HAKUSANーBOYS&GIRLS

東洋大学・駅伝・アイスホッケー・チャーリーブラウン・舟木一夫・時には時事問題なども。2008年4月11日開始

アイスホッケー、〝最後の2秒〟物語

2023年05月04日 20時59分32秒 | アイスホッケー

意味深なタイトルですが、アイスホッケーファンなら直ぐに「ピン」と来ると思います。最後の2秒とは第3ピリオド19分58秒の事です。

過去のインカレに於いて、19分58秒に決勝点を挙げた試合が2つあります。

・昭和61年日光大会決勝戦 東洋大学5-4明治大学

当時の明治大学は学生最強の名を欲しいままにして、日本代表に3名を送り込むほどの層の厚さでした。(工藤・坂井・高木英)東洋大学は好守のGK間野直樹(駒大苫小牧、雪印)を中心に明治の猛攻に耐え、FWの石藤主将(現八工大一監督)、FWの山崎隆志(コクド)、DFの小笠原慎悟(西武・後に東洋大学コーチ・監督)らの活躍で常勝明治を破りました。(東洋大学はこの時がインカレ初優勝)私が母校・東洋大学を応援するようになったのはこの時からです。特に西武に入団してからの小笠原慎悟選手のファイト剥き出しのプレーが好きで、当時の王子スポーツセンターでの王子vs西武を良く観戦しに行ったものです。当時のスポーツ新聞やアイスホッケーマガジンには「東洋大学初優勝!」の文字は無く、「明治敗れる!」との見出しが多かったと言います。決勝点は、19分58秒でした。(日本学生氷上選手権75回史より、石藤主将のコメント)

・平成7年苫小牧大会決勝戦 明治大学4-3東洋大学 (私は現場におりましたです!)

明治の一強時代に陰りが見え始め、当時の新興勢力であった東洋大学が明治を脅かし始めた頃のお話です。秋に行われたリーグ戦でも東洋は明治に勝っており、スーパールーキー鈴木貴人が世界選手権から帰国し、決勝戦には間に合いました。東洋大学は宿舎から会場(王子スポーツセンター)まで歩きながら大声で歌って行進してきて、リラックスした状態だったです。試合は第3ピリオド11分過ぎまで東洋が3-0でリードし、私と仲間は優勝した時の校歌斉唱に備え、校歌を印刷したペーパーを東洋ファンに配る手続きを開始しようとしていたのです。ところがそれから東洋に反則が相次ぎ、あっと言う間に同点に追い付かれ、最後は明治の井原朗選手に決勝ゴールを奪われました。やはり19分58秒の事です。私は茫然として声も出なかったです。昭和61年の初優勝は日光開催ですから観てはいません。あの口惜しさは今でも忘れられないですね。その悔しさをバネにして翌年からインカレ6連覇を達成するのであります。

19分58秒の決勝点で敗れると言うのは、野球で言うと、ほぼ「サヨナラ負け」ですから、敗れた方の選手・スタッフの口惜しさはいかばかりであったでありましょうか!?

  アイスホッケーは面白いスポーツですよ。観戦した事の無い方は是非お近くのリンクへ!

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