今回はショパンです。
「ピアノの叙情詩人、ピアノの狂想詩人、ピアノの心、ピアノの魂」
と、19世紀のロシアの作曲家アントン・ルービンシテインは、ショパン
のことを、こう表現しました。
ショパンは、まさに、ピアノに徹した作曲家でした。
ピアノという楽器の性能を、本能的な自然さのうちに、はっきりと見極め、
その性能を充分に生かして、終生ほとんどピアノ曲ばかりを作曲しま
した。
これほどピアノ一辺倒で終始した作曲家がいるでしょうか?
39歳という短い嵐のような一生を終えて、ショパンは、今、パリのペール・
ラシューズ墓地に眠っています。
ショパンの横顔の上に、天使のうなだれた姿も彫られています。
作者は、クレサンジュ。
ピアノと海と花との生活はこちらです。
日本のお墓は色も単調で殆どが暗い色の石ですね。
作曲家達のお墓はこのショパンのように
訪れる人々が色とりどりのお花を
添えるのでしょうか?
明るくて華やかな感じがします。
作曲家のお墓を紹介するHPを見つけました。
http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/h-sakkyoku.htm
TOPはこちらです。
http://kajipon.sakura.ne.jp/index.htm
ここの下の方に~あの人に会いたい~という
カテゴリーがあって作曲家だけでなく、その他の
芸術家達のお墓も見れます。
~あの人の人生を知ろう~も面白いですよ。
ただ、字が小さくてぎっしりなので目が疲れます。
この方(?)くわしく見てないのでわかりませんが、おもしろい方ですねえ。全部実際に行かれたのですね!ベートーヴェンとブラームスの動画!もありましたね!
次回は、ショパンの美しい記念像ですよ!
お楽しみに
生徒さんがきてしまったので、9時過ぎにレッスンがおわったら、続き書きますね!
すぐアマゾンで注文しました!楽しみです
サンドのことを書いた本や、ショパンとサンドの本をいくつか持っていますが、サンドは、本当にショパンに尽くしていたのですね。ショパンが、サンドに初めて会ったのは、リストが、ダグー夫人と、逃避行しているところだったんですね。
サンドとの生活の中で、サンドの2人の子供、男の子のモーリスは、成人になるにつれて、ショパンに嫉妬し、一方女の子のソランジュは、初め父親のように接していて、ショパンとは仲良くしていたようですね。ショパンのお墓をつくったクレサンジュが、ソランジュと結婚しているのですね。
でも、サンド家にとって、結局他人であったショパンは、サンドと別れてから、急激に体力も気力も衰退して、命が絶えてしまう。ショパンの盛大な葬儀にも、サンドの姿はなかったそうですね。
映画みました!
面白かったです。よく出来た映画だと思いましたよ。邦題だけが変なのですね(笑)
映画の中では、サンドは、かなり傲慢な女性に描かれていましたが、実際は、よくショパンの面倒を見て、周りの人に、病気のショパンを心配する手紙など、よく書いていますね。手元には小沼ますみ著の「ショパンとサンド」池田孝江著の「ジョルジュ・サンドはなぜ男装をしたか」という本がありますが、その写真資料などから、サンドのノアンの別荘など、映画のシーンもよく実際に似てつくられていましたね。
ソランジュに関しても、自由奔放な性格を、ソフィー・マルソーは、うまく演じてました!
でも、何より、ショパン役のヤーヌン・オレイチャク!うまいですね!ピアノもよかったし、本当にショパンの晩年の様子が、こんな感じだったんだろうなあと思わせる、すばらしい演技でした!
ショパンと別れたあとのサンドは、一変して、ショパンのことを世間に悪く印象付けるけ文を、書いて発表していったんですね。結局、ソランジェが、夫となったクレサンジェと共に、ショパンの方に、味方し、ドロドロの人間模様を繰りひろげました。でも、最後まで、ショパンは、サンドのことを忘れることができなかったんですね。
~サンドと、モーリスが、具合の悪いショパンを、住居にしていた修道院において、買い物に出てしまった。
そのあと、雨が降り、急流が氾濫して、2人は6時間もかけて、洪水の中を帰った。その間、病気のショパンは、ひどく不安で、絶望に陥りながらも、屋根の上に落ちる雨音をききながら、プレリュード『雨だれ』を作曲した!~
マジョルカ島での生活は、彼の病気の進行を早めた、といわれていますが、島の激しい雨や、憂鬱、修道院での不気味な雰囲気、すばらしい色合いの風景から、ショパンの霊感を刺激したともいわれていますよね。