ピアノと海と花との生活 Ⅱ

~創造する芸術~

音楽家のお墓 Ⅷ  ガーシュイン

2006-11-28 | 音楽

 

           

          ニューヨークで大成功を収めたガーシュインは、莫大な富を築いたので

    すが、1923年ホワイトマンからシンフォニックジャズを依頼された彼は、

    ニューヨークの110番街のアパートを借り、古びたアプライトピアノで、

    「ラプソディ-・イン・ブルー」の作曲に取り掛かります。

    3週間という短い時間に曲は完成し、後に「大峡谷(グランドキャニオン)」で

    有名になるグローフェがオーケストレーションを担当して、

    完成した曲は、カーネギーホールとともにクラシックの殿堂であったイオリア

    ン・ホールで初演。

    ラフマニノフやクライスラーといった 当時の一級の音楽家で満席の観衆が

    大盛況だったそうです。

    1937年、映画スターのために音楽会を開いたのですが、演奏の途中、意識を

    失い、一時小康を保ったのですが、数日後再び倒れて、すぐ脳腫瘍の手術

    をしたのも、回復せず、そのまま39歳という短い生涯を終えました。

    アメリカ全土で、ガーシュインに深い哀悼の意を表したそうです。

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音楽家のお墓 Ⅶ  グリーグ

2006-11-27 | 音楽

    

       

       グリーグは、北欧のノルウェーを代表する作曲家です。

       グリーグは、1843年6月15日、ノルウェーの西海岸にあるベルゲンと

       いう街に生まれました。ベルゲンは古い歴史を持ち、風光が美しく、

       文化的水準も高い都市です。

       彼の母親の影響で、幼い頃からショパンの音楽に、非常に興味を

       示し、のちに’北欧のショパン’と呼ばれた彼の作品は、きめこまか

       い情緒性であふれています。

       グリーグも、最初の頃はこのショパンの愛好する外国音楽への憧れ

       から、ドイツで主要な音楽の勉強をしますが、ノルウェーに帰ってから

       自国の音楽に目覚め、民族的な旋律やリズムを多用し、国民学派

       の作曲家となっていきます。

       代表作「ピアノコンチェルト」 「ペールギュント」での大成功。

       彼は、この2曲のような大曲のほかに、叙情的な小品に意欲を燃やし

       ました。グリーグの音楽は、常にノルウェーの自然を反映させていて

       絵画であり、自然を歌った詩です。ショパンに比べておおやかで健康的

       な表現は、生涯自然を愛し、その中に浸るように生活していたところ

       から生まれたといわれています。

       42歳の時に、トロルドハウゲンという静かな場所に、生活の拠点を移し、

       ピアノと机だけを置いた小さな小屋を建て、そこで作曲に没頭します。

       1907年9月4日、グリーグは63歳の生涯を閉じますが、葬儀は国葬と

       して、ベルゲンで盛大に行われました。

       写真のお墓は、彼の愛したトロルドハウゲンの、崖を下った丘陵の斜

       面に設けられていて、夫人のニーナは長生きをして1935年に90歳で

       亡くなったのですが、同じお墓に眠っています。

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音楽家のお墓 Ⅵ  シューマン 

2006-11-20 | 音楽

            

       1800年を過ぎる頃には、ヨーロッパでは、封建的な考えと、新しい

       民主的な考えが、いろいろなところで、激しくぶつかり合い、世の中は

       大変な不安におちいっていましたが、イギリスからフランス、そしてド

       イツへと、どんどんと自由を叫ぶ声が高まり、それはもう誰にもかき消

       すことは、できなくなっていました。

       こんな時期に、ライプツィッヒを中心に、中部ドイツを活躍の舞台とした

       2人の大作曲家いました。それは、1809年に生まれたメンデルスゾーン

       と、翌1810年に生まれたシューマンです。

       メンデルスゾーンの音楽は、絵の様に色彩豊かに描かれ、シューマン

       の音楽は、詩人がまるで、歌っているかのように、かかれました。

 

       この写真は、1977年に私が、ドイツ、ボンを訪れた際、実際に撮って

       きた写真です。

 

       デュッセルドルフで、創作活動において、最後の輝きを放ったシュー

       マンは、若い頃から悩まされた精神疾患が、悪化し、44歳のときに、

       錯乱し、ライン川にかかっているデュッセルドルフの橋から身を投げ、

       生涯の最後の2年半は、ボン郊外の精神病院で過ごし、1856年7月

       29日、46歳でこの世を去りました。

       このお墓は、ボンのアルター墓地にありますが、現在のお墓は、後年

       に建て替えられたものです。作者は、当時の有名な彫刻家アードルフ・

       ドンドルフ。

       愛妻クララは、世界的女流ピアニストとして長く活躍したあと、1896年5月

       20日にフランクフルトで没しますが、生前に遺言して、この亡き夫のそば

       に眠ることになったのです。

       

       シューマンとクララのことに関しては、’ピアノと海と花との生活’の

       6月6日、ドイツ特集で書いていますので、興味のある方は、そちらも

       どうぞ!

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音楽家のお墓 Ⅴ  シューベルト

2006-11-10 | 音楽

 

         

         600曲以上もの美しい歌曲を作って、「歌曲の王」と呼ばれて

         いるシューベルトは、1797年にウィーンで生まれました。

         シューベルトの両親は、チェコの出身で、ウィーンで小学校

         を開いていました。

         シューベルトも早くから音楽の才能をあらわしましたが、11歳の

         時、王室礼拝堂のボーイソプラノの試験に合格してからそこで

         歌うようになり、国立神学校に進み、変声が始まって、学校を

         はなれてからも、作曲を続けて、すばらしい曲を世に送りだし

         ました。

         あふれ出る泉のように、『野ばら』『魔王』など、次々とその美しい

         歌曲が完成されました。

         シューベルトは大変内気で、繊細でしたが、そのやさしい人柄

         にひかれて、美しい音楽を愛し、才能をたたえる人々が集まり

         「シューベルティアーデ」と呼ばれたその会は、シューベルトを

         招いて、あちこちの家で開かれました。

         シューベルトは、同じウィーンにいたベートーヴェンを尊敬し、

         巨匠として仰いでいましたが、その内気さゆえに、コーヒー店で

         見かけても声もかけれず、結局ベートーヴェンが病で倒れ、最

         後の日々に、2度ほど病床を見舞ったそうです。

         ベートーヴェンが1827年3月26日に亡くなり、その葬儀に松明 

         をもって参列したシューベルトも、翌年、チフスを患い、31歳の

         若さで、この世を去ります。

         シューベルトのひときわ優雅で美しいお墓は、ベートーヴェン

         と共に、ウィーンの中央墓地にあります。

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音楽家のお墓 Ⅳ  ショパン記念像

2006-11-05 | 音楽

 

        

        ジョルジュ・サンドは、男装をしてパリの社交界をわたり、華や

        かな恋の遍歴も重ねた天衣無縫の女流作家でした。ショパン

        は、彼女と1836年、26歳のときに、リストのサロンで知り合い、

        2人の仲は、1846年まで続きました。

        6つ年上の彼女は、ショパンを’私の子供’と呼んで、献身的な

        愛情をそそぎ、病弱なショパンが数々の珠玉のピアノ曲を生む

        のに、大きな役割を果たしました。

        ショパンは、結核の療養のため、サンドと彼女の2人の子供と

        共に、スペイン領のマジョルカ島へ渡りました。

        マジョルカ島の冬は雨期で、ショパンの病状はかえって悪化し

        ました。連日豪雨が降りしきり、不気味なほどの夜の静けさが、

        彼の幻想をかきたて、名曲『雨だれ』が出来ました。

        この2人の像は、パリの凱旋門を北へ1キロほど行ったところの

        モンソー公園にあります。

        ドラマ調の大理石。

        作者はジャック・フロマン・ムーリス。

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音楽家のお墓 Ⅲ  ショパン

2006-11-02 | 音楽

 

            

            今回はショパンです。

     「ピアノの叙情詩人、ピアノの狂想詩人、ピアノの心、ピアノの魂」

     と、19世紀のロシアの作曲家アントン・ルービンシテインは、ショパン

     のことを、こう表現しました。

     ショパンは、まさに、ピアノに徹した作曲家でした。

     ピアノという楽器の性能を、本能的な自然さのうちに、はっきりと見極め、

     その性能を充分に生かして、終生ほとんどピアノ曲ばかりを作曲しま

     した。

     これほどピアノ一辺倒で終始した作曲家がいるでしょうか?

     39歳という短い嵐のような一生を終えて、ショパンは、今、パリのペール・

     ラシューズ墓地に眠っています。

     ショパンの横顔の上に、天使のうなだれた姿も彫られています。

     作者は、クレサンジュ。

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