南米料理と音楽の店 ペーニャあまんかい

アルゼンチンから一番遠いペーニャ(南米の音楽酒場)へようこそ

NO HAGAS RUIDO EL MAESTRO DUERME

2007-05-31 21:05:41 | 南米の音楽Musica
LOS PATIOS DE LAS MILONGAS SIENTEN QUE LOS BAILA-
RINES PIERDEN EL PASO....LOS FAROLES DEJAN QUE LA
LUNA SUPLANTE SU LUZ CON UN RESPLANDOR FUNERAL..

Y BUENOS AIRES SE PUSO MUY FRIA Y NO ES CASUAL ..

ES QUE LAS GUITARRAS LAMARON A LUTO, AQUEL PURRE-
TE QUE CON CINCO PIRULOS EMPESO SU TRAVESURA DE
TANGO DESPUES DE SEIS DECADAS DE ASOMBRAR EL MUN
DO CON LA RIQUEZA DE SUS MAGICAS MANOS EN LAS CU-
ERDAS,HA PARTIDO A REUNIRSE CON ASTOR,
CON PICHUCO...CON SU AMADO HIJO..
A JUNTARSE EN EL BRONCE CON GARDEL.

HAY UN LLANTO SORDO EN LAS GUITARRAS ,
POR CACHO TIRAO..
NO ROMPAN EL SILENCIO..
EL MAESTRO SE HA DORMIDO...
Y DEBE DESCANSAR.



Don Atahualpa Yupanqui

2007-05-24 06:47:02 | 南米の音楽Musica

孤高のアルゼンチンギタリスト アタワルパ・ユパンキ。
1908年2月22日ブエノスアイレス生まれ、
1992年5月23日パリにてその生涯をとじる
今年で没後15年目を迎えます。

ギタリストと書きましたが歌手、作曲者、採譜者、詩人、哲学者でもありました。
現在でも世界中にユパンキのファンは多く、沢山のギタリストに多大な影響を与えています。
以前、私達はアルゼンチンのフォルクローレフェスティバル「コスキン」に出演する前にヘスス・マリアにあるペーニャのステージに立ちました。歌い終えるとある男性が話し掛けてきたんです。
その方は、ユバンキの息子、コジャさんでした。
シルビオはドン・アタ(シルビオはユパンキさんをこう呼ぶ)にアルゼンチンやフランスでお世話になった時の話をしていましたら、コジャさんがコルドバ州のセロ・コロラドにある、ユパンキの家(現在は博物館)に来ませんかと誘われたので、私達は翌日荷物をまとめて、その村に向かったのです。
小さな質素なペンションに通されました。ベットの隣にはユパンキさんとペンションのオーナーが並んだ写真。
ユパンキはセロ・コロラドで家を建設中、この部屋に滞在していた事を知って、ユパンキを近くに感じながら、コジャさんの心遣いにとても感激したのを思い出します。
シルビオはユパンキを知る人たちと思い出を語らい、彼が良く弾いていた不思議なギター調弦で夜な夜なGUITARRIARしていました。
今日はユパンキにSALUD!!

CD発売記念ライブ

2007-05-23 02:10:05 | イベント
◆デュオ・パマルカ&ミミ◆

シルビオ・モレノ「CHARANGO Y GRUPO」CD発売記念ライブが那覇市おもろまちサンエーメインプレイスにて行なわれました。
会場にはたくさんのお客さまがお越し下さり、お馴染みのお顔もありました。ありがとうございました。
県内でフォルクローレを演奏している方、アルゼンチンのレコードをたくさん持っていますと話し掛けてくれる方、
「(アルゼンチンのリズム)チャマメが大好きなんですよ」なんて嬉しいお話もできたりして、新しい出合いに感謝です。
今回はアルゼンチンサンバなどミミがギターで参加したので、シルビオはハーモニカも担当し、楽しいライブができました。
サンエーメインプレイスのこれからのイベント情報はこちら



国境辺りがおもしろい

2007-05-01 14:26:03 | 南米の音楽Musica
以前から、パラグアイの音楽家達が恩納村にあるホテルで演奏していると聴いていたので、時間を見つけて行くつもりだったのですが、なかなか実現せず数カ月たってやっと訪れる事ができました。
南米のアルパとギターとバンドネオンの編成のトリオ。パラグアイと国境を接したアルゼンチンの北、リトラル地方のリズムがとっても似ていて、シルビオの故里で聴いた音楽を思い出していました。

国境といえばブラジルに近いコリエンテ州のベジャ・ビスタのお祭りではほとんどブラジルのサンバカーニバルのような衣装、リズムで「ここは本当にアルゼンチン?」といったような感じなのです。ブラジルのビール会社「ブラマ(BRAHMA)」も協賛したりなんかして
アルゼンチンの中のブラジルがそこにはあります。

ポルトニョールと呼ばれている、ポルトガル語とスペイン語がミックスしたような言葉も使われています。
国境付近で混じりあいながら音楽や文化が影響しあっているのがはっきり見て取れますね。

さて、パラグアイの方々とも、すっかり仲良くなって、バンドネオン担当のフリオさんはお休みの日になると私達のペーニャに遊びにきてくれました。フリオさん沖縄最後の日にシルビオと私にパラグアイの伝統衣装アオポイをプレゼントしてくれました。
アオポイはとても繊細なデザインで夏はとても涼しいと定評があるんですよ。(本当に嬉しいです。今年の夏着ます。)
そしてフリオさんが手渡してくれたアルゼンチンの音楽家達が良く知られた曲をグアラニー語(アルゼンチン北部からパラグアイに住むグアラニー族がつかう言語)で歌った、ユニークなCDを聴きながら夜更けの海岸ぞいのヤシ並木を走り抜けて一路、那覇へ向かうのでした。