2015年全日本大学駅伝は、東洋大学が初優勝した年でした。私は「箱根至上主義者」なので出雲駅伝や全日本大学駅伝は、それほど重要視してはおらず、TV観戦はするものの、あくまでも「箱根駅伝」の前哨戦・腕試しとしか考えていませんでした。
実はこの大会のTV中継を私は殆ど観ておりません!理由は当日水泳大会🏊があってそれに出場していたのです。大会のエントリーは大会当日の2ヶ月くらい前に行われますので、私は水泳大会の行われる日が全日本大学駅伝と重なる日だと言う事をすっかり忘れていたのでした・・・。
大会をキャンセルする事も出来たのですが、リレーにも出場する事になっていたので、水泳仲間に迷惑を掛けられず、しょうがなかったのです。当時は私はスマホを持って居なかったのですが、いわゆるガラケーでワンセグを視聴する事は出来ました。しかし仲間の応援をしないわけにもいかず、選手控席でガラケーをそわそわしながらチラ見していたわけです。駅伝の終盤になって東洋大学が好位置に付けているらしい事は分ってはいました。そうしてる内に私の出番となり招集コールがありました。100m個人メドレーを泳いだ後に、すぐワンセグを観て、東洋大学の初優勝を知ったと言う訳です。
最近、たまたまYoutubeでそのレースを見る機会がありました。
全日本大学駅伝2015 [2] - YouTube
いや~~~、凄いレースだったんですね。1区服部勇馬、2区服部弾馬の兄弟区間賞に続き、最短距離ながら出雲駅伝に続いての区間賞の3区口町、青学原監督曰く、「口町ロケット」にやられた云々。4区の櫻岡は当時の大学トップランナーの青学久保田に追いつかれはしたものの、終盤突き放す見事な快走、5区の高橋は出雲駅伝で襷の受け渡し先を間違うと言う失態を取り返す、歯を食いしばるラストスパート、6区野村も高橋に負けないラストスパートでした。堀は服部勇馬・弾馬・口町に続く4人目の区間賞で、アンカーの上村に繋ぎます。青学のアンカーは、あの神野大地でしたが、神野は本調子ではなく、上村が楽々?テープを切りました。
驚いたのはその後の酒井監督の優勝インタビューでした。柏原が居た時も、設楽兄弟が居た時も優勝出来なかった全日本を・・・と言ったところで男泣きしました。全日本駅伝で2位が続き、悔しい思いをしてきた思いと初優勝の喜びで感無量だったのでしょうね。
「箱根至上主義者」の私なんぞには到底理解できない感情でしたね。さすが強豪大学の駅伝監督は違うなとしみじみ思いました。大好きな水泳🏊のためとは言え、初優勝の瞬間を観られなかった私ですが、今ではYoutubeと言う有難いツールがあります。感謝!