600曲以上もの美しい歌曲を作って、「歌曲の王」と呼ばれて
いるシューベルトは、1797年にウィーンで生まれました。
シューベルトの両親は、チェコの出身で、ウィーンで小学校
を開いていました。
シューベルトも早くから音楽の才能をあらわしましたが、11歳の
時、王室礼拝堂のボーイソプラノの試験に合格してからそこで
歌うようになり、国立神学校に進み、変声が始まって、学校を
はなれてからも、作曲を続けて、すばらしい曲を世に送りだし
ました。
あふれ出る泉のように、『野ばら』『魔王』など、次々とその美しい
歌曲が完成されました。
シューベルトは大変内気で、繊細でしたが、そのやさしい人柄
にひかれて、美しい音楽を愛し、才能をたたえる人々が集まり
「シューベルティアーデ」と呼ばれたその会は、シューベルトを
招いて、あちこちの家で開かれました。
シューベルトは、同じウィーンにいたベートーヴェンを尊敬し、
巨匠として仰いでいましたが、その内気さゆえに、コーヒー店で
見かけても声もかけれず、結局ベートーヴェンが病で倒れ、最
後の日々に、2度ほど病床を見舞ったそうです。
ベートーヴェンが1827年3月26日に亡くなり、その葬儀に松明
をもって参列したシューベルトも、翌年、チフスを患い、31歳の
若さで、この世を去ります。
シューベルトのひときわ優雅で美しいお墓は、ベートーヴェン
と共に、ウィーンの中央墓地にあります。
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