日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

日蓮堂・日蓮洞窟(佐渡市真浦)

2018-09-22 20:26:10 | 旅行
佐渡流罪の赦免状を受け取った日蓮聖人は、3月13日に一ノ谷を発ち、真野湾に面する真野渋手(塩屋ケ崎)に到着しました。
そこには多くのお弟子さんや信者さんがやって来て、日蓮聖人との別れを惜しんだといいます。



日蓮聖人は真野渋手から船に乗り本土を目指しましたが、風が悪く一旦佐渡南岸の「真浦」という港に入ったそうです。
(真浦までの経路については、山越えをしたとの説もあるようです)



真浦に到着したのはもう夕刻、辺りには民家はまばらで、見ず知らずのお坊さんを泊めてくれる家もありませんでした。
その時に日蓮聖人が一夜を明かした洞窟があるそうです。



佐渡海峡に沿って走る県道45号線、赤泊港のほど近く



「日蓮堂・日蓮洞窟入口」の看板を見逃さずに、民家の間を入ってゆきます。



小径には小ぶりな法塔が建っています。古くから信仰のある方々が参詣した霊場だということが窺えます。



小径は二叉になっており、日蓮洞窟方面と日蓮堂方面に分かれます。
まず日蓮洞窟へ行ってみましょう。



民家の裏庭を縫うように小径は続きます。両側には花がたくさん!



日蓮洞窟です。
明治30年の水害で洞窟の大部分が埋まってしまったそうで、正確には洞窟跡、かもしれません。
ただこの前に立って目を閉じると、お祖師様が読経するお姿が浮かび、オーラっていうのかな?強く感じました。

今まで日蓮聖人のご霊跡をめぐってゆく中で、洞窟、ほら穴のご霊跡が沢山ありました。いずれも初めての土地、泊めてくれるあてもない場合に、穴の中で夜露を凌いだということが伝えられています。
法華経弘通の為なら、という日蓮聖人の覚悟が感じられ、毎度ながらすごいなぁと思います。



翌14日も風が悪く、船が出せなかったといいます。日蓮聖人は洞窟でもう一泊か、と思ったのかもしれません。
そんな時、近所の「舟元家」の方が、迎えて下さったそうです。優しい方がいらっしゃったんですね!



それでは日蓮堂に行ってみましょう。



こちらは上り坂の小径です。



草に埋もれていますが、昔の信者さん方が奉納したと思われる法塔をいくつも見ることができます。



この階段を上がると・・・



宝塔とお堂が現れます。



この場所が由緒ある霊場なのだと物語るような宝塔群に合掌。



日蓮堂です。



さきほどの洞窟で一夜を明かした日蓮聖人を翌日自宅に招いた舟元家の方が、ご霊跡を護るために建てたお堂なのだそうです。


お堂は4年前に改築されたようで、堂内にその際の寄付者が掲示されていました。

佐渡では、各お宅の屋号が今でも現役で使われており、屋号「舟元」のお宅の名前もありました。
また、画像右には「辰子」という屋号が見えます。実は辰子家のおばあさんが日蓮聖人にお粥を供養してもてなした、という逸話も残っているようです。

それから700年以上を経てもなお、大切なご霊跡を維持し、清めて下さっている。
舟元さん、辰子さんはじめ護持して下さっている方々の屋号・お名前に向かって、感謝の気持ちを込めてお題目をあげました。


このお堂に参詣に来た信者さんの中には、柱に記帳してゆく方もいたようで、

福岡や大阪、播磨の地名も見られます。また、時代も明治とか・・・



嘉永年間の記録もありますね!ご首題みたいにキレイな文字です。

(※大切なご霊跡なので、くれぐれも勝手に書かないように!)



いつの頃でしょうか、信者さん達の記念写真が飾られていました。
お堂の前で団扇太鼓を掲げる元気な信者さん達。足元には雪が積もっています。写真ほど当時の雰囲気をリアルに伝えるものはないですね。時代は違っても、信仰で彼らとつながっているんだな~と思うと、ジーンときちゃいました。



何か、とっても良いご霊跡でした。元気をたくさん頂きました!










この記事についてブログを書く
« 何代坂(佐渡市畑野) | トップ | 真浦霊跡(佐渡市真浦) »