日蓮聖人が鎌倉で辻説法をしていた頃、天変地異が相次いだといいます。
洪水、飢饉、疫病、彗星の出現、そして大地震・・・。
特に1257年8月に発生した「正嘉の大地震」は関東地方に甚大な被害を及ぼしたようです。
日蓮聖人の拠点だった鎌倉も、寺院倒壊や地割れ、火災がひどく、余震も相当続いたそうで、この「正嘉の大地震」が立正安国論を著するきっかけになったともいわれています。
(↑画像は岩本実相寺の経蔵)
この天変地異は、誤った仏法が蔓延しているから起きているのではないか?と考えた日蓮聖人は、経文に証拠を求めるために、大地震の翌年、岩本実相寺に向かわれました。
その途次、日蓮聖人が沼津に宿を取った時に、住民に津波除けの祈祷をお願いされたそうです。
駿河湾の最奥にあり、かつ川沿いに発展した沼津は、それまで何度も津波の被害に遭ってきたそうで、住民も相当苦しんできたと思われます。
日蓮聖人が祈祷をしてしばらくの間、沼津での津波被害はなくなったそうです。
沼津の妙海寺を訪問しました!立派な山門です。
本堂だと思われます。方形屋根だと、お堂のフォルムがとても美しくなりますね!
境内は決して広くないですが、草木がいっぱい!
生命力にあふれています。
山門横に「八日堂根本霊場」の石碑。
お寺の縁起によると、日蓮聖人は千本松原のほど近くにあった「如来堂」で津波除けの祈祷を八日間、行ったそうです。
祈祷の八日目、龍王様が現れて、津波の災厄を鎮めること、沼津の法華経信徒を守護することを誓ったそうです。
山号の「龍王山」の由来でしょう。
この様子を目の当たりにした山本弥三郎重安という人が日蓮聖人に帰依し、祈祷を行った「如来堂」をお寺にしたというのが、妙海寺のルーツだそうです。
山本弥三郎重安公はのちに身延山にお祖師様を訪ね、お曼荼羅を賜ったそうです。
そしてお祖師様のお弟子さんの日実上人を開山に招き、妙海寺は創建されました。
日実上人は、伊豆法難の始まりのご霊跡として知られる鎌倉・材木座の↑妙長寺も開山されていますよね!
妙海寺では、現在でも毎年、年をまたいだ八日間にわたり、八日堂祈祷が行われているそうです。