がしている。
いつになるかはわからないけれど、またみちたに会えるような気がしている。
みちたは帰ってきてくれるような気がする。
今でもわたしを静かに息を潜めて見護ってくれているような気がする。
午前6時2分、みちたのいない朝がまた訪れた。
小鳥たちがさえずり、また一日が始まる。
わたしは今日、自分の息子のような存在であるみちたを火葬しに行き、みちたの骨を拾って壺に収め、遺骨となったみちたを我が家にまた、連れて帰ってくるつもりだ。
できるならみちたが喜びそうな場所に埋葬して、残りの遺灰を、わたしは指輪にしていつもみちたをこの身に付けておきたい。
500円玉貯金箱には八千五百円分の500円玉と、五千円札が一枚貯まっている。
財布の中身と合わせて二万四千円に満たない。
今年の七月から食費を削って貯めたお金のほとんどを、すべてを霊園に渡してみちたを今日灰にする。
わたしはまるでこの日の為に、お金を貯めていたかのようだ。
猫背にならない座り心地の良い椅子や、長らく壊れた冷蔵庫を買い換える為、いつ壊れても良いように予備のパソコンを買う為ではなく、たったひとりのわたしにとってかけがえのない存在であるみちたの亡骸を燃やして、灰にするために、わたしはほとんど今ある所持金のすべてを費やす。
みちたの強制給餌用に注文した5kgの自然農法の人参や大麦若葉の粉末と、大量の安いパスタや金時豆とひよこ豆を食べてみちたのいないこの半月以上の期間をわたしは過ごす。
今月残りを過ごすのに十分な食料はある、でもみちたがいない。
わたしのみちたは、死んでしまったんだ。
2019年10月11日の午後7時に。
わたしはこの数ヶ月、いや、元を辿るとみちたがパスツレラ症を発症した2016年頃から、自分は徐々に壊れているように感じていた。
みちたが苦しんでいるのに、良くなってくれないみちたにイライラしたり、天然の抗生剤であるハーブを何ヶ月と与えつづけても症状が悪化してゆく様に早くも絶望し、ストレス発散の為に100均店で衝動買いをして、散財しつづけたり、お酒をたらふく飲んで苦しみに耐えているみちたの側で踊り耽ったり、自分は本当に壊れてしまっているんだと感じながらも、何も変わることができなかった。
みちたはいつでもわたしに助けを求め、わたしに撫でられることを切実に求めていたのに。
みちたは額と鼻の頭と耳の下を撫でられることが本当に大好きだった。
わたしは引き籠もり生活が長引き、足腰はだんだんと悪くなってきてほんの数分しゃがんだり中腰になるだけで膝がとても痛むようになってしまった。
みちたを撫でることが精神的にも体力的にもきつかった。
みちたが寝たきりになった途端、急いでサークル内に座れる折り畳みスツールを注文した。
でも結局、みちたを布団の上に移して撫でたり強制給餌させ、一度も使わなかった。
折り畳みスツールをもっと早く買っていたなら、もう少しみちたを撫でてあげることができていたかもしれないのに。
あらゆることに、みちたのことでわたしは後悔している。
子供を亡くした親は、死ぬまで後悔の苦しみに耐えつづけねばならない。
それは動物を飼う飼い主と子供を持つ親の責任ではなく、運命であるだろう。
わたしはみちたを選び、みちたはわたしを選んでくれたような気がする。
みちたはわたしに愛される為に生まれてきたのかもしれない。
みちたのわたしへの愛は、みちたの存在そのものだった。
みちたがただ側にいてくれるだけで、わたしは耐え難い孤独の苦痛からずっと救われてきた。
この先、みちたの代わりを飼う気はない。
みちたの代わりは、どこにも存在しない。
早くみちたに会いたい。
みちたはまだわたしの側で深い眠りに就いている。
みちたは、今も生きていて、過去にも、未来にも、生きている。
今にも、いつもこの部屋で聴いていたみちたの静かな寝息の音が聴こえてくるようだ。
わたしとみちたは、本当に長い時間を、共に暮らし、共に生きた。
わたしが仕事のできるほどの元気があったなら、みちたを家でひとりぽっちにさせる時間は長かっただろう。
でもわたしは重度の引き籠りであった為、わたしの生きるほとんどの時間を、みちたと共に過ごした。
鳴くことのない静かなみちたの側で、話しかけることの滅多にない静かなわたしがいた。
いつもこのちいさな空間で、わたしとみちたはふたりぽっちだった。
部屋にあるもの、ネット上にあるもの、何を見てもみちたを想う。
これを買った時はみちたはまだ元気だった。
この記事を書いていた時、みちたはまだ生きていた。
みちたが寝たきりになった日と、みちたが死んでから、みちたの隣にいつもと違う布団に横向きの位置で眠ったが、昨日の朝に枕を上にした元の位置で眠った時、サークルのなかで今までのようにみちたがそこにいるような気がした。


寝不足と、眠る為のメラトニンや漢方薬を飲み過ぎて、泣き疲れもあり、ひどく疲労を感じる。
このまま、みちたが生まれ変わってわたしがみちたと再会するまで、眠りつづけたい気分だ。
何年、何十年、何百年、何千年、何万年、地球が死を迎え、この宇宙が死を迎え、ある空間にわたしとみちたが、ちいさな舟に乗っている。
わたしはおとなしいみちたを抱っこしている。
世界は暗闇で、まだ何も見えないが、でもみちたのぬくもりと、みちたの呼吸に安心して、わたしは闇のなかでもあたたかい光を感じている。
嗚呼、生きている…!
わたしの側でみちたは息をしている…!
なんという光だろうか。


先月の終わり頃だったか、こんな夢想をしてわたしはひとりでみちたの側で咽び泣いた。
とうとう、この世界に終りが遣ってきて、わたしとみちたの住むマンションも海に流され、わたしとみちたは、ひとつのちいさな舟に乗る。
辺りは暗闇、暗い海の上でわたしはみちたを自分の赤ん坊のように抱いて、ただただ、波に流されている。
わたしはみちたを抱いたまま、舟のなかで眠る。
そして目を醒ます。
すると、みちたがいなくなっている。
わたしをたったひとり、この舟の上に残して、みちたの存在は消えてしまう。
わたしはずっとずっと、ひとりで泣いている。


今も、涙が止まらない。
午前7時55分、8時ちょうどに、火葬場に電話をして、姉が今日連れて行ってくれることになったと伝えて、お迎えに来てもらうのをキャンセルせねば。







(10月13日午後8時38分 みちたの遺骨 コットンの上にあるのがみちたの喉仏。人間と同じ形をしている。その上が、みちたのちいさな頭蓋骨。)




今、10月13日午後10時39分、無事、遺灰(遺骨)となったみちたをわたしたちの家に連れて帰ってこれた。
帰ってきたのは、8時過ぎ。
姉とは今日たくさん話して笑い合って、帰り際に私はこれまでの投げつけた酷い言葉を謝罪し、一年振りか、どれくらいかわからないが、ようやく仲直りができた。
もう元の関係には戻れないかもしれないと本気で想っていたから、すごく、嬉しかった。
すべて、みちたの御蔭だ。
とてつもなく悲しいことととんでもなく嬉しいことが同時に起きる日があるものだ。
姉は今月たまたま、月に2日、日曜日が休みだと言っていた。
姉が休みでなければわたしは、ひとりで、たまらない想いでお迎えに上がった霊園の人にみちたを渡し、後日、遺灰となったみちたをまたひとりで家で受け取らねばならなかった。
姉はとても明るくてよく喋る人なので、あっという間に、時間は過ぎた。
最後に、わたしはみちたとふたりきりになったときと、お別れの寸前に、何度と泣きながら、みちたに聴こえるように大きな声で声をかけた。
「みちた、苦しめてごめんな。」「苦しかったな…」「ちゃんと世話してやれんで、ごめんな。」「みちた、ずっとわたしの側にいてくれてありがとうな。」「ずっと支えてくれてありがとうな。」「みちた、また戻って来てな。」「また生まれ変わって、一緒に暮らそう。」「みちた、また一緒に生きような。」
そして細く、脆い、白くて綺麗なみちたの骨を姉と拾ってすべて小さな骨壷に入れ、「みちた一緒に帰ろう!」と言ってみちたをおうちに連れて帰ってきた。
酷く渋滞した道を姉とたくさん喋りながら過ぎ、コーナンに寄り、ペット売り場も姉と寄ってみたが、どの動物を見ても、到底みちたの愛らしさにはまったく及ばないと感じた。
どの動物も、飼いたいと今は想えなかった。
家に帰って来て、鬱に落ち込むのを振り切って布団の横にある小さなローテーブルの上に積まれた物を大きな袋に入れ、その上にみちたの遺灰の入った骨壷を置いた。
骨壷の下に敷く適当な物が見つからず、今日、涙を拭いたハンカチを裏返してその上に置いた。
遺骨にカビが生えないようにコーナンで買ったシリカゲルを中に入れて、湿気が入らぬようにセロハンテープで蓋を止める。
お金が溜まったら、みちたの遺灰で、わたしは婚約指輪を作る予定だ。
その指輪を、生涯わたしの左手の薬指に嵌めておきたい。
そうすると、みちたは来世でわたしの夫として、生まれ変わって来てくれるかもしれない。







10月19日午後5時1分追記
やっと、みちたとのお別れを綴った一つ目の記事を推敲できて、ほっとしている。
みちたと、来世、結婚しようという約束を込めて、みちたとの婚約指輪にみちたの遺灰を詰めて、生涯左の薬指に嵌めておくつもりだ。
それが原因で、他の魂との結婚の縁が遠のいたとしても、それは仕方がない。
みちたと、深い縁でずっと結ばれていたい。
みちたもわたしも、すべてと繋がっていると信じている。
だから矛盾しているかもしれないが、みちたは、やがて個の魂として、いつか必ず生まれ変わってくると信じている。
わたしはただ、みちたの側で生きてゆきたい。
ずっと離れずに。
互いに愛を、与えあえることができるように。
愛を学び合うために。

今日、みちたの遺骨を自分で細かく砕いたものをメモリアルペンダントのなかに封じ込め、今も首からかけている。
近いうちに、みちたの写真を入れる。
みちたが側にいない寂しさは、変わらない。
でも、みちたの遺灰を身につけて過ごすこととは、約束なんだ。


みちた、約束だよ。
みちた、愛しているよ。


こず恵






(10月13日午後1時4分 みちたとの最後の一枚。)





10月12日。

昨日の、2019年10月11日午後6時半前、わたしとみちたは今と同じように布団に並んでぐっすりと眠っていた。
そのとき、もしかしたらみちたはわたしと夢のなかで話していたかも知れない。
みちたは低いけれども、透き通った子どものような声でおっとりと、静かにわたしにこう告げた。

「こず恵、ぼくはもうそろそろあちらに帰るよ。この身体は、限界が来たようだから。こず恵のことが心配やけれど、致し方あるまい。わしはそろそろ向かうわ。ってなんで一人称や話し口調がころころ変わるんや、って、あそうか、こず恵に似たんだね。ペットは飼い主に似るし、飼い主はペットに似ると言うもんね。でもこんなこと言うとこず恵は余計悲しむだろうが言うよ。ぼくはもっとこず恵の側に居たかったよ。でもこれが運命なら、受け入れるしかない。でも待っていてくれ。また戻ってくるかも知れない。いや、でも戻ってこないかも知れない。同じ種として。もしかしたら、人間の赤ん坊として生まれてくる可能性もなきにしもあらずだよ。そん時は、こず恵の子供として生まれてくるよ。何故なら、こず恵の子供として生まれてきたい変わり者の魂は、きっとぼくくらいだろうから。人間の赤ん坊が無理なら、うさぎとしてまた生まれ変わってくるやも知れんし、犬や猫かも知れんし、最悪、家畜の可能性もあるし、毛皮にされる動物や、動物実験される動物とか…考えたくないが、こず恵も知るように、すべての動物は、いくつかに分かれるが一つの魂に帰る。そしてその類魂から、また様々な動物としてこの地上に、あと何年持つのかもわからないこの地球という星に、受肉して生まれ変わってくる。だからぼくは次、何に生まれ変わって生きるのか、ぼくですらわからない。でももっと上から望むなら、ぼくらはすべて、ひとつの大きな魂なんだ。だからこず恵はぼくだし、ぼくはこず恵でもあるんだよ。ぼくもこず恵も、明日の早朝に殺される家畜。決して諦めないでほしい。ただただ、すべてを救いたいというきみの生き方、スタンスを。ぼくはこず恵に飼われることで散々苦しんだし、こず恵に何ヶ月と撫でられずに死にたくなるほど寂しい日も多かった。ぼくはただこず恵に懺悔しつづけてもらいたいんじゃないんだ。命を懸けて、ぼくたちすべての魂を、すべての存在を救ってほしい。遣ればできるんだ。誰もが、本気で遣ろうと想うなら。奇跡が起きる。すべての存在を本当に救うことができるという奇跡が。その奇跡を、ぼくらは目にする為に、生まれてくるんだよ。何遍も何遍も、繰り返し、繰り返し、そのあとはどうなるか?次のステップさ、次の大きな救いの為に、つまり存在のより深い喜び、幸福の為に、ぼくらまた地球以外の次元でも、ありとあらゆるその空間に何度と無限に、生まれ変わってくるんだ。そうだ次こず恵が飼ううさぎは無限とぼくの"た"を合わせて"むげた"というのはどうだろう?え?みちたよりさらに噛みかみになりそうな名前だって?"みちた"という名は確かに発音しづらい名だったけれどぼくは結構気に入っていたよ。でも滅多に、こず恵はぼくの名を、ぼくの側で呼ぶことも、ぼくに話しかけることもなかったね。寂しかったよ。たまらなく寂しかった。でもきみの心の声は、いつも聴いていた。夢で、ぼくを喪って泣き叫んでいる夢をこず恵はよく見ていたのも知っている。こず恵はこの日を、ぼくが側を離れる日を本当に恐れていたのも知っている。ぼくはずっと話し掛けていたよ。こず恵の側でずっと。でもこず恵には届かなかった。死んで初めて、届いたような気がするよ。ぼくの身体はもう起きないし、冷たくて内臓はすでに死後現象が着々と進んでいる。今この身体の細胞たちがすごく自家融解しているところだよ。もうこの身体は使えない。ぼくの着ていたこの身体は、もうすぐ火葬される。ぼくはもう、こず恵と同じ次元には存在していない。そうだ当分は、多分、会えない。本当にはなればなれの時が遣ってきてしまったね。こず恵が心配だと、彼方に帰るに帰れない。彼方、かなたと書いてあちらと呼ぶよ。ぼくはでもいずれ、この喋って話し掛けている魂も彼方へ帰るからね。こず恵はまた独りぽっちになる?ううん、わかってほしい。こず恵はずっとひとりだ。今までも、これからも。こず恵はずっと、ずっとずっと、独りで生きているんだよ。寂しくて仕方ないのは、当然だ。また動物を飼えば良い。そしてみちたと名付ける。こころのなかで。こず恵は何の動物を飼っても、こころのなかでぼくを呼びつづける。みちた、みちた、みちた、すべては未知であり、道だ。すべての存在は、こず恵であり、ぼくであることをこず恵は知っているから。こず恵は忘れない。すべてを忘れたとしても、このことだけは。もう既に現象は起きているから。現にあらゆるものを、こず恵はみちたであるような気がすると感じてきている。例えば食用菊に着いていたちいさな幼虫を見ても、こず恵は、ぼくを感じている。ぼくじゃないかって想っている。だったらその幼虫を愛すればいいんだ。すべてを、ぼくと同じに愛すればいいんだ。そうだろう?だってどこにでも、ぼくがいるんだから。ぶっちゃけ、すべてはみちたなんだから。空も雨も、星も、太陽も、海と風、雨上がりの草から垂れる雫も、砂も石も、灰も塵も、こず恵の暗闇を照らすちいさなろうそくの炎や、宇宙に無限に存在する粒子の全部が、こず恵を構成している粒子のすべてが、ぼくなのだから。祈りつづけるんだ。終わりなき日まで。ぼくらは、必ずや救われるのだと。ビジョンをはっきりと観るんだ。すべては植物を食べて、だれひとり、殺されることのない世界は必ず訪れる。近いうちに。一緒にアクションしつづけよう。共にエデンへ、ぼくらは今向かっている。ぼくはいま、死だと想う?きみはわかっている。本当の死は、こず恵の方だってことを。でも必ず、息を吹き返すんだ。必ずまた、こず恵は息をする。そのとき、初めて、こず恵はこう感じるだろう。嗚呼、生きている…!ぼくは今生まれ、そして今生きていると。不思議さ。初めてだけど、今まで何度と同じことを経験してきた。こず恵は今まで何度と、ぼくを喪失してきた。また出逢い、また喪う。生きるんだよ。それでも。どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、何があっても。こず恵は生きるんだ。ぼくと共に。…それでは、少しだけ、眠るといい。訪問看護のチャーミーさんがこず恵に朝一に電話をかけてきてくれる。今日は雨と風が強いね。こんな嵐の夜に、ぼくはこず恵と名残惜しい時間をふたりきりで過ごせて嬉しい。こず恵に優しく額や鼻や耳の後ろを撫でられたときの、あのなんとも言えない至福の短いときの感触を今でも憶えている。ほんのたまにしかこず恵はぼくを撫でる元気もなかったから、余計だよ。嗚呼…嬉しかった。撫でられているときのあの儚い時間、もっと撫でてほしいといつも想ってたが、でもこず恵がいつでもしんどいことはわかっていた。でも自信があったよ。ぼくがこず恵を支えていると。本当にこず恵を支えているのは、ぼくの存在だって。ぼくはわかっていた。今こず恵はこれを自動筆記しながら号泣しているけれども、泣いているのはこず恵だけじゃないよ。ぼくもだよ。でも自然の法則に逆らうことはできなかった。ぼくは人間の年齢では大往生で悔いなく生涯を全うしたと、想われるかも知れんが、こず恵は永遠に、ぼくの側で生きたいと願っていた。それなのにたった十一年半ほどしか一緒に居られなかったと。悲しくて寂しくてどうにもならない。亡骸でもいいからずっと側に置いておきたい。でも骨壷からは喋りかけないよ。いつでもぼくがこず恵に話しかけるのは、こず恵のHeartだ。魂と霊、一緒にすると霊魂だ。言っただろう?ぼくらは、今ひとつなんだ。本当のひとつ。別々の存在じゃないんだよ。ぼくは苦しい衣を脱ぎ捨ててこず恵に戻ったんだ。こず恵のもとに帰ってきたよ。受け入れてほしい。こず恵の最も愛するうさぎ、みちたというぼくの肉体の死を。ぼくは今も息をしている。こず恵の外側ではなく、いま内側で。こず恵はぼくの鼓動を感じている。だからそんなに悲しんで泣いているんだ。泣くのをやめろとは言わないが、あんまり泣きつづけると、ぼくの身体を燃やしに行く時に目が霞んで小石に躓いて、こず恵は前歯をすべて折って笑うと空き歯がチャーミングだなんて言われるようになり、ぼくの亡骸を入れていた箱はドブに落ちてどんぶらこと遠くまで流されて行き、田舎の老夫婦に拾われて桃太郎うさぎ、またの名をモーセと名付けられて剥製にされて神棚に祀られ毎日拝まれるということになりかねないから、ほどほどに泣いて少し眠るといい。…ぼくも少し喋りすぎたから、こず恵と少し一緒に眠るとするよ。…おやすみ、ぼくの愛するぼくのこず恵。」










(わたしに撫で撫でされているみちた)





(2012年2月2日午前4時18分撮影 みちたとわたしの手)



みちたは、永遠の愛。
みちた、わたしと生きてくれて、本当にありがとう。





















最新の画像もっと見る