南米料理と音楽の店 ペーニャあまんかい

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ブエノスアイレスの夜

2006-05-17 06:48:30 | 南米の映画Pelicula
ブエノスアイレスの夜
原題VIDAS PRIVADAS
2001年アルゼンチン=スペイン映画



(映画を見ていない方は読まない方が・・・・!)

~極私的解釈~

監督のフィト・パエスは「Yo vengo a ofrecer mi corazon」などの楽曲で知られる優れたアルゼンチン音楽家でもあります。今回始めて知ったのですが主演のセシリア・ロスの御主人でもあるそうです。
映画の中で効果的に使われる曲は
「Cancion de cuna costera」
というアルゼンチン・リトラル地方の子守唄が使われています。
ある場面で若い愛人役のガエルが着ていたTシャツには、ちゃっかりフィト・パエスのプリントが使われていたりして、「君は、ヒッチコックか」
と、思わず突っ込みをいれてみたくなりました。

「オール・アバウト・マイ・マザー」のセシリア・ロスと「モーターサイクル・ダイアリー」のガエル・ガルシア・ベルナル主演のこの映画、最初は少し前にスペイン映画でよくあった、年上の女性と若い愛人が愛欲に溺れる映画かなと思いましたが、実際はアルゼンチンで84年まで続いた、軍政の悲劇が描かれています。

主人公カルメンの父役エクトル・アルテリオと母役チュンチューナ・ビジャファニェは同じくアルゼンチンの軍政を扱った映画で1985年制作の「オフィシャル・ストーリー」の中でも共演し、特に、チュンチューナは主人公の友人役で出演し、アルゼンチンから訳ありで離れ、久しぶりに友人達に会うシーンでの彼女の素晴らしい演技は私の記憶の中に鮮明にのこっています

セシリア演じるカルメンに思いを寄せる、医師アレハンドロがカルメンがスペインから久しぶりに帰ってきた時「ねえ(昔のように)アルゼンチン訛りで話してよ」という台詞がありますが、セシリア本人もアルゼンチン出身で長い間スペインで暮らしていたので、彼女が映画の中で「コーニョ」をよく使うスペインのスペイン語の微妙なアクセントとこの脚本設定が絶妙なのです。

なぜカルメンはアルゼンチンを発たないといけなかったのか。
彼女の妹アナには、一緒に幸せに暮らしていた旦那さんが突然交通事故にあってと言っていますが、財産分与にあたるカルメン達が暮らしていたアパートに対するやけに神経質な彼女の反応、そして、家族達の腫れ物に触るようなカルメンへの態度に弁護士である妹は、何かおかしいと思いはじめるのです。
この家族が属する裕福な家庭環境はこの映画をさらに複雑なものにしています。その当時、政治的に捕われた家族を持つブルジョア層の反応、世間への体面を繕ってきた歪みが、事実をまったく知らされていない妹の「真実を知りたい」という行動に大きく関わってきていると思います。

過去の忌わしい記憶を封印するため、そして今を生きるために、スペインで1人で生活し、異性との肉体的接触一切を拒むカルメン、アルゼンチンに帰ってきた時、その声に惹かれて愛人契約をした若い男娼グスタボとの倒錯した悦楽を続ける内に、彼女のなかの凍りついた感情が溶けだしてしまうのです。

映画の半分くらいからグスタボの父は軍人だとか色々伏線が敷かれていましたので、真相に気がついてしまって「カルメン!それ以上はぁー」とヒヤヒヤしていましたが、ついにカルメンはグスタボを受け入れてしまいます。

それと同時に肉体的接触を持たないことで保たれていたバランスが一気に崩れ、封印していた今まで記憶の底に埋まっていた恐ろしい出来事が一気に彼女を襲うのです。

面影がグスタボに似ている最愛の夫との幸せだった時の写真に目を移した後、ベットから立ち上がった彼女が聴いているあの音、銃声、独房の金属音、赤ちゃんの泣き声、彼女自身の悲鳴。その時に、カルメンはグスタボが自分の息子だと本能的に悟ったのかもしれません。
アルゼンチンでその当時、秘密警察などに連行されて暴行、レイプ、拷問、子供の拉致被害を受け、奇跡的に生き残った人々のトラウマがまさしくあの音であるのです。 

カルメンの隣の独房に偶然入っていたアレハンドロも彼女が自殺しないようにいつも声をかけ、囚人であると同時に当時医学生でもあったので、他の囚人を巡回することがあり、彼女が独房で産み落とした子供が生きている可能性があることを知っていたわけです。
彼自信もこの時に受けたトラウマを引きずり不眠症に悩まされアルコールに頼る生活をしています。彼女に対する愛も単なる男女の愛だけではなく、この逮捕時、政治犯収容所の中で感じていたコンパニェリズム(同志)的な強い愛情を含んでいるのだと思います。

子供を拉致して軍人関係者の養子にした事実は、現在のアルゼンチンでも裁判が行われる程、横行していたようです。しかし、前アルゼンチン大統領メネンはこの時の戦争犯罪人を釈放してしまいました。

軍人であるグスタボの父はグスタボにとっては良い父親だったかもしれません。しかし、大佐という立場であったということは、カルメン、グスタボ、そして、数え切れない人々への加害者なのです。彼はいつも銃を肌身はなさずもっています。その心理にはいつ何時自分達の罪が暴かれるかわらない恐怖、罪の深さを自覚しているからなのだと思います。
アルゼンチンそして南米の汚い戦争と呼ばれた人権被害は痛々しく生き残った人たちの記憶の中に今現在も生きているのです。