ピアノと海と花との生活 Ⅱ

~創造する芸術~

アストル・ピアソラ

2008-04-15 | 音楽

 

    

     アストル・ピアソラは、1921年3月11日、アルゼンチンのブエノスアイレスよ

     り、およそ400キロある避暑地マル・デル・プラタで、

     イタリア系の移民二世の父、ビセンチと、母アスンタの間に生まれました。

     父は、船員から、次々職業を変えていきますが、アコーディオンの演奏が

     得意だったらしく、アストルはその音に、早くから親しみました。

     3歳のときに家族でニューヨークに移住。

     9歳のときに中古品のバンドネオンを買ってもらいます。

        

     12歳のときに、ラテン向きのラジオ放送に出演して、バンドネオンの演奏

     を行うという早熟ぶりを発揮。

     16歳で、一家はニューヨークに別れを告げ、アルゼンチンに帰国。

     アストルは、ブエノスアイレスで孤独でした。そしてタンゴの世界に入ります。

     この時期は、バンドネオンでバンドで演奏し、編曲者としても活躍します。

     またクラシック風の作品を書き溜め、ピアニストのルビンシュタインに見せに

     いったり、アルベルト・ヒナステラに8年間、クラシックの理論を学びます。

         

       ピアソラは3回結婚していますが、21歳のときに最初の妻、デデと

       結婚します。

       33歳のとき、タンゴをやめてクラシックの作曲家になろうと、パリへ

       赴きます。でも、そこで師事したブーランジェ女史に、

       ’タンゴを弾きなさい。これこそがピアソラよ’といわれ、

       ブエノスアイレスに帰還。そのあと、怒涛の勢いで、タンゴの名曲を

       発表していきます。

       

       彼は、アルゼンチンタンゴのスタイルを取り入れながら、クラシックや

       ジャズという新しい要素を多分に取り入れ、従来のタンゴとは全く違う

       音楽のスタイルを作り上げました。

       今回、コンサートで最初に演奏した「ブエノスアイレスの四季」の四季

       を構成する4曲は、もともと連作として書かれたものではなく、、最初に

       「夏」が、そのあと、ピアソラは極度のスランプにおちいりますが、克服し

       そのあとに「秋」、「冬」、「春」の順で発表されます。

       

      アンコールで演奏した「鮫(さめ)」は、58歳の時の作品。

      3人目の妻とウルグアイで長期の休暇をとっていた時の作品で、

      ピアソラは何と鮫釣りの愛好者で、この曲は鮫の様子がよく表現されて

      いて大好きです。

      「リベルタンゴ」は53歳の時の彼の代表的作品。

      今ではタンゴを超えたスタンダード曲になっています。

      そして「ル・グラン・タンゴ」は1990年、69歳の時、チェリスト、ロストロ・

      ポーヴィチのために作曲されたチェロとピアノのための作品ですが、

      彼はこの曲をニューオリンズで初演したあと、しばらくして脳溢血で倒れ、

      2年後に71歳の生涯を閉じることになります。

 

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