季節外れの南風が、普段は穏やかな材木座に波しぶきを作っていました。
海潮山妙長寺は、伊豆法難の始まりの地に建てられたお寺です。
実は伊豆に向けて船が出されたのは、今のお寺の場所ではなく「材木座沼ケ浦」という、もっと浜に近い場所だったようです。
今は閑静な住宅地になっている材木座五丁目あたりらしいです。
江戸時代にあった海嘯(いわゆる津波、なのかな?)によってお堂が流されてしまい、もっと内陸に再建されたそうです。
さすが海に近いだけあって、貸しボートやウインドサーフィン艇もそこかしこに置いてあります。
新田義貞公ゆかりの浄土宗・九品寺が近いです。
ここから内陸に、300mくらいかな?歩いたところに現在の妙長寺はあります。
(鶴岡八幡宮は、大昔はこのあたりにあったと言われています)
山門の手前に日蓮聖人像、その右手の壁面には小説家・泉鏡花がこのお寺に逗留していたことがある、という逸話が書いてありました。
この日蓮聖人は激しい印象を感じました。
恐らく伊豆に向けて船を出される時のお姿なのでしょう。
カッと目を見開いて、下あごの筋肉が収縮しているのがわかります。
日蓮聖人はこの時、宝塔偈を唱えられていたそうです。
いつも思うのですが、日蓮聖人像の制作に関わる方々の歴史考察力や、細部に至るまで再現しようという探求心が見て取れて、本当に頭が下がります。
本堂です。
キレイな寄棟造りの屋根です。
当日は強烈な南風のため、ほぼ雨戸を閉めている状態でした。
伊豆法難の記念相輪塔です。
日蓮聖人を乗せ、伊豆に向けて出航した船の1/6模型があります。
この形の船に日朗上人はすがり、自分も流罪にするよう懇願したと言われています。
その日朗上人を役人が櫓で撲りつけたために、日朗上人の右手は生涯不自由になってしまったそうです。
材木座のお寺ならではの石碑がありました。
鱗供養塔です。
湘南の漁業関係者が造ったそうで、定期的に魚類の供養を行っているそうです。
生き物の命を頂いて生きていることに感謝する、という日本人の精神性は素晴らしいと思います。
本堂前にこんなのがありましたよ。
黒いところにびっしり自我偈が刻んであり、一周ぐるっと回すと読み終えるものです。
お経を身近に感じてもらおうという気持ちが汲み取れます。
このお寺を沼ケ浦に開創した日實上人と、その後42世までのご住職のお名前が刻まれています。
創建700年以上のお寺ともなると、あんな大きな石板でも一枚には刻み切れないのですね・・・
脈々と、静かに、ご霊跡は受け継がれています。
感謝!